子供が学業の助けを求めたとき、救いの言葉を差し伸べる大人もいれば突き放しの言葉を与える者もいる。大半が後者であるが、大人はそれを全く自覚せず助けてあげた、やるべき事をやったと満足感に浸る。そんな人間を幸哉はあまり好ましく思っていない。
例えそれが教育上あまり良くないことであったとしても、子供が本当に望んでいるであろう言葉をかけてやりたい一心で、口から洩れた。
「行かなくていいよ。小学校の学びなんて、中学の勉強の予習みたいなものばかりだ。俺は六年間小学校に通ったけど不登校をすればよかったと心底後悔している」
将来教育関係の仕事に就きたいと言う者とは思えない言葉の数々を、間違ったことなど言っていない自信を溢れさせ次々と並べる。
「必要最低限の勉強は教科書があれば家の中で十分出来る内容ばかりだ。学校生活は人間関係を学ぶ場と言うけど、今のお前の境遇からしてそれはもう不可能だろ? 行っても行かなくても同じだっつーの。中学、高校と違って、公立に上がるなら内申だって必要ない。行きたくないなら無理に行かなくていいんだ。義務教育とはいえ小学生は休むことが許される唯一の学生。大学生以上の、人生の隠れ夏休みなんだからさ」
その夏休みに当時気付けなかった自分はなんて勿体ないことをしたのか。一時期過去に戻ってやり直そうかと幸哉は本気で考えたことがあった。