――まだ日は経っていない。ある筈だ。


『どちらがあの日記を地面に落とせるか、北風さんが太陽さんに勝負を挑んでくれるのを待っているの。強い風でノートが落ちたら拾いにいけるでしょ? 塗れたノートは太陽さんが乾かしてくれる』


 あの頃の自分が北風の役割を果たしたから、太陽が役目を果たしてくれたのなら、きっとノートは生きている。

 確証なんてない。別人の物かもしれない。


 それでも良かった。いっそのこと購買で、新品の物を買ってもいい。

 そんな些細な想いで今、時環が走っているのは小さな可能性の希望を抱いてのことだ。彼女が捨てた物は、彼女だけでない、恩人にとっても大切な思い出だろう。それを捨てたのだと考えると、今になって時環は怒りを混み上がらせた。


「過去を振り返るな? そんなもの、後悔したことだけだよ!」


 自分を犠牲にして、他人を助ける恩人の説得力のない言葉にも。


「思い出と過去を、一緒にすんな! 俺は過去に飛んだわけじゃねえ。自分の思い出を、旅行してんだ! 思い出旅行だって行ったのは、誰だっての!」


 旅行先でどこに行こうか、どうしようか、そんなものは本人の勝手だ。

 橋の上から石壁を見た。ノートはない。なら川辺は。


「見つけた」


 泥と砂と水で、すっかり汚れてしまった何も書かれていない一ページに、時環はペンを走らせた。