雪も解けはじめた春の初め、私は早朝の冷え込んだ冷気で目を覚ました。日はまだ登っていないが、山々の淵はうっすらと青白いラインが乗っている。まだ夜明けまでは時間があるようだ。眠い目をこすりながら、まだ寝たりない私は熱を求めて移動する。
少し移動したところで、ちょうどよさそうなところを見つけた。ダブルベットよりも一回り大きいキングベットには、主人が気持ちよさそうに寝息を立てている。私は端から布団にもぐりこんだ。
——温かい
さらに潜り込むと主人の背中にぶつかる。身をぴったりと主人に引っ付けて主人の存在を身で感じていると、温かさと安心感ですぐに意識はベットの中に沈んでいった。
次に起きたのは、主人が起きた時のベットの軋みだった。主人も目が覚めたときに一緒に寝ている私に気が付いたのだろう、こちらに体を向けると私を抱きしめた。
「今日も一緒に寝ていたのかい?」
——だって寒かったから
「ほんとに、仕方ない子猫ちゃんだ」
私の主人はこの国の王子様、ちょっとした偶然の出会いから一緒に暮らしている。
主人はとても優しい、こんな私でも愛情をもって接してくれる。でも、主人の周りは私が一緒に暮らすことはよく思っていない。それでも、私は気にしない主人と一緒にいられることが私の望みだから。
「さあ、ミーシャそろそろ起きようか」
私は主人に抱き上げられ、主人と一緒に寝室を出る。
寝室につながる部屋は、使用人たちが温めておいてくれてあった。主人が寝室から出てくると数人の使用人が今いる部屋に入ってくる。
主人は使用人たちに軽く挨拶をして、自分の支度にとりかかった。その間に使用人たちから今日の日程などの連絡を受けていた。皆、毎日のことで慣れているので、いくつものことが同時進行で行われているが、どこにもよどみはなくスムーズに事は進んでいく。
忙しそうに見えるが、これでも私が拾われてきた時に比べるとずいぶんと落ち着いた方だ。あの頃ならば、主人は日が昇る前から起きて、公務にあたっていた。あの頃は私と失書に起きるなんて考えられないことだった。
主人の生活が大きく変わったのは、兄が帰ってきたことが大きな要因だ。
主人はフィオルド・サーズ第二王子で、帰ってきたのはルシウスのルシウス・サーズ第一王子。もともと、戦地で死んだと思われていた王子が帰ってきたものだから、王国中はてんやわんやの大騒ぎ。そして、主人が今までルシウスの代わりにやってた仕事は、ルシウスに返された。
なので、私は主人にたくさん甘えられるようになった。スキンシップをたくさんとってくれる時間が増えたのは嬉しいことだ。
それについて、悩んでいる人もいた。ルシウスに仕事を戻した本人の主人だ。
仕事は楽になったものの、次期国王の座もルシウスに移ったことで、仕事も大きく減った。ルシウスは完璧でなんでもこなせる上に、人当たりもよかった。
主人は何回か仕事を手伝わせてほしいと相談に行ったようだが「今まで頑張ってたんだから、これからは僕に頼って」と、毎回断られてしまった。
「ミーシャ、ご飯を食べようか」
——うん
「今日もルシウス上は忙しそうだ」
主人の目には、ガラスの中庭でたくさんの人に囲まれ王宮に向かうルシウスの姿があった。
——ルシウスが任せてと言ったなら、それに頼ればいいのです。そして、ルシウスが助けを求めたときに最大限働けるよう、力を蓄えておくべきなのです
「何だい?ミーシャは励ましてくれるのか」
——もちろん!
