勇者召喚に巻き込まれたおっさんはウォッシュの魔法(ウィッシュのポーズ付き)しか使えません。


 待ち合わせの時間には少しだけ早かったが、まーさんは、料理をマスターに頼むために、店に向かった。

「マスター」

「まーさん。お客は既に来ているぞ」

 意外なことに、待ち人が既に来ていると言われた。偉い人は遅れてくるというイメージを持っていたまーさんは、驚いた顔をマスターに向ける。

「え?まだ約束の時間にはなっていないとおもうけど・・・」

「あぁまーさんに会うのを楽しみにしていたみたいだ。まーさんのレシピや蒸留器を一通り揃えて部屋に置いてある」

「お。助かる」

 まーさんは、マスターに持ってきた物を渡した。
 口頭で、調理方法を頼んでから、奥の部屋に進んだ。扉の前で、ノックを3回してから、一拍の間を空けてから、ノックを2回する。部屋から鍵を開ける音がする。まーさんは、扉を開けて中に入る。中央のテーブルには、一人の男性が扉に背中を向けて座っている。まーさんは、少しだけ戸惑ったが男性の正面に一つだけ残された椅子を見て、息を吐き出してから男性の正面に座る。
 扉を開けた執事風の男性は、まーさんに部屋に居た男性に頭を下げてから外に出て、扉を閉めた。

「まーさん。何か飲みますか?」

「・・・」

「そうでした。儂は、まーさんを知っているが、まーさんは息子しか知らんのだったな」

「あぁでも、その息子氏のこともよく知らない」

「ハハハ。儂は、ラインリッヒ。辺境伯だ」

「ラインリッヒ辺境伯様とお呼びすればよろしいですか?」

「うーん。本来なら、まーさんのほうが、立場的には上だぞ?儂のことは、フォミルと呼んでくれ」

 まーさんは、ラインリッヒ辺境伯が差し出したカップを受け取った。
 中身は、まーさんがマスターにレシピを渡して作ってもらった酒精が入っている。唇を濡らすようにしてから、辺境伯にストレートに質問をする。

「わかった。フォミル殿。それで、蒸留やレシピに関しての話だと思っているが?」

「そうだ」

 喉を鳴らして酒精を飲んでから、カップをテーブルに置く。まーさんは、辺境伯をしっかりと見据えた。
 テーブルの上に置いた指でテーブルを弾きながら、辺境伯に質問を重ねる。

「フォミル殿。聞きたいことがあるがいいか?」

「儂が答えられる内容なら問題はない」

「ラインリッヒ辺境伯は、どこを向いて、俺が作った物を欲しがっている?」

 まーさんは、ストレートに問いかけるのではなく、少し回り道な言い方をした。
 ラインリッヒ辺境伯は、まーさんをまっすぐに見つめて、自分が試されていると感じながらも、正直に答えるのが得策だと思った。

「儂の領民だ。そして、儂の家族。儂を慕ってくれている家臣たちだ」

 まーさんは、辺境伯の答えを聞いて、満足した。予想よりも”良い”答えだった。
 そして、本題を切り出す。

「わかった。もう一つだ。この世界には、特許の様な物はあるのか?」

「”とっきょ”」

「その言い方では無いようだな」

 辺境伯は、顎を撫でながら、まーさんを見た。
 ”とっきょ”は知らないが、まーさんからアイディアなり情報が引き出せると考えて、質問をすることにした。

「どんな物なのか、説明してくれないか?」

 まーさんは、日本の特許を説明した。もちろん、まーさんが知っていることを、都合よく伝えたのだ。
 特許料の話も伝えた。特許は公開されて、誰でも見ることができることや、見て利用することができると伝えた。利用する場合には、利用料を支払う必要があると簡単に伝えたのだ。

「どうだ?」

「・・・。まーさんが言っている”とっきょ”とは違うが、似たような仕組みがある」

「ほぉ・・・。それは?」

 辺境伯の意外な答えに、まーさんは”少し”感心を示した。

 今度は、辺境伯がまーさんに説明を行う。
 商業の神殿に登録を行うことで、権利が守られるということだ。

「類似品はどうなる?」

「罰則の対象だ、導き出される結果が同じなら、類似品と見られて、売上の9割から15割を支払う必要が出てくる」

「判定はどうする?」

「神殿で判定の魔道具を使うことになる」

「ふーん。それは、貴族とか、平民とか、関係がないのか?」

「ない。断言できる」

 まーさんは、辺境伯の顔を見て、この場で自分を騙す必然性が低いことや、これからのことを考えて、”ある物”として話を進めることにした。

「話を戻して、蒸留や関連する酒精のレシピは、フォルミ殿に預ける。好きに使ってくれ」

「いいのか?」

 身体を乗り出すように喰い付いてくる。
 それだけ画期的な物だと考えているのだろう。安酒が、酒精が強い飲み物に変わって、酒精が強くなったことで、果実と合わせて飲むことができる。それだけでも大きな変化を感じるのだろう。実際に、辺境伯は酒精だけではなく、ポーションを蒸留すれば、違った結果が出るのではないかと思っているのだ。まーさんも、それには気がついていたが、別にどうでもいいと言及していない。

「あぁいくつかの条件を飲み込んでくれ」

「条件?」

「”特許”・・・。こちらでの呼び方がわからないから、今は、”特許”と呼ぶが、登録を頼みたい。俺の名前ではなく、イーリスの名前で頼む」

「え?いいのか?王女殿下で?」

「あぁ世話になっているからな。それに、かなりの金銭を使わせてしまっている」

「わかった。まーさんの指示に従う」

「あと、マスターには無料で使わせてやってくれ、作った工房は把握していると思うが、なるべく工房を使ってやってほしい」

「わかった。それは、当然の配慮だと考えている」

 まーさんは、安堵した表情を見せる。辺境伯は、断らないと思っていたが、”了承が得られてよかった”と考えた。

 扉がノックされた。

「注文された料理をお届けに来ました」

「入ってくれ」

「まーさん?」

 まーさんは、手で辺境伯の質問をとどめて、マスターに入ってもらった。
 テーブルの上には、まーさんがマスターに指示を出して作ってもらった料理が並び始める。

「まーさん。どうだ?言われた通りに作ったが?」

 まーさんは、マスターが持ってきた料理を一枚だけ摘んで口に放り込んだ。
 ”パリッ”と心地よい音がしている。

「完璧!マスターに頼んでよかったよ」

 マスターが、辺境伯に会釈をして出ていく。
 テーブルの上には、じゃがいもを薄く切って油で揚げた物が並んでいる。まーさんの指示した通りに、乱雑に山盛りになっている。

「まーさん。これは?」

「”ポテチ”というものですよ。知りませんか?」

「え?」

「”コンソメ”や”カレー”は、準備が必要ですし、香辛料があるかわからないので、用意が出来ませんでした。”ネイル”はカリンのほうが詳しいでしょう。”みそ”や”しょうゆ”は、作り方は知っていますが、材料の入手ができるかわかりませんし、年単位で時間が必要です。”コメ”は私もほしいです。どうですか?フォミル殿」

「・・・。まーさん。なぜ、知っているか教えてもらえるか?」

「企業秘密です。と、言いたい所ですが、”貸し”一つでいいですよ」

「わかった」

「簡単な話ですよ。市井で聞いた内容です。”どこぞ”の貴人が、貴族に命じて探してくるように言ったそうですよ。その貴族が、王都の商人を集めて、知っている者を探したらしいですよ」

