幸哉は父親の後ろ姿を見送ると、人気のいない静かな空間で一人になった。時計の音は嫌に大きく響き渡り、二階に父親がいると分かっていながらも家の中で一人でいるような気分になる。小学生の頃は寂しいと感じたものだ。今となっては、長閑な昼間だとしか思わない。
出来上がったホールのケーキを一つ切り分けると、タイミング良く来客を告げるベルが鳴り意識を引き戻される。響いていた時計の音も耳に入らなくなった。
「いらっしゃい」
外に掲げられたクローズドの文字が小学生にはまだ読めないのが幸いだ。おそるおそるといった様子で待ち人は扉のベルを鳴らした。多少は慣れ親しんだ相手でも完全には心を許していない小学生特有の緊張心を表して。
あの頃は見られなかった、今は見慣れたランドセルを背負った姿。平穏を手にすることで得られる穏やかな笑みを今日この日も浮かべて。
「お久しぶりです、幸哉さん」
彼は……トキワは福沢時計店に再び足を踏み入れた。