「そうだな、今できることをするべきだ」
二人でご飯を食べた後、主人は公務に行かれてしまった。ルシウスに多くが移ったといっても主人がやらなければならないことがなくなったわけではない。
主人が公務に行ってしまうと、基本帰ってくるまではやることがない。今日は何をしようかと部屋をうろうろと歩き回る。悩んだ末、今日は天気が良かったので中庭に行くことにした。
春の中庭は興味が惹かれるものでいっぱいだった。早い時期に咲く花ならばもう咲いているし、私のお気に入りの場所がたくさんあるのも中庭である。使用人たちは私がお屋敷にいてくれた方が嬉しいのだろうが、基本私はアウトドア派なのである。主人がいないのならわざわざ室内に残る必要性はない。
今日も新たな発見を探して、中庭をめぐる。あちらこちらで春を感じていると、珍しいものが目に入ってきた。
なんと、庭のベンチで主人のルシウスルシウスがうたた寝をしていたのだ。
ルシウスを部屋のガラス越しに見たことは何度からあるが、何も隔てず見るなんて初めての事だった。興味が惹かれるままに、ルシウスに近づく。
そろりそろりと、ルシウスの寝ているベンチに近づいていく。あと少し、といったところでルシウスの目が開いた。
「ああ、ねてしまった」
ルシウスは目を開くなり、苦い顔をした。
「こんなところ誰かに見つかったら……」
彼は周りを見渡して自分以外に人がいなかったかを確認する。
「まあ、見られてたら。あとからどうにでもできるか」
そういって、ベンチから立ち上がり、服についたしわを伸ばす。長時間ここで寝ていたわけではないようで、服についていたしわも手で簡単に伸びた。
最後に彼が大きく背伸びをしたところで、私と目が合ってしまった。
「ああ、君に見られちゃったか」
私を見たルシウスはそこはかとない笑みを浮かべた。
「このことはみんなに内緒だよ」
そっと人差し指を唇に添えて、内緒にねとジェスチャーを加えた。そして、私の横を通りすぎて、王宮へ戻っていった。
ルシウスが私の横を通り過ぎたとき、懐かしい香りがした。この体で嗅いだ記憶はないのできっと、何個か前の命の時に嗅いだのだろう。——あれは、誰の香りだっけ?
悩んでも仕方ないので、今日はひとまず部屋に戻ることにした。そろそろ、お昼の時間なので私が居ないと主人は悲しんでしまう。
「おかえり、ミーシャ。今日はどこに行ってたんだい?」
——ただいま、ちょっと遅れちゃった。
「さ、ミーシャも帰ってきたし、お昼にしようか」
主人がそういうと次々とご飯が運ばれてきた。もちろん私の前にもご飯が置かれる。やっぱり、ここのご飯は美味しい引き取られる前に食べていたご飯とは天と地の差だ。
「ミーシャ、午後はどうするんだい?」
——午後はお部屋でゆっくりする。
「もし、暇なら一緒に図書室でも行かないか?今日の午後は仕事がないんだ」
——もちろん!
まさか午後は主人と一緒にいられることになった。図書室なので、遊んでもらうことはないだろうけど、主人は決まって私に読み聞かせをしてくれる。本人はそんなつもりないのかもしれないけど、彼は自然と本の文章を口ずさんでしまっている。それを聞きながら、日の当たる窓辺にいると、何とも言えない幸福に包まれる。
ご飯を食べ終わるとさっそく、私たちは図書室に向かった。
図書室は私たちのほかに人は居なかった。他のみんなはせっせと仕事をしているのだろう。いつもの定位置に使用人がお茶や、お菓子を準備する。私もいつもの椅子に座る。
使用人たちが準備を終えて、部屋から出ていく。使用人が出ていったところで、図書室にいるのは私たちだけになった。時々、仕事に使う資料を取りに来たとかで人の出入りはあるが、ほとんどの時間は二人きりだ。
——今日は何読むの?