「・・・。あいつら・・・。まーさん?」

「ここが初披露だ。街では、”しらない”と答えた。実際に、”こっち”にあるか知らないからな」

「そうか・・・」

 まーさんが、ポテチをつまんで食べるのを見て、辺境伯もつまんで口に放り込む。

「ほぉ・・・。うまいな。酒精に合いそうだ」

「そうだな。もう少し、塩味を薄くすれば、ワインと合わせてもいいだろう」

「そうだな。これは、”じゃがいも”か?薄く切って・・・。こんなことでうまくなるのか・・・」

「歯ごたえや腹持ちが、欲しければ、厚くしたり、切り方を変えたり、いろいろ手法はあるぞ」

「まーさん。情報を、売って欲しい」

 まーさんは、ニヤリと笑って、辺境伯を見つめてから言葉を紡ぐ。

「フォミル殿。お願いがありますがいいですか?」

「フォミル殿。お願いがありますがいいですか?」

 辺境伯は、まーさんを真っ直ぐに見つめる。

「なんだ?」

「まず、俺たち・・・。カリンと二人で、思いつく限り、前の世界に合った料理やどこぞの貴人が言っている物を再現する」

「ほ、本当か?!それは・・・」

 まーさんが、手を上げて興奮した辺境伯を手で制する。

「フォルミ殿。全て、お渡しします。使い方や特許で条件を付けさせてください」

「解っている。まーさんたちに不利益にならないようにする」

「それもあるのですが、材料の調達をお願いしたい。それと・・・」

 まーさんが辺境伯にお願いしたのは意外なことだ。

「まーさん。本気か?」

「あぁ自然な形で、”とある貴人”を囲みたがっている。そうだな・・・。できるだけクズな貴族に流れるようにして欲しい」

「・・・。理由を教えてもらえないか?」

「そうだな。”とある貴人”が欲しがっている物を、クズな貴族が入手した場合はどうなる?」

「そうですな。入手先を調べるでしょう」

「特許を調べたりはしないのか?」

「あっ!?まーさん。それは難しいと思います」

「そうなのか?物が手元にあるのなら、それを持って、神殿に行けば、”可否”で判断できるのではないか?」

「それが、”登録”としか判定されないのです」

「似た物を作っても同じなのか?」

「はい。権利者が、似た物を持っていって、判定依頼を行えば、権利を侵害しているのかわかります」

「ふーん。それは、面白いな・・・」

「え?」

 辺境伯は、”なぜ”まーさんが”面白い”と行ったのか理解ができない。
 判定が面倒なのと、権利を侵害されたほうが、証明しなければならないのは、面倒だと考えている。

「フォルミ殿。先程、侵害しているときには、15割までと言っていたが、金銭が発生しないような場合にはどうなる?」

「え?」

「例えば、クズな貴族が、”とある貴人”にポテチを進呈したことで、貴族が”とある貴人”を囲い込むことに成功したとして、その場合の賠償はどうなる?」

「あっ!」

 まーさんに、具体的な事例を言われて、辺境伯はまーさんの狙いが、金銭ではないと把握した。

「どうだ?」

「その場合には、権利者から要求すると思います」

「そうだよな。それなら、金銭よりも得難い物が得られるな」

 まーさんは、テーブルの上に並んでいる料理を摘みながら、蒸留酒を呷る。まだ熟成が足りない。味も香りも喉越しも、全ての項目で満足できない。しかし、まずいエールを飲むよりはマシだと思って、呷っている。アルコールの限界値は認識している。そもそも、酒精が強くなったと言っても、まだまだ弱い。味が無いから、果実と混ぜることで調整している。

 まーさんは、辺境伯に”とある貴人”が欲している物を渡すときには、できるだけクズで矮小で欲に忠実で、邪魔な貴族に流すように依頼した。

「まーさん。理由を聞いていいか?」

「そうですね。辺境伯に売れる”恩”を売っておくと後々楽ができると考えているから・・・。では、どうですか?」

「クッククク。わかった、今はその返事を受け取っておく」

「ありがとうございます。そう言えば、”とある貴人”が求めている物は他にもありますよね?」

「まとめて、ロッセルに渡そう」

「ありがとうございます。必要な材料もあると思いますので、まとめておきます」

「わかった」

 まーさんは、奥の手はまだ隠した状態だ。自分のスキルは、”生活魔法のウォッシュ”しか使えないと、ロッセルにもイーリスにも伝えている。隠蔽や偽装で誤魔化しているのだろうとは思われているが、隠す真意がわからないために、誰も聞いては来ない。

「そうだ。フォルミ殿。錬成に詳しいまともな人は居ないか?」

「錬成?また、マニアックなスキルですね。探しては見ます。まーさんが使えるのですか?」

 辺境伯は、探りを入れるような視線でまーさんに質問をする。まーさんも、予想していた質問なので、慌てることがなく質問に答える。

「いや、カリンが使える。それに、言葉の意味を考えれば、魔法陣を使って物質を変異させたりするのだろう?」

「えぇそうです。あ!もしかしたら・・・」

「どうした?」

「まーさん。鉄鉱石から・・・」

「あぁ物質の分離も、錬成でできるのか?」

「やはり!もしかして、まーさんたちは、鉄が赤くなる原因もわかるのですか?」

「錆のことを言っているのか?だったら、酸化が原因の一つだな」

「やはり・・・。まーさんたちは、錬成に必要な知識を持っているのですね」

「どうだろう・・・。全ての素材がわかるわけじゃないからな」

「それでも、不遇スキルと言われている、錬成が使えるようになるだけでもありがたい」

「わかった。でも、それは、王都じゃ無いほうがいいのだろう?」

「・・・。まーさん。貴方は・・・。わかりました、ロッセルに言って、錬成に関する資料を集めます」

「頼む。それから、俺とカリンの身分証をもう一つ作りたい」

「なぜですか?ラインリッヒ辺境伯の紋章では不服ですか?」

「違う。違う。目立ちたくないときに使う身分証が欲しい。例えば、辺境伯と敵対している派閥の領地を通るときに、紋章がある身分証は使えないだろう?」

「・・・。消せますが?」

「消せるのは解っているけど、俺なら、空いている場所があるのを不審に思う。消していると考えて、追求する」

「・・・。そんな考えは・・・」

「そうだな。でも、考えついたからには対策を講じないと昼寝ができない」

 まーさんは、辺境伯を睨むように見つめる。辺境伯は、まーさんとカリンを取り込むために、身分証に自分の紋章を追加している。まーさんは、それが解っていながら、別の理由を告げている。紋章を消すことはできるのだが、意味が無いと言われてしまっている。それなら、他の紋章の最後にと考えたが、カードの仕組み上できないのは、辺境伯は解っている。大きく息を吐き出しながら、まーさんに目線をあわせて、承諾するしかなかった。

「わかった。用意させる」

「悪いな。紋章が入っている物は、王都で使っても問題は無いのだな?」

「王都なら大丈夫だ。でも、冒険者ギルドだけは注意してくれ、もしかしたら王家に情報が渡ってしまうかもしれない」

「そうなのか・・・。忠告はありがたく受け取る」

 ひとまず、身分証は辺境伯が用意する。まーさんは、ひとまず王都の市場で手に入る物で、再現できそうな物を作成してみる。
 3日後にもう一度、この場所で打ち合わせを行う事になった。

 蒸留器は、そのままイーリスの名前で申請を行う。諸々の手続きは、辺境伯が行うことに決まった。

 この日は、取り決めだけをして、辺境伯は部屋から出た。まーさんは、マスターの店で飲んでから帰ることにしたが、辺境伯は早く申請を行って、いろいろと試してみたくなってしまっている。辺境伯は、飲み始めるまーさんを無視する形で、店をあとにする。停めてあった馬車に乗って、王都にある屋敷に向かうように指示を出した。

 実際に、まーさんは”金”には困っていない。召喚されたあとで渡された金貨もある。それだけではなく、イーリスから協力金をもらっている。日に金貨5枚だ。カリンの分も含んでいる。カリンは、1枚だけもらって、あとはまーさんに渡している。その代わり、護衛としてバステト(大川大地)がカリンの側に日中は常に居るのだ。その他にも、まーさんが市場で大量に買い込んできている物資を使って、いろいろな物を作っているのだ。

