自然の空気が、埃っぽいものへと変わった。

 オーボエの低い音がいくつも重なっている。野球のバットがボールを弾き、続けて運動部らしい部員の声がよく聞こえてきた。学生の放課後、特有の空気だ。

 目を開けると、時環は直ぐに自分の手の平を見た。透けている様子のないそれに確信を持つために、近くの水道のレバーを握る。手には確かに感触があり、水を出すことも出来る。


 ――旅行祈じゃない、旅行記だ。


「ここ……」


 近くにいた絵茉も目を開けていた。信じられないと言わんばかりの目で、当たりを見渡す。彼女はこの場所に見覚えがあるようだ。


「知ってる?」

「うん、私が通っていた中学校。どうして……何が起こったの刻間くん!?」


 冷静さを掻いて、相手も同じ状況だということに気付かない。他の者ならここで彼女の動揺に感化されて、怒りと焦りでいっぱいになるのだろうが、幸い時環は二回目だ。状況が身体に害のあるものではなく、いずれ終止符を迎えるものだと知っていて、発動方法に確証はなくともこの状況をもたらした原因を把握していれば、恐怖心は湧かないというもの。小学生の頃に体験した思い出の方が、ずっと怖い。

 きっと、おそらくこの力は。


「旅行記の力だ。君が持っていた旅行記で俺達は今、一時的に過去へ飛ばされている。おそらく君の過去に」


 もしくは時計の持ち主の。今の持ち主ではなく、時計にとっての持ち主。

 頭のおかしな人間の戯れ言だと思われても仕方のない、非現実的な物事。それを面白おかしい様子もなく真剣な声で聞かされた絵茉はまばたきを忘れた。現実から目をそらさない彼女の素直な心が状況を受け止め切れていなかった。