「今日はこれを読もうかな」
主人が本棚から取り出した本は、年季の入ったいかにも古そうな本だった。文字は難しくて読めないが、たしか北の地方の本だった気がする。昔住んでた頃に同じ本を見かけた記憶があった。
主人は私の隣に座ると、本をめくり始めた。読み進めていくと少しずつ、主人の口から言葉が紡ぎ始められた。
本の内容は北の地方に伝わる伝承を集めたものだった。いくつもの小話が一冊の本にまとまっている。主人の声で聴く物語は私にとってどれも懐かしかった。
——この本を、私に読んでくれたのは誰だったのだろうか。主人の声に浸りながら、今はもうおぼろげになってしまった過去のまた過去に意識を飛ばす。
あの頃の私はまだ言葉というものを完全に理解していなかった。一生を積み重ねれば言葉なんて簡単に理解できると、昔あったばあさんが言っていたような気がする。
それであっても、私がここまで言葉を理解できるようになったのも、昔この本を私に読み聞かせてくれたあの子がいたからだろう。
あの子は今どうしているのだろうか、まぁ、人の人生だともうこの世界にはいないのだろう。いや、魔女見習いだったあの子なら、寿命などもうゴミ箱に出捨ててありそうだ。
そんな、昔の記憶に浸っていると図書室に人が入ってきた。
「フィオルド様、すみません。少しお時間をよろしいでしょうか」
「ああ、かまわないよ」
図書室に入ってきた人は、主人に用があったらしい。主人は読みかけの本を座っていた所に置くと、主人を呼んだ人と図書室を出て行ってしまった。
「あれ、こんなところに。さっき庭であった子じゃないか」
主人もいなくなってしまったので、暇になってしまったと考えていたら、私の耳にルシウスの声が聞こえた。ルシウスは仕事中だからここにいることはないはずだが?と疑問に思い、首を上げたところで目のまえにルシウスが立っていた。
ルシウスが速足に私のことに近寄ってくる。私のすぐそばまで来たところで手を伸ばしてきた。驚いた私は少し身を引いた。
「わあ、この本懐かしい。昔よく読んでた」
ルシウスが手を伸ばしたのは、主人の読みかけの本を手に取るためだった。
「そうだ、こんな話だった。わー懐かしい」
ルシウスは1ページをめくるごとに様々な歓声をあげる。そういえばあの子も、これくらいにぎやかだった気がする。——ルシウスとどこか、似てる。
「よく、リリの隣で読んでいたっけ?ああ、もう200年くらい前の話か、道理でよく思い出せない訳だ」
ルシウスは独り言を言って、一人で楽しそうに笑っている。
「ん、どうしたんだい?そんな驚いたような顔をして」
私はルシウスが言うように、今とても驚いている。さっきルシウスが言ったリリという名前は、私の3つ前の名前だった。ただの偶然かもしれないが、200年前というのも私がリリと呼ばれていたころと同じ時期である。
昔の主人に会えたかもしれないという、甘い気持ちでルシウスに声をかけてみることにした。確かあの頃の名前は——。
「ねえ、シリウス。私の事覚えてる?」
「え、もしかして。リリ?」
「そうよ。久しぶり……シリウス」
本当にリリだと分かったルシウスは本を乱雑に置くと、私を抱きしめた。
「良かった、シリウス本当に魔女になれたのね」
「もちろん、だって君の主人だからね。失敗するわけないさ」
時代をまたいだ再会に、私はその分だけルシウスを抱きしめた。この感覚も懐かしい、いつも修業で失敗してたルシウスをこうやって抱きしめていたっけ?
それから少しして一息ついた二人は椅子に座った。
「どうして、ルシウスになっているの?そもそも、あなた女の子でしょ?」
「ああ、それはね。大魔女様から……」
「それは大変ね」
最後まで説明しなくとも、なんとなくは理解できた。魔女は自分たちの存在を知られないために森の深くに暮らしている。もちろん人間たちとの交流はほとんどない。
それなのに、シリウスがルシウスになってまで人間に関わっているということは、何かそうしなければいけない理由ができたのだろう。
「リリなら、なんとなく理解できてるだろうけど、数年ほど前に大魔女様の占いで大災害起きることが分かった。今の世の中では大災害を防ぐ技術なんて存在しない。
ほんとなら、一個の町が消えるくらい見逃すのだけども、どうしてもこの町には消えてほしくない理由があった。だから、私が死んだルシウスに成り代わって、その対策を進めているってわけ」
「大変ね……その、消えてほしくない理由って?」
「ああ、それはね」