「マスター」

「あ!まーさん。それで、どうする?」

「うーん。適当に、摘める物を作ってよ」

「まかせろ!飲み物はどうする?」

「うーん。冷やした物を、最初にもらおう。その後は、ミードを温めてくれ」

「わかった。ミードは、レモンを入れるか?」

「頼む」

 まーさんは、出された摘みを食べながら、冷えた果実酒で喉を潤した。

 辺境伯との話を終えたまーさんは、マスターの店で食事をしながら、アルコールを摂取してから、イーリスの屋敷に帰った。
 門番に、付け届けをしてから、屋敷に入る。まーさんの部屋は、奥なのだが、イーリスたちにお願いして、まーさんが寝るだけの部屋を、玄関の近くに作ってもらった。遅くに帰ってきたときには、部屋には向かわずに、寝るだけの部屋に入る。

「おっバステトさん。今日は、カリンの相手をしていなくて大丈夫なのですか?」

 まーさんが部屋に入ると、ベッドの上で猫が丸くなって寝ていた。まーさんが帰ってきたのに気がついて、身体を起こして”にゃ”とだけ鳴いて、また丸くなった。

「ふぅ・・・。結局、俺は俺だな」

 まーさんは、”自分が何もできない”と考えている。”誰も救えていない”と信じている。
 カリンが聞けば、”違う”と反論するだろう。まーさんの旧友(悪友)たちも同じだ。だが、まーさんは自分を認めていない。今も、結局は”日本に居たとき”の知識を使っているだけで、自分でなくても誰でもできると思っている。

”にゃ”

「バステトさん?あぁ朝ですか?」

”にゃぁぁ”

「ありがとうございます。カリンは起きていますか?」

”にゃ!”

 不思議と会話が成り立っている。
 まーさんは、ベッドから飛び降りるバステトのあとをついていった。行き着いたのは、食堂だ。

「あ!まーさん。おはよう。今日は、早いね。なんか、大量に、食材が届いているらしいけど・・・」

「おはよう。カリンに頼みたいことが有るのですが、今日の予定は?」

「イーリスとの勉強会くらいだよ?」

「そうか、手伝って欲しい事が会ったのだけど・・・」

「いいよ。イーリスには、伝えておくよ」

「あっいや、イーリスにも手伝ってもらいたい」

「わかった。伝えておくよ」

”にゃぁ”

 バステトが、まーさんの肩から飛び降りて、カリンが座っている椅子に爪を立てる。

「はい。はい。バステトさんも一緒に行きましょう」

”にゃ!”

 カリンは、バステトを抱えあげて自分の膝に座らせる。朝食を食べ終えてから、果実水を飲み干して立ち上がった。

「まーさん。どこに行けばいい?」

「あぁまずは、説明をするから、食堂(ここ)で待っているよ」

「わかった」

 まーさんは、食堂でカリンが戻ってくるのを待つことにした。
 持っていた、紙に走り書きをしながら、メイドが持ってきた果実水で喉を潤していた。

「まーさん!」

 カリンが、イーリスを連れて戻ってきた。

「イーリス。カリン。悪いな。手伝って欲しい事がある」

「うん」「はい。何なりと、人手が必要なら、屋敷の者に手伝わせます」

「そうだな。まずは、話を聞いてくれ」

 まーさんは、辺境伯とした話を、かなり端折って説明した。

「それで、何をしたらいいの?」

 カリンの疑問は当然だ。

「あぁカリンは、料理はできるよね。ポテチの材料は知っているよね?」

「え?簡単な物なら・・・・。ポテチ?じゃがいもですよね?え?」

「よかった。実は・・・」

 まーさんは、勇者たちが我儘を言い始めていると聞いた話を、カリンに聞かせた。

「・・・」

「まー様。カリン様。それで、勇者様たちが欲している物は、作れるのですか?」

「あぁ”ポテチ”は簡単につくれる。他は、なんとかなる物もある」

「そうなのですか!」

 イーリスは純粋に喜んでいるが、カリンは複雑な表情を浮かべている。

「まーさん・・・」

 カリンが心配しているのは、まーさんが”ポテチ”を作ったと説明したことだ。彼らが、よほどのバカで無い限り、”ポテチ”を作ったのは、カリンだと考えるのではないかと思ったのだ。ただ、作ったのが知られるだけなら問題はないが、そこから居場所を特定されたり、王宮に連れ戻されたり、面倒を通り越して身の危険を感じるレベルになってしまう。

「大丈夫だ。辺境伯とも、話をしている」

「・・・。わかりました。あ!それで、食材が大量を買い付けたのですね!」

「それもある。醤油と味噌がないから、日本料理の再現は難しいと思う。テリヤキチキンとか食べたかったけど、味醂も無いからな・・・」

「そうですね」

「大豆に似た豆は見つけているから、作ってみるのもいいかもしれないけどな」

「あの・・・。まー様。カリン様。”しょうゆ”というのは、赤黒くてしょっぱい調味料ですか?」

「!!」「え?!」

「”ぎょしょう”と似ていますよね?」

「それだ!あるのか?」

「ありますが、王都では難しいと思います。ラインリッヒ辺境伯様の領なら少量ですが、入手は可能だと思います」

「ん?なぜ?」

「一部のドワーフ族とエルフ族が作っているのですが、数も少ないですし、その・・・、人族以外を・・・・」

「あぁそういうことか・・・」

「はい。他にも、”みそ”や”みりん”や”にほんしゅ”や”す”も、ドワーフ族とエルフ族からなら手に入ります」

「え?味醂や日本酒があるの?それなら、米があると思うけど・・・。辺境伯は、米を知らないと言っていた」

「え?”こめ”ですか?聞いたことがありません」

「え?日本酒の材料なのだけど?」

「”にほんしゅ”は、”イネ”という植物が原料ですが?」

「・・・。イーリス。”イネ”を大量に仕入れることはできるか?」

「可能ですが・・・」

「高いのか?」

「いえ、麦よりも安いと思いますが、食べるのですか?家畜の餌ですよ?このあたりでは、家畜も食べないので、ほとんど流通していません。ラインリッヒ領なら買い付けられると思います」

「頼む。ひとまず、60キロ・・・。買い付けてくれ」

「はぁ・・・。まー様からのご要望だと連絡してもよいですか?」

「大丈夫だ。それなら、醤油と味噌と味醂と日本酒と酢も買えるだけ頼んでくれ」

「わかりました」

 カリンも嬉しそうにしている。

「さて、日本料理の再現は、調味料が揃ってからやるとして、まずはカリンにはレシピを書き出して欲しい。再現して、イーリスが知らなければ、レシピを登録していく」

「はい!」「わかりました」

「まーさんは?」

「異世界物で定番のおもちゃを再現する。リバーシや将棋や囲碁や麻雀は鉄板だろう。それ以外にも、花札やバックギャモンやチェスやモノポリー。あとは、トランプだな。思い出せるボードゲームは全部作ってみようと思う。それと、ジェンガは大丈夫だと思うから、作ってみようと思っている」

「それなら、私は、トランプで遊びを思いつくだけ書き出しますね」

「あっカリン。そう言えば、彼らはスマホを持っていないのか?」

「え?」

「電波が入らなくても、ゲームの1つや2つは入っているだろう?」

「あっ・・・。荷物・・・!!奴らは、スマホは持っていないと思う」

「そうなのか?」

「はい。私に、荷物をもたせていて、あのとき、私は・・・」

 カリンは、魔法陣が出現したときのことを思い出す。
 誰が中心だったのかは思い出せないが、彼らはバステト(当時は、大川大地)を虐めていた。カリンは、バステトを助けようと荷物を置いて駆け寄った。そのときに、召喚の魔法陣が出現したのだ。
 荷物は、魔法陣からかなり離れた場所に置いてあったために、こちらには転移してきていない。カリンの荷物は、自分で背負っていたので一緒に転移してきている。

「そうか・・・」

「あっまーさん。そうだ、料理だけど、レシピは分量まで書きますか?」

「うーん。必要ないかな。作った実物を持っていけばいいのだよな?」

 イーリスを見ると、イーリスが少しだけ訂正した。
 現物を持っていくのは当然だとして、書かれたレシピを持っていったほうが良いということだ。

 辺境伯が言った話が間違えていると指摘された。
 登録を行うときに、”未登録”の場合は、”登録者”の登録を行う必要が出てくる。貴族などは、面倒なので登録を行う物と同時に登録者を示すカードを提示するので、”登録”とだけ通知されるのだと説明された。

「それなら、登録したい物だけを提示して、”登録”と返されたら、既に登録されていて、”登録者”情報を求められたら、”未登録”だということだな」

「まー様のおっしゃるとおりです」

「わかった。辺境伯に、登録のときの注意点として、イーリスが説明してくれ」

「わかりました」

 カリンは、イーリスと屋敷のメイドと料理人たちと、料理の再現を行った。まーさんは、蒸留器を作った工房に赴いてボードゲームの再現を時間のゆるす限り説明をした。あと、思いついた便利そうな物を工房に発注した。

 おっさんは、考えられるだけのテーブルゲームやボードゲームを作成した。カリンも、トランプでできる遊びを書き出した。トランで行うゲームは、商業ギルドに登録することはできないが、トランプの本体は大丈夫だと言われた。カリンのスマホには、タロットカードを使った占いが入っていて、再現は可能だったのだが、おっさんとカリンが”占い”の説明をしても、イーリスはわからない様子だった。神の存在が信じられている世界では、”占い”はあまり意味を持たない。”神託”が存在していると信じられている。それに、”先読み”や”未来視”といった希少なスキルも存在している。

 カリンとおっさんで作った物を、一部を除いて辺境伯に提供すると決めた。

 料理のレシピの一部は、孤児院に提供することになった。おっさんは、しつこいくらいにイーリスに確認をした。

「イーリス。絶対に、大丈夫なのだな?」

「はい。大丈夫です。ギルドも守ります。権利を、貴族や王族や豪商が奪うことは絶対にありません」

「孤児院には、横のつながりがあるのだな?」

「はい。王国内だけでなく、他国との繋がりがあります」

「モグリ・・・。非認可の孤児院は存在するのか?」

「神の祝福を得ていない孤児院ということですか?存在はしていないと思います」

 おっさんは、疑問がなくなるまでイーリスに質問を行った。
 特に、権利関係は絶対に大丈夫だという保証がほしいと言い出して、商業ギルドに人間を呼びつけて問いただした。

 おっさんは、カリンに説明をして、簡単なお菓子のレシピを孤児院に提供することを考えている。レシピを使って、孤児院が主体となって商売ができればよいと考えているのだ。そのためにも、レシピの権利は”孤児院が持っている”ことにしなければならない。

 渡すレシピは、3つに決まった。料理を作っているときに、届いた家畜の餌がポップコーンに適している品種だったのを気がついた。主に作っているのが、辺境伯の領にある村落だと知ってポップコーンを孤児院に渡すことにした。同じく、辺境伯領の港町で取れる天草を使った寒天のレシピを渡す。寒天は、いろいろ使いみちがあるので、思いつく限りのレシピを渡すことにした。
 もう一つは、お菓子ではない。酵母を使ったパンのレシピだ。天然酵母は、カリンが作製を行うことになった。カリンが持っているスキルである”錬成”が酵母つくりで威力を発揮した。その後、酵母の作り方をカリンがまとめた。イーリスの屋敷に居るもので、錬成のスキルを持つものなら生成が可能になったので、酵母のレシピも合わせて登録することになった。

 権利を孤児院に渡すにあたって、辺境伯にも配慮した。おっさんは、辺境伯領が主な原産地になっている物から、レシピを考えて孤児院に渡すことにした。王都にある孤児院だけではない。他の領地にも孤児院が存在している。それらに、材料を提供することで、辺境伯の領に金が回るようにしたのだ。

「まー様。本当によろしいのですか?」

「そうだな。カリンの承認も取れたし、問題はない。ただ・・・」

「ただ?」

「そうだな。王都の孤児院が独占しないようにしたいが、なにか方法はあるのか?」

「はい。連名で権利を主張してみてはどうでしょうか?」

「連名?」

「権利者を、まー様にして運用を孤児院に任せる感じになさるのが一番です」

「そういう方法もあるのだな」

「はい」

「それなら、権利者をイーリスにしておくか?」

「それは・・・」

「なにか、問題か?」

「はい。私はまー様とカリン様のご指示に従いますが・・・」

「そうか・・・。身内から・・・」

「はい。もうしわけありません」

「理由があるのなら、しょうがないな。俺よりも、カリンは・・・」

 おっさんは、カリンを見るが腕を交差させて拒否のサインを出している。

「なぁイーリス。バステトさんではダメか?」

「どうでしょう。でも、確かカードを作っていましたよね?」

「あぁバステトさん用のカードを作ってあるぞ?」

「それなら、私が代理で、バステトさんのカードを持っていけば、登録はできます」

「よし、それなら、バステトさんで登録を行おう。ボードゲームのいくつかも、バステトさんで行って、孤児院に運用を任せよう」

「・・・」「まーさん。ゲームは少し待ったほうがいいと思う」

「そうか?」

「うん。孤児院も、お菓子の販売を始めると思うから、そうしたら手が足りないよ?」

「あぁそうだな。一気にすすめてもしょうがないか」

「うん」

 おっさんは、カリンの言葉で自分の意見を引っ込めた。バリエーションが作られる、双六を孤児院に渡すことに決まった。

 話が決まって、休憩をはさもうとしたタイミングで、メイドが、部屋に入ってきた。孤児院から、院長と副院長がまーさんを訪ねてきたと言われた。

「まーさん様。これが、日記です。お収めください」

 院長と副院長は、通された部屋で椅子に座るのではなく、いきなりおっさんに木の皮で作られた紙もどきを提出した。
 初回だったので、おっさんが受け取ると伝言をだしていたのだ。

 渡された物をカリンとイーリスにも手渡して内容を確認する。
 その間、戸惑うおっさんを見つめながら、院長と副院長は勧められる椅子に座らないで、おっさんの前に立ち続けた。
 院長と副院長は、おっさんからの依頼は、子どもたちのためにもなる。続けたいと考えている。しかし、おっさんが続けてくれるのかわからないので、院長と副院長の対応は当然の物だ。

 全てを見終わって、おっさんは正面に立っている二人に視線を移す。

「ひとまず座ってください」

「はい」

 院長が先に腰を下ろすと、副院長もそれに倣った。

「内容は、大丈夫です。続けてください。安全な範囲で続けてください。内容を読むと、無理している箇所があります」

「はっはい」

 胸をなでおろす雰囲気が伝わってくる。院長と副院長は、おっさんが何を求めているのか不思議でならない。自分たちも、失礼が有っては困ると考えて内容を確認したが、これが欲しい情報なのかわからない。わからなかったが、求められている内容には違いはない。そう考えて、恐る恐る持ってきたのだ。おっさんから問題ないと言われて、余計にわからなくなってしまっている。

「なにか?」

 そんな雰囲気を悟って、おっさんは院長に質問の形で確認した。

「いえ、問題がないのでしたら・・・」

「大丈夫です。私が望んだ以上の物です。やはり、子供の目線は怖いですね」

「え?」

 おっさんは、院長の戸惑う様子を楽しむように、一つの日記を取り出した。

「まーさん様。これは?」

 おっさんは、ニコニコしながら、日記の一部を指差す。

「ほら、この部分です」

 おっさんが指差した部分は、拙い文章ではあるが、『鍛冶屋で、男の人と女の人が、店員に向かって、この前まで銅貨1枚で買えていたのに買えなくなっていると怒っていた』『5本で銅貨5枚だったのが、3本で銅貨5枚になっている』