シリウスは私の耳に口を近づける。耳打ちをするくらいなのだからとても重要なことなのだろう。それでも、この町が消えること以上に重大なことって何なのだろうか。
——この町に、次世代の大魔女が誕生する。
耳打ちをした、シリウスはにこにこの笑顔だ。
大魔女は名前の通りに魔女の長であり、一番魔法にたけてる人である。それも、誰でもなれるわけではなく運命で決まってしまっている。それが誕生するのなら、魔女が動くのも理解ができた。
「それでなんだけど、リリもう一度私と一緒に来ない?君もそろそろ七個目の命でしょ、私ならその運命を変えられる」
「それは、魅力的な話だわ。でも、お断り——私の今の主人はフィオルドだから」
「仕方のないことだね、君と僕の関係は君が死んだときに消えてる。それに、君は自分の意見を簡単に曲げることはしないね」
「ごめんね」
「いいさ」
シリウスの言ったように、私たちの関係はあの時でピリオドが打たれている。今は主人との物語の最中、文章を途中で変えるなんてそんな下品なことはしない。
「そうだ、最後に」
「なに?」
「この町も消えてもらうのは困るが、君のご主人様にも消えてもらうわけにもいかない。だから、ちょっとの間彼には寝ていてもらうよ。その間、君は彼のそばにいてくれるかい?」
「もちろんよ、この最後の命が消えるまで彼のすぐそばにいるわ」
「分かった、頼むね」
それで話が終わったのか、ルシウスは楽しそうに足を弾ませて図書室彼出ていった。彼はまだここにいるそうだから、また話くらいはできるでしょう。
「あれ、まだここにいてくれたのかい?」
ルシウスと入れ替わるように主人が戻ってきた。
——あなたのためなら、何時だって待っていられる。
「どうしたんだい、僕の膝の上なんかに乗って」
彼が隣に座ったところで、今いるところから彼の膝の上に移動した。いつもなら、こんなに甘えることはないのだが、仕方ない今はそういう気分なのだから。
「ほんとに、君は悪い子猫ちゃんだ」
■■■
その後、シリウスが言ったと通りに町を大災害が襲った。町は壊滅するかと思われたが、第一王子であるルシウスの働きによって、何とか被害は少なく済ませることができた。主人も知慮の為に町から離れたところにいたため、巻き込まれることはなかった。
そして、大災害の終結とともにルシウスは消えていった。町には災害に巻き込まれたとか、神様が救いに来てくれたなど様々な噂が流れた。
消える前、シリウスは私に一つの魔法をかけた。魔女の誘いを断った罰らしい。
「私を人間にするなんて、どういうつもりかしら」
隣では、災害前に原因不明の病気で倒れた主人が眠っている。シリウスにはあと数カ月で起きるだろうといっていた。
私が人間になった後、ルシウスは私のことをフィオルドの婚約者だと説明した。そのおかげで、私は王宮に住むことができている。
まだ、主人が起きるまでゆっくりしていることにしよう。
——主人は、起きて私のことを知ったらなんというのだろうか?子供が欲しいなんて、言ったら、また眠り込んでしまいそうだ。
少し移動したところで、ちょうどよさそうなところを見つけた。ダブルベットよりも一回り大きいキングベットには、主人が気持ちよさそうに寝息を立てている。私は端から布団にもぐりこんだ。
——温かい
さらに潜り込むと主人の背中にぶつかる。身をぴったりと主人に引っ付けて主人の存在を身で感じていると、温かさと安心感ですぐに意識はベットの中に沈んでいった。
次に起きたのは、主人が起きた時のベットの軋みだった。主人も目が覚めたときに一緒に寝ている私に気が付いたのだろう、こちらに体を向けると私を抱きしめた。
「今日も一緒に寝ていたのかい?」
——だって寒かったから
「ほんとに、仕方ない子猫ちゃんだ」
私の主人はこの国の王子様、ちょっとした偶然の出会いから一緒に暮らしている。
主人はとても優しい、こんな私でも愛情をもって接してくれる。でも、主人の周りは私が一緒に暮らすことはよく思っていない。それでも、私は気にしない主人と一緒にいられることが私の望みだから。
「さあ、ミーシャそろそろ起きようか」
私は主人に抱き上げられ、主人と一緒に寝室を出る。
寝室につながる部屋は、使用人たちが温めておいてくれてあった。主人が寝室から出てくると数人の使用人が今いる部屋に入ってくる。
主人は使用人たちに軽く挨拶をして、自分の支度にとりかかった。その間に使用人たちから今日の日程などの連絡を受けていた。皆、毎日のことで慣れているので、いくつものことが同時進行で行われているが、どこにもよどみはなくスムーズに事は進んでいく。