「え?」

「子供ならではです。多分・・・」

 おっさんは、イーリスを見る。

「あっそうですね。諜報員が調査する事はできますが、鍛冶屋の値段だけを狙って集める必要があります。それだけに集中しなければならないので、難しいのです」

「はぁ」

 院長も、副院長も、情報の重要性には気がついていないが、子どもたちの日記が評価されているのは素直に嬉しい。

「さて、お二人には、もうひとつお願いがあります」

「はい」「なんでしょうか?」

 おっさんは、お菓子のレシピを孤児院に提供するので、横のつながりがあり、子どもたちのことを想っている孤児院で共有して欲しいと伝えた。ただ、権利に関してはまーさんに近い者(バステト)が所有する旨を補足した。他の孤児院に提供するときには、”同じ条件で提供する”そして”日記を子どもたちに書かせる”ことが条件として付けられた。
 大事な条件の一つに、”レシピ”を使って商売をした場合の売上は、全て孤児院におさめて構わないが、”日記”だけは続けさせることが条件だと言い切った。

 おっさんからの条件を聞いた、二人はいきなり立ち上がって、まーさんの手を握って涙を流しながら頭を下げた。
 戸惑うまーさんだったが、二人はまーさんに感謝の言葉を伝え続けた。


 おっ(まー)さんは、朝から不機嫌な気持ちを隠そうとしていない。周りに当たらないだけ大人なのだろうが、不機嫌な態度は大人として正しくない。まーさんは、イーリスの研究所で、まーさんを訪ねてきた者と対峙していた。正確には、まーさんを訪ねてきたわけではない。客の素性を聞いて、まーさんはカリンではなく、自分だけが話を聞くことにした。

 イーリスに頼んで作らせた、黒の作務衣に愛用していた濃い色が付いている丸サングラスをしている。その状態で、椅子に座って足を組んでいる。手には、蒸留して作ったアルコールに軽く匂いと味を付けた物をコップに入れて持っている。研究員に作らせた”氷”を丸くした物を浮かべている。

 まーさんの目の前に座るのは、王宮からの使者だ。
 宰相を名乗っている豚からの書簡を持ってきている。まーさんは、書簡の受け取りを拒否した。イーリスや居合わせたロッセルからも、受け取る必要はない。宰相よりも、異世界から来た”まーさん”や”カリン”の方が、地位が上だと説明された。
 その上で、受取拒否をしたことでの問題点を上げたが、まーさんは問題がないと判断した。

「それで?」

「宰相閣下からの書簡を受け取ってください」

 テーブルに載せた書簡を使者は、まーさんの方に押し込む。
 まーさんは、テーブルを足で蹴り上げるようにして、書簡が乗ったトレイごと使者に突き返す。

「断る。帰ってくれ。俺には、俺たちには、王城に行く理由がない」

 顔を真っ赤にした使者がまーさんを睨むようにしているが、さすがに手を出してこない。

「そちらになくても、こちらにはあるのです」

 使者が使ったこの言葉をまーさんが待っていた言葉だ。
 わざと、不機嫌な態度を取り、上位者だと思っていた使者を小馬鹿にする発言を繰り返す。

 手を出してくれれば、最良だったが”封蝋がされている書簡の内容を口走った使者”が目の前に座っている。
 まーさんとしては、十分だと言える成果だ。

「ほぉ・・・」

 アルコールが入っていたコップを、テーブルに叩きつけるように、置いた。
 一連の動きは、洗練されているとは言い難いが、まーさんがやると絵になる。ドアの隙間から、スマホで録音しているカリンは感心している。

「な、なにを?」

 まーさんは、組んでいた足を解いて、身をまえに乗り出す。

「あぁなに、馬鹿な俺に教えてくれ、貴殿はなぜ、偉大なる宰相であるブーさんの書簡の内容を知っている?」

「え?」

「貴殿は、本当に王城から書簡を持ってきた使者なのか?」

「何を!?」

「もし、正式な使者ならば、封蝋がされている書簡の内容を盗み見るような事は無いだろう。盗み見るような奴が持ってきた、本物なのか不明な書簡は受け取らない。それに、使者を語るような奴と一緒に行くのは恐怖を感じる。俺は、俺たちは、王城にはいかない。イーリス!」

 カリンと一緒に様子を伺っていた、イーリスが扉から出てくる。
 突然の登場に、使者は驚きの表情を見せる。それを見て、まーさんは、使者が3流以下の人間だと判断した。イーリスが所有する館で、たしかにイーリスが常に居るわけではないのだが、まーさんとカリンが居るのに、”イーリスが居る”と思えないのは、知恵が回らない表面しか見ていない者だと判断した。

「まー様。これを」

 イーリスが差し出したのは、まーさんと使者のやり取りを多少の脚色を施した議事録だ。

「いい出来だ。イーリス。ありがとう」

 まーさんは、イーリスから議事録を受け取って、唖然とした表情を浮かべている使者に視線を戻した。
 イーリスは、そのまままーさんの隣に腰を下ろす。そして、扉の外側に居るメイドに命令をだして紅茶を自分の文だけ持ってこさせた。

「さて、使者殿。この議事録を、王城に届けてほしい。1日で十分だろう。1日だけ待ってやる。その間に、宰相から正式な謝罪と貴殿が犯した罪に対する罰が王城から発表されなければ、この事実を公にする」

「なっ!なぜ!?」

「なぜ?使者殿。俺たちが、この屋敷に居るのは、秘匿されている。使者殿は、どうして俺たちがここに居ると解った?それだけではない。館の主人が居るのに、挨拶をしないで、『俺たちを出せ』と、おしゃった。これも、使者のプロトコルとしては間違っている。そのうえで、宰相閣下は自分よりも立場が上に当たる俺たちへの書簡を封蝋がされているのにも関わらず使者殿に内容を教えている。これも、プロトコルとしては最低だ。この一点だけでも謝罪を要求するのにも十分だと思うが?違うのか?」

 まーさんは、使者を断罪するように言葉を重ねる。

「貴殿は、俺たちを下に見ていただろう?」

「いえ、そのような・・・」

「イーリスは、王女殿下だ。貴殿たちからみたら、何も権限を持たない者かもしれないが、王女殿下であることには違いはない」

 まーさんは、ここで、言葉を切って、イーリスを見る。
 イーリスは、苦笑しながらも、まーさんに話の主導権を渡すような仕草をする。

「貴殿は、この段階になっても、イーリスに謝罪の言葉を渡していない。それだけではない!現在の立場を理解されていない。はっきり言わないとわからない程度の者を、宰相閣下は使者に使っているのか?宰相閣下の見識を疑ってしまう」

「それは・・・」

「貴殿は、どうされたいのだ?」

「え?」

 使者が驚くのも当然だ。
 自分は、使者でしかなく、宰相の謝罪まで持ち出されるとは思っていない。それだけではない。使者の役目を果たさないで、宰相に報告を行ったら、身体は首の重さを感じなくなってしまう。もしかしたら、家族にも影響があるかもしれない。
 使者として、”なんで”こうなったのか考えているが、自分の対応は”今までと”変わりがない。
 目の前に座っている人物が”今まで自分が相手をしてきた”人物と違うという簡単なことに気がついていない。今更気がついても、手遅れだが、まーさんは逃げ道も会話の中に用意してある。

 まーさんの用意した逃げ道にも気が付かない程に使者は動揺していた。

 まーさんの隣に座ったイーリスは苦笑しながら、テーブルの上に置かれた紅茶を口に含む。

 イーリスは、紅茶のカップをテーブルに置いて、まーさんを見る。イーリスが何をしようとしているのか気がついて、まーさんは頷きを返す。

「使者殿。貴方は、宰相の指示に従っただけですよね?」

「え?」

 使者は顔を上げて、イーリスを見る。
 そして、イーリスが投げかけた言葉の意味を考える。

「あっ!」

 使者は、イーリスの話を考えて一つの可能性に行き着いた。そして、まーさんを見た。

 使者は、勢いよく立ち上がって床にひざまずいた。土下座のような格好になり、謝罪の言葉を口にした。謝罪と言えば聞こえはいいが、自己弁護でしかない。別に、まーさんも使者が死のうが殺されようがどうでもいいのだが、使える駒が増える可能性がある程度には考えていた。
 そして、土下座する使者を冷ややかな目で見ているイーリスが口を開く。