忙しそうに見えるが、これでも私が拾われてきた時に比べるとずいぶんと落ち着いた方だ。あの頃ならば、主人は日が昇る前から起きて、公務にあたっていた。あの頃は私と失書に起きるなんて考えられないことだった。
主人の生活が大きく変わったのは、兄が帰ってきたことが大きな要因だ。
主人はフィオルド・サーズ第二王子で、帰ってきたのはルシウスのルシウス・サーズ第一王子。もともと、戦地で死んだと思われていた王子が帰ってきたものだから、王国中はてんやわんやの大騒ぎ。そして、主人が今までルシウスの代わりにやってた仕事は、ルシウスに返された。
なので、私は主人にたくさん甘えられるようになった。スキンシップをたくさんとってくれる時間が増えたのは嬉しいことだ。
それについて、悩んでいる人もいた。ルシウスに仕事を戻した本人の主人だ。
仕事は楽になったものの、次期国王の座もルシウスに移ったことで、仕事も大きく減った。ルシウスは完璧でなんでもこなせる上に、人当たりもよかった。
主人は何回か仕事を手伝わせてほしいと相談に行ったようだが「今まで頑張ってたんだから、これからは僕に頼って」と、毎回断られてしまった。
「ミーシャ、ご飯を食べようか」
——うん
「今日もルシウス上は忙しそうだ」
主人の目には、ガラスの中庭でたくさんの人に囲まれ王宮に向かうルシウスの姿があった。
——ルシウスが任せてと言ったなら、それに頼ればいいのです。そして、ルシウスが助けを求めたときに最大限働けるよう、力を蓄えておくべきなのです
「何だい?ミーシャは励ましてくれるのか」
——もちろん!
「そうだな、今できることをするべきだ」
二人でご飯を食べた後、主人は公務に行かれてしまった。ルシウスに多くが移ったといっても主人がやらなければならないことがなくなったわけではない。
主人が公務に行ってしまうと、基本帰ってくるまではやることがない。今日は何をしようかと部屋をうろうろと歩き回る。悩んだ末、今日は天気が良かったので中庭に行くことにした。
春の中庭は興味が惹かれるものでいっぱいだった。早い時期に咲く花ならばもう咲いているし、私のお気に入りの場所がたくさんあるのも中庭である。使用人たちは私がお屋敷にいてくれた方が嬉しいのだろうが、基本私はアウトドア派なのである。主人がいないのならわざわざ室内に残る必要性はない。
今日も新たな発見を探して、中庭をめぐる。あちらこちらで春を感じていると、珍しいものが目に入ってきた。
なんと、庭のベンチで主人のルシウスルシウスがうたた寝をしていたのだ。
ルシウスを部屋のガラス越しに見たことは何度からあるが、何も隔てず見るなんて初めての事だった。興味が惹かれるままに、ルシウスに近づく。
そろりそろりと、ルシウスの寝ているベンチに近づいていく。あと少し、といったところでルシウスの目が開いた。
「ああ、ねてしまった」
ルシウスは目を開くなり、苦い顔をした。
「こんなところ誰かに見つかったら……」
彼は周りを見渡して自分以外に人がいなかったかを確認する。
「まあ、見られてたら。あとからどうにでもできるか」
そういって、ベンチから立ち上がり、服についたしわを伸ばす。長時間ここで寝ていたわけではないようで、服についていたしわも手で簡単に伸びた。
最後に彼が大きく背伸びをしたところで、私と目が合ってしまった。
「ああ、君に見られちゃったか」
私を見たルシウスはそこはかとない笑みを浮かべた。
「このことはみんなに内緒だよ」
そっと人差し指を唇に添えて、内緒にねとジェスチャーを加えた。そして、私の横を通りすぎて、王宮へ戻っていった。
ルシウスが私の横を通り過ぎたとき、懐かしい香りがした。この体で嗅いだ記憶はないのできっと、何個か前の命の時に嗅いだのだろう。——あれは、誰の香りだっけ?
悩んでも仕方ないので、今日はひとまず部屋に戻ることにした。そろそろ、お昼の時間なので私が居ないと主人は悲しんでしまう。
「おかえり、ミーシャ。今日はどこに行ってたんだい?」
——ただいま、ちょっと遅れちゃった。
「さ、ミーシャも帰ってきたし、お昼にしようか」
主人がそういうと次々とご飯が運ばれてきた。もちろん私の前にもご飯が置かれる。やっぱり、ここのご飯は美味しい引き取られる前に食べていたご飯とは天と地の差だ。
「ミーシャ、午後はどうするんだい?」
——午後はお部屋でゆっくりする。
「もし、暇なら一緒に図書室でも行かないか?今日の午後は仕事がないんだ」
——もちろん!