「使者殿。事情はわかりました。しかし、貴方が行った行為をなかったことにする事はできません」

「え?」

 絶望で顔色を悪くする使者は、上げていた頭を床にこすりつけるようにして懇願する。

「しかし・・・」

 使者は、イーリスの言葉を聞いて、顔を上げて期待を込めた目でまーさんとイーリスを見る。そこには、尊大な態度は見られない。

「まー様。今日は、誰の訪問も受けていませんよね?」

「そうだな」

 まーさんとイーリスの猿芝居が始まった。使者は、猿芝居を不思議な表情で見守るが、イーリスが語った”誰の訪問も受けていない”を聞いて一縷の望みを感じている。二人の言葉のやり取りを、固唾を飲んで見守っている。

「イーリス。今日は、辺境伯と会う約束だけだ」

「そうでしたか・・・。あっ。まー様。もうしわけございません。宰相からの使者が、辺境伯にお会いしたいと訪ねてきていたのをすっかり忘れていました」

「そうなのか?それなら、使者を連れて、辺境伯の屋敷に行った方が良くないか?」

「そうですね。使者は、宰相が行った不正を辺境伯に報告したいと言っていました」

「へぇ・・・。イーリス。でも、それだけじゃないよな?」

「そうですね。なんでも、”定期的に辺境伯に情報を流したい”と相談されました」

「スパイになると言っているのか?」

「そうです」

 使者は、自分が生き残れる道をしめされて、床に頭を打ち付けながら何度も何度もイーリスとまーさんにお願いの言葉を紡いでいる。

 満足な表情を浮かべながら、まーさんはイーリスに話しかける。

「イーリス。俺は、部屋に戻る。それと、辺境伯には、俺からも謝罪をしておく、よろしく頼むな」

「まー様。わかりました」

 土下座のままの使者に目線を向けるだけで、まーさんはイーリスに手を軽く振って部屋を出ていった。

 おっ(まー)さんが、部屋に戻ると、1人の男性が拍手をしながら出迎えた。その横には、苦笑しながら椅子を勧めている男性が1人座っていた。

「辺境伯」

 ロッセルが、拍手をする男性を窘めるように声を上げるが、呼ばれた辺境伯は気にしない様子で、まーさんに話しかける。

「まーさん。すごいね。勇者は、交渉も得意なのか?」

「ん?なにか勘違いしていないか?」

「え?」

「俺は、交渉なんてしていないぞ?」

 ロッセルは不思議そうな表情をするが、辺境伯(フォミル・フォン・ラインリッヒ)は、まーさんが言っている内容がすぐに理解できたようだ。

「そうだな。まーさん。それで?」

「フォミル殿は、豚の周りに間者(スパイ)を潜り込ませているだろう?」

「まーさん。”殿”は必要ない。もちろんだ、優秀な連中を配置しているから、今回も事前に把握できて、まーさんに連絡ができた」

「そうですよね。でも、何度も、続くと”偉大な宰相閣下”は気が付かれませんか?俺なら、”1度は偶然”、”2度目も偶然”、”3度目は必然”と考えて、周りを徹底的に調べますよ。それで、ある程度のグループに分けて、同じ結論に達する違う情報を流しますよ」

「・・・」

「やっぱり、すでに、偽情報が含まれているのですね」

 辺境伯は、まーさんを見ながら頷いた。
 実際、情報戦の大半を”間者(スパイ)”からの得ているとしたら、限界はすぐにやってくる。魔法やスキルがある世界だから、地球とは違う(ことわり)が存在しているとは考えたが、情報を得た者たちが行う動きには大きな違いは見られない。

 実際に、辺境伯は”まーさんとカリン”を王城に連れてこいという命令を使者に出した情報を掴んで、先に動いた。

「そうか、それなら丁度よかった」

「ん?まーさん?」

「今日の使者は、丁度いい捨て駒になると思うぞ?同じ様な連中は、腐るほど居るだろう?」

「すまん。言っている意味がわからない」

「フォミル。貴殿が、情報が盗まれている。近くではないが・・・。間者(スパイ)が居るかもしれないと思ったらどうする?」

「ん?当然、調べるぞ」

「どうやって?」

「どうやって・・・。うーん。身辺の調査をしたり、行動を見張ったり、不自然な者を探すか・・・。あとは、まーさんが言った様に、複数の情報を流して、どの情報に喰い付くか調べるな」

「それで?」

「ん?該当者が居たらという意味か?」

「そうだな。見つからなければ、もっと絞ったり、範囲を広げたりするだけだろう?」

「見つからなければ・・・。そうだな。見つかったら・・・。そうか・・・。奴が、情報を流しているとバレれば、安心するわけか・・・」

「それだけじゃないぞ、同じような、クズな法衣貴族や使えない者たちは、宰相の周りに多いだろう?」

「・・・?」

「そいつらが、連続して宰相を裏切った、または辺境伯の派閥に情報を流していたとバレたらどうなる?」

 辺境伯とロッセルはお互いの顔を見てからまーさんを見る。
 辺境伯は、興味深そうな表情でまーさんを見ているが、ロッセルは驚愕を通り越して恐怖が浮かんだ表情をしている。

「どうした?」

 二人の視線に気がついたが、まーさんは自分のペースを崩さない。
 テーブルの上にある蒸留酒に味付けしてある物をコップに注いで喉を湿らせる。

「まーさん。勇者の居た国は・・・。そんなことはないな。あの勇者を考えたら・・・」

「フォミル。人が集まれば、派閥が出来る。派閥が集まれば、争いが発生するのは、どこでも同じだと思うぞ」

 辺境伯は、宰相の企てをまーさんに伝える事で、まーさんへの借りを減らそうと考えたが、まーさんは貸しているとは考えていなかったために、辺境伯から伝えられた情報の対価として、使えない使者の使いみちを伝えたのだ。

「そうだ。まーさん。例の方は、明日で大丈夫なのか?」

「流石に、今日は無理だろう?」

 辺境伯は、ロッセルを見るが、ロッセルも無理だという表情をしている。命令すれば、無理してでもやる可能性があるが、派閥に関することなので、無理をさせるわけにはいかない。

 まーさんもロッセルの表情から、明日でもギリギリかもしれないと判断した。

「わかった。二日後の夕方に来てくれ、食事を用意して待っている」

「まーさん。辺境伯を送っていきます」

 ロッセルが立ち上がって、辺境伯を別棟に案内する。表玄関は、使者がプロトコルに則って、護衛を待機させたり、馬車を用意したり、まだ時間がかかりそうだ。丁度よい時間稼ぎにはなるが、そのために辺境伯は移動をしてもらわなければならなくなってしまっている。護衛や馬車はすでに移動しているので、問題はない。

「まーさん。二日後に、また!」

「わかった。準備して待っている」

 辺境伯は、ロッセルと一緒に部屋から出ていった。
 二人が部屋から出ていったのを見てから、カリンとバステトさんが部屋に入ってきた。

”にゃぁ”

「バステトさん。もう大丈夫ですよ」

”にゃ?!”