まさか午後は主人と一緒にいられることになった。図書室なので、遊んでもらうことはないだろうけど、主人は決まって私に読み聞かせをしてくれる。本人はそんなつもりないのかもしれないけど、彼は自然と本の文章を口ずさんでしまっている。それを聞きながら、日の当たる窓辺にいると、何とも言えない幸福に包まれる。
ご飯を食べ終わるとさっそく、私たちは図書室に向かった。
図書室は私たちのほかに人は居なかった。他のみんなはせっせと仕事をしているのだろう。いつもの定位置に使用人がお茶や、お菓子を準備する。私もいつもの椅子に座る。
使用人たちが準備を終えて、部屋から出ていく。使用人が出ていったところで、図書室にいるのは私たちだけになった。時々、仕事に使う資料を取りに来たとかで人の出入りはあるが、ほとんどの時間は二人きりだ。
——今日は何読むの?
「今日はこれを読もうかな」
主人が本棚から取り出した本は、年季の入ったいかにも古そうな本だった。文字は難しくて読めないが、たしか北の地方の本だった気がする。昔住んでた頃に同じ本を見かけた記憶があった。
主人は私の隣に座ると、本をめくり始めた。読み進めていくと少しずつ、主人の口から言葉が紡ぎ始められた。
本の内容は北の地方に伝わる伝承を集めたものだった。いくつもの小話が一冊の本にまとまっている。主人の声で聴く物語は私にとってどれも懐かしかった。
——この本を、私に読んでくれたのは誰だったのだろうか。主人の声に浸りながら、今はもうおぼろげになってしまった過去のまた過去に意識を飛ばす。
あの頃の私はまだ言葉というものを完全に理解していなかった。一生を積み重ねれば言葉なんて簡単に理解できると、昔あったばあさんが言っていたような気がする。
それであっても、私がここまで言葉を理解できるようになったのも、昔この本を私に読み聞かせてくれたあの子がいたからだろう。
あの子は今どうしているのだろうか、まぁ、人の人生だともうこの世界にはいないのだろう。いや、魔女見習いだったあの子なら、寿命などもうゴミ箱に出捨ててありそうだ。
そんな、昔の記憶に浸っていると図書室に人が入ってきた。
「フィオルド様、すみません。少しお時間をよろしいでしょうか」
「ああ、かまわないよ」
図書室に入ってきた人は、主人に用があったらしい。主人は読みかけの本を座っていた所に置くと、主人を呼んだ人と図書室を出て行ってしまった。
「あれ、こんなところに。さっき庭であった子じゃないか」
主人もいなくなってしまったので、暇になってしまったと考えていたら、私の耳にルシウスの声が聞こえた。ルシウスは仕事中だからここにいることはないはずだが?と疑問に思い、首を上げたところで目のまえにルシウスが立っていた。
ルシウスが速足に私のことに近寄ってくる。私のすぐそばまで来たところで手を伸ばしてきた。驚いた私は少し身を引いた。
「わあ、この本懐かしい。昔よく読んでた」
ルシウスが手を伸ばしたのは、主人の読みかけの本を手に取るためだった。
「そうだ、こんな話だった。わー懐かしい」
ルシウスは1ページをめくるごとに様々な歓声をあげる。そういえばあの子も、これくらいにぎやかだった気がする。——ルシウスとどこか、似てる。
「よく、リリの隣で読んでいたっけ?ああ、もう200年くらい前の話か、道理でよく思い出せない訳だ」
ルシウスは独り言を言って、一人で楽しそうに笑っている。
「ん、どうしたんだい?そんな驚いたような顔をして」
私はルシウスが言うように、今とても驚いている。さっきルシウスが言ったリリという名前は、私の3つ前の名前だった。ただの偶然かもしれないが、200年前というのも私がリリと呼ばれていたころと同じ時期である。
昔の主人に会えたかもしれないという、甘い気持ちでルシウスに声をかけてみることにした。確かあの頃の名前は——。
「ねえ、シリウス。私の事覚えてる?」
「え、もしかして。リリ?」
「そうよ。久しぶり……シリウス」
本当にリリだと分かったルシウスは本を乱雑に置くと、私を抱きしめた。
「良かった、シリウス本当に魔女になれたのね」
「もちろん、だって君の主人だからね。失敗するわけないさ」
時代をまたいだ再会に、私はその分だけルシウスを抱きしめた。この感覚も懐かしい、いつも修業で失敗してたルシウスをこうやって抱きしめていたっけ?
それから少しして一息ついた二人は椅子に座った。
「どうして、ルシウスになっているの?そもそも、あなた女の子でしょ?」
「ああ、それはね。大魔女様から……」
「それは大変ね」
最後まで説明しなくとも、なんとなくは理解できた。魔女は自分たちの存在を知られないために森の深くに暮らしている。もちろん人間たちとの交流はほとんどない。
それなのに、シリウスがルシウスになってまで人間に関わっているということは、何かそうしなければいけない理由ができたのだろう。
「リリなら、なんとなく理解できてるだろうけど、数年ほど前に大魔女様の占いで大災害起きることが分かった。今の世の中では大災害を防ぐ技術なんて存在しない。
ほんとなら、一個の町が消えるくらい見逃すのだけども、どうしてもこの町には消えてほしくない理由があった。だから、私が死んだルシウスに成り代わって、その対策を進めているってわけ」
「大変ね……その、消えてほしくない理由って?」
「ああ、それはね」
シリウスは私の耳に口を近づける。耳打ちをするくらいなのだからとても重要なことなのだろう。それでも、この町が消えること以上に重大なことって何なのだろうか。
——この町に、次世代の大魔女が誕生する。
耳打ちをした、シリウスはにこにこの笑顔だ。
大魔女は名前の通りに魔女の長であり、一番魔法にたけてる人である。それも、誰でもなれるわけではなく運命で決まってしまっている。それが誕生するのなら、魔女が動くのも理解ができた。
「それでなんだけど、リリもう一度私と一緒に来ない?君もそろそろ七個目の命でしょ、私ならその運命を変えられる」
「それは、魅力的な話だわ。でも、お断り——私の今の主人はフィオルドだから」
「仕方のないことだね、君と僕の関係は君が死んだときに消えてる。それに、君は自分の意見を簡単に曲げることはしないね」
「ごめんね」
「いいさ」
シリウスの言ったように、私たちの関係はあの時でピリオドが打たれている。今は主人との物語の最中、文章を途中で変えるなんてそんな下品なことはしない。
「そうだ、最後に」
「なに?」
「この町も消えてもらうのは困るが、君のご主人様にも消えてもらうわけにもいかない。だから、ちょっとの間彼には寝ていてもらうよ。その間、君は彼のそばにいてくれるかい?」
「もちろんよ、この最後の命が消えるまで彼のすぐそばにいるわ」
「分かった、頼むね」
それで話が終わったのか、ルシウスは楽しそうに足を弾ませて図書室彼出ていった。彼はまだここにいるそうだから、また話くらいはできるでしょう。
「あれ、まだここにいてくれたのかい?」
ルシウスと入れ替わるように主人が戻ってきた。
——あなたのためなら、何時だって待っていられる。
「どうしたんだい、僕の膝の上なんかに乗って」
彼が隣に座ったところで、今いるところから彼の膝の上に移動した。いつもなら、こんなに甘えることはないのだが、仕方ない今はそういう気分なのだから。
「ほんとに、君は悪い子猫ちゃんだ」
■■■
その後、シリウスが言ったと通りに町を大災害が襲った。町は壊滅するかと思われたが、第一王子であるルシウスの働きによって、何とか被害は少なく済ませることができた。主人も知慮の為に町から離れたところにいたため、巻き込まれることはなかった。
そして、大災害の終結とともにルシウスは消えていった。町には災害に巻き込まれたとか、神様が救いに来てくれたなど様々な噂が流れた。
消える前、シリウスは私に一つの魔法をかけた。魔女の誘いを断った罰らしい。
「私を人間にするなんて、どういうつもりかしら」
隣では、災害前に原因不明の病気で倒れた主人が眠っている。シリウスにはあと数カ月で起きるだろうといっていた。
私が人間になった後、ルシウスは私のことをフィオルドの婚約者だと説明した。そのおかげで、私は王宮に住むことができている。
まだ、主人が起きるまでゆっくりしていることにしよう。
——主人は、起きて私のことを知ったらなんというのだろうか?子供が欲しいなんて、言ったら、また眠り込んでしまいそうだ。