「我慢の必要がなくなると思いますよ」

”にゃぁ。にゃぁ”

 まーさんとバステトさんの会話が成り立っているように感じるやり取りをカリンは不思議そうな表情で見ていた。

「まーさん?」

「ん?あぁ。そろそろ、王都を出る準備をしたほうがいいかもしれないですね」

「え?」

 いきなり、話が飛んだように感じてしまったカリンは、驚きの声を上げるが、まーさんは話の続きをするように軽い気持ちで続ける。

「使者が来たのは知っていますよね?」

「あっうん」

「”あの”豚だけが知っているとは思えない。どこから漏れたのかは、辺境伯が調べるだろうけど、王城の人間は知っていると考えたほうが自然です。もちろん、勇者(笑)たちにも情報が流れていると考えたほうがいいでしょ」

「あっ!」

「そして、俺たちはフォミルを通して、地球に有った物を再現するつもりでいる」

「うん。いくら、彼らが馬鹿でも、だれが作ったのか・・・」

「そうだ、それだけじゃなくて、俺が聞いた話では、彼らはちやほやされていい気になっている。城から出るときには、侍女や護衛が付いている。買い物も、満足にできないと思われているようだ。それだけではなく、戦闘訓練も始まっている」

「へぇ・・・。あっ・・・。まーさんの言い方だと、ちやほやはされているけど、自由がなくなっているということ?お金も自由に使えない?」

「欲しいと言えば、貴族や王族が用意するみたいだけどな」

「・・・。でも・・・」

「あぁ俺たちが出す物は、貴族や王族も欲しがるだろう。料理のレシピを除けば、数は絞られる。彼らは、物の価値がわからない。市場を見て回っているわけではないからな」

 まーさんの狙いが判明したが、それでも移動しなければならない状況がわからない。
 カリンは、話は解ったし、勇者たちが苦労とは言わないけど、困った立場になるのは理解できた。自業自得だし、別にどうなろうと関係がないと感じている。

「ん?あぁ俺が見た所、わがまま放題で、自分の感情が優先されなければ気がすまないのだろう・・・。彼らは?」

「え?あっそうですね」

「自分は権力もあり、物理的な力もあり、地位も勘違いだけど上だと思っている。貴族や王族に”命令”しても欲しい物が手に入らない。それだけじゃなくて、自分たちよりも下だと思っている。俺や君の方が、この世界の”金”を持っている可能性がある。そんなときに勇者(笑)が、取る行動は?」

「え?」

「10秒だけ待ってあげる。考えてみて」

「え?あっ」「9・・・8・・・7・・・6・・・」「わかった!私を探して、脅す!」

「”正解”そのための情報は、すでに持っているだろう?」

「そうですね」

「だから、辺境伯に情報を渡したら、王都を脱出しようと思う。カリンはどうする?イーリスに頼めば、匿ってもらえると思うぞ?」

「え・・・。まーさん。少しだけ考えます」

「うん。流されるのも悪くないけど、自分で出した答えのほうが、納得できるだろうね。辺境伯は二日後に来るから、考えてみて、困ったら”バステトさん”に話をしてみるといいよ」

「ハハ。わかりました。ありがとうございます」

『うん。流されるのも悪くないけど、自分で出した答えのほうが、納得できるだろうね。辺境伯は二日後に来るから、考えてみて、困ったら”バステトさん”に話をしてみるといいよ』

 女子高校生だった、糸野(いとの)夕花(ゆうか)は、おっ(まー)さんの言葉を聞いて、悩んだ。答えは出ているのだが、自分で何に悩んでいるのか不安な気持ちになっていたのだ。

 少しだけ躊躇はしたが、まーさんに付いていった方が安全だと思っているのだ。
 イーリスやロッセルが悪い人間ではないのは、交流してみて解っているし、判明している。しかし、糸野(いとの)夕花(ゆうか)を同じ人間として考えで居るわけではない。やはり、勇者の1人として見ていると感じてしまっている。
 事実として、勇者の1人なのだが、糸野(いとの)夕花(ゆうか)が名前を変えた理由にも関連するのだが、勇者の1人ではなく、”カリン”として生活していきたいと思っているのだ。そのため、イーリスと一緒に居たり、イーリスが紹介してくれる所に居たり、研究所に居るのでは意味がないと考えている。

 そして、まーさんが持ってきた”勇者たち”が増長し始めているときかされたことで、王都を離れたいという気持ちを大きくしている。

 一番の理由は、”まーさんに付いていこう”と考えたからだ。”一緒に、召喚された人”という共通点以外は、今までに遭遇したことがない人なのに、信頼してしまっている。どこか、”憎めない”と感じさせてくれる。

「もしかしたら、大川さんが懐いているからですかね?」

”にゃ?”

 バステトは、カリンの質問とも取れる問いかけに、質問を返すように応えた。カリンは、それが嬉しくなってバステトを膝の上に乗せた。

「ふふふ。どこか、お父さんと同じような感じがしたからなのでしょう。まーさんは、本当は・・・。どんな人なのでしょう?」

 カリンは、まーさんが過去になにかあったのだという事はわかる。
 ”聞きたい”という衝動に駆られたことも、一度や二度ではない。結局、まだ聞けていないのは、聞いてはダメなことだという事がわかってしまった。

 カリンにも、まーさんに言っていない事が沢山ある。

 カリンは、両親を亡くしている。事故だと聞かされているが、おかしな点が多い。だが、力も何も無いカリンには真相を暴き出す手段が無かった。

 バステトの背中を撫でながら、不思議と迷っていない自分に驚いていた。

「大川さん。私は、まーさんについていこうと思う」

”にゃ!?”

 バステトは、びっくりして、カリンの顔を覗き込むように見てしまった。カリンが思いつめた表情をしているので、心配していたのだが、急に晴れやかな声で宣言したのだ。

「え?なぜ?そうだよね。たしかに、ここで暮らしていれば、お金には困らないかも・・・。けど、面白くもないと思う。確かに、勇者が残したという、手記を読んでいると勉強にはなるけど、なんか”違う”と思えてくるの・・・。研究が嫌い・・・。じゃないけど・・・」

”にゃにゃ”

 カリンが何を言って居るのかよくわからないが、カリンがこれからも一緒に居るのだと感じて嬉しくなっている。バステトの鳴き声は、今までと違ってカリンの考えを肯定しているようにも聞こえた。

「大川さんも、そう思うの?」

”にゃ!”

 カリンの問いかけに、肯定の意思を伝えるかのように、バステトは鳴き声を上げて、可愛い肉球が付いた手をカリンの手に乗せる。

「ふふふ。本当に、言葉が解っているみたい」

”にゃ!にゃ!”

 バステトは、”解っている”とでも言うように、鳴きながらカリンの手を何度も叩いている。
 カリンは、バステトを抱きしめるようにして、声色を変えてバステトに話しかける。

「ねぇ大川さん。今から話ことは、まーさんには黙っていてくれる?」

”ん。にゃ?”

 ”何?”とでも言うように、抱かれた状態で、カリンの顔をバステトは見ている。それだけではなく、なにかを感じているのか、さっきまでとは違う反応をした。

「誰かに、私の秘密を知ってほしいの・・・。ダメ?」

”にゃ!”

 カリンは、まーさんにも話せなかったことを、バステトに聞いてもらおうと思った。懺悔ではない。自分の罪を認識したいだけなのだ。

「ありがとう。大川さん。私・・・。お父さんとお母さんが死んじゃったのは、私が・・・。悪いの・・・。私が・・・」

 カリンは、自分の思いをバステトの背中を撫でながら語った。
 両親は、事故で死んだ。間違いなく事故だ。しかし、カリンは事故を引き起こしたのは自分だと責め続けていた。”いじめ”を理不尽に感じながら、どこかに受け入れそうになってしまっていたのも、カリンが”罰”を欲していたからなのだ。

 異世界に召喚される前に出会った変わった大人の男性が、何の縁もない”猫”を助けた事実を知って、考えが少しだけ変わった。
 一緒に召喚されたその男性は、飄々としながら活動している。気がついたら、重大な案件に育っている。カリンは、不思議な気持ちで、その男性を観察している。

「ねぇ大川さん」

”にゃ?”

 呼びかけに首を傾げて応えるバステトが可愛くて、カリンはバステトの頭から背中にかけてゆっくりと優しく撫でる。

「私ね。夢が有ったの・・・。薬剤師になりたかった・・・。なんで・・・。私なの?誰か・・・。教えてよ・・・」

”ふにゃ?!にゃぁにゃぁにゃ!”

 カリンの頬を伝わる涙を、バステトは優しく舐めた。
 慰めているつもりなのか、いつも以上に可愛く首を傾げてから、カリンの腕を肉球でタップする。頑張れと言っているのか、バステトはカリンを励ますように鳴いている。

「ハハハ。大川さん。ありがとう。割り切ったつもりだったのだけど・・・。ダメみたい・・・」

 カリンは、流れる涙を拭き取ってから、バステトに笑顔を見せる。

”にゃにゃ”

 カリンの落ち込む声を聞いて、バステトは”大丈夫”と聞いているかのように鳴き声を上げる。

「うん。大丈夫じゃないけど、平気。本当に、まーさんはすごいよね」

”にゃ?”

「だって、異世界に馴染んでいるようにみえるよ?」

”んにゃ”

 バステトは、カリンも十分馴染んでいると思っている。そんな思いを載せてカリンに応えた。

「え?私も?そんなこと・・・。ないよ。私は・・・。ダメ。迷ってばかりだよ。それに、彼らへの対応もまだ決められない」

”にゃにゃ?”

「ん?あぁ彼ら?勇者様(笑)たちだよ。もう私には関係がない人たち。できれば、関わってほしくない」

”にゃ!”

「大川さんは、優しいのね」

 カリンの手をバステトが舐めて慰めている。

「大川さん。くすぐったいよ」

”にゃぁ”

 バステトは、カリンの手を舐めていたのを止めて、カリンが何かを話すのを待つように、カリンを見上げる。
 カリンにはバステトの優しさが伝わった。舐められていた手で、バステトの背中をゆっくりとした速度で撫でる。

「大川さん。私、彼らを殺したいと思ったのは、一度や二度・・・。では、足りない。毎日のように考えていた。でも、ダメだった。お父さんとお母さんを殺しちゃった私だけど、私の手で殺したわけじゃなくて・・・。勇気が出なかった。それがね。こっちの世界に来たら、どうでもよくなったの・・・。まーさんと一緒に逃げ出して、逃げちゃダメだと思っていたけど、逃げ出したら・・・。こんなに、気持ちが楽になったの・・・。もっと前に逃げ出せばよかった。あっでも、そうしたら、大川さんにも会えなかったね」

”にゃ!”

「うん。私、大川さんに会えて嬉しいよ。大川さんは?」

”にゃ!”

 カリンからの問いかけは、バステトはノータイムで応えられる物だ。

 ”もちろん”という感情をカリンに伝える。
 カリンも言葉ではなく、バステトの心が伝わった気持ちになった。なぜだかわからないが、涙と笑い声が一緒に出てしまっている。

 カリンは、もう”迷わない”自分でやりたいと思ったことをやろうと決心した。
 まーさんは、復讐は悪い事ではないと言ってくれた。カリンは、復讐の方法を考えてみようと思った。そして、まーさんに相談しようと思っている。
 もう迷わないと決めたカリンは、その気持をまーさんに伝えることにした。

 朝からカリン(糸野夕花)は食堂で、まー(おっ)さんに自分の考えを伝えていた。

「本当にいいの?」

「はい。自分で考えて決めました」

 カリンからの話は、予想の斜め上で、まーさんは話を聞いて戸惑ってしまった。同時に、困ったことになりそうだと悩み始めた。
 それでも、戸惑っている状況を見せないようにして、カリンの真意を聞き出そうとしている。

「それにしても思い切ったね」

「そうですか?まーさんから言われて、彼ら(勇者たち)の行動を考えてみました。その結果、最善の方法だと思います」

「そうだね。順番に、対処していくしかないと思うけどいいよね?」

「はい」

 カリンは、まーさんが自分の考えに賛同してくれたと思ったのだが、実際にはまーさんは”なに”も約束をしていない。言質を取られないような言い回しを使っている。悲しいことに、まーさんは、どこに居てもまーさんなのだ。そして、カリンがまーさんの気持ちを悟るのには絶対的に経験が足りていない。

「辺境伯の所では、不安なのか?」

「・・・。はい。辺境伯を信じないわけではありませんが、辺境伯の家臣は?街の住民は?」

「そうだな。それで?」

彼ら(勇者たち)は、スキルやステータスだよりの戦い方をすると思います。ゲームの様な話ですが・・・。私は、プレイヤースキルを磨こうと思います」

「冒険者になるというのか?」

「はい。そのあとで、帝国以外の場所でも活躍が出来るようになりたい。帝国と王国の間にある森で生活できれば・・・」

 カリンの考えは、帝国と王国の間にあり、魔物が徘徊する森で生活をする。カリンの予想では、彼ら(勇者たち)がカリンやまーさんを追いかけてくることは無いだろうと考えている。誰かに命令(強制)すると考えている。そのために、国を出てしまえば、追ってから逃れられる可能性は高い。

 カリンが考えている内容は、まーさんも一度は検討したが、難しいと判断している。
 主に、森での生活の安定が図れるのかわからないからだ。戦闘力という部分でも問題はある。それだけではなく、国々の関係性も解っていない。いろいろ不明な部分が多く判断が難しい状況なのだ。
 自己の安全だけを考えれば、どこの国の領地にもなっていない”森”は潜むのには最適だが、”領地”になっていないのには、なっていない理由がある。
 まーさんは、王都を歩いていて、”命の価値”が想像以上に低いと感じている。奴隷商も存在しているし、スラム街では道端に死体が転がっている。裏路地に足を踏み入れたら、スリだけならましな感じになっている。貴族の馬車が平民を跳ねても、馬車は止まらずに走り去るのは、当たり前のことだ、跳ねられた者が起き上がれないと、ストリートチルドレンだけではなく、身なりがしっかりしている者まで集って身ぐるみを剥いでいく。

 国が領地として考えていない場所。
 盗賊の根城になっていると考えるのが妥当だとう。まーさんが調べた限りだと、森の大きさは”青木ヶ原樹海”と同等だ。樹海の広さを持つ”森”だ。盗賊の根城が一つだと考えるのは無理がある。中心部は、聖獣が住んでいると言われている。入った者は居る可能性があるが、確証がない話で、誰も見たものがいない。森の中心部は、いつしか”誰も立ち入られない”場所だと言われている。中心部だけではなく、森の周辺部以外の場所は、文献や情報を調べても”確実”な情報にはたどり着けていない。魔物に関する情報も錯綜している状態なのだ。

「目標としてはいいと思うよ。まずは、目先の問題を解決していこう」

「はい!」

 まーさんは、カリンの目標を認めつつ、話を直近に考える必要がある物事に誘導する。
 情報が不足している状態では、目標を達成するための、確かな道筋を考えることも不可能なのだ。

「それで、まーさん?」

「ん?」

「王都を出るのですよね?」

「そうだな。逃げ出そうと思っている。俺は、名前を知られていないと思うし、バステトさんは存在さえ認識されていない。カリンも名前が違うから、容姿で手配されない限りは大丈夫だと思う。堂々と逃げ出そう」

「ハハハ。”堂々と逃げ出す”の?」

「あぁコソコソする方が目立つ。だから、辺境伯の馬車が王都を出るときの護衛役にでもなろうと考えている」

「そうですね。時期は?」

「うーん。勇者(笑)たち次第かな・・・。ロッセルに頼んで、状況を調べてもらっているけど、それ次第だね」

 お披露目があるのは確定しているけど、お披露目の前後で王都が混乱するのは解っている。
 入ってくる者たちへの警戒が強くなるけど、出ていく者への警戒はすくなくなると考えている。

「辺境伯には、お土産を大量に渡すから、大丈夫だとは・・・。考えているけど・・・」

「ん?」

「俺たちを、辺境伯が宮廷に売り渡す可能性があるだろう?他にも、ロッセルやイーリスだって同じだぞ?」

「え?だって・・・」

「”だって”じゃない。カリンも、大人が手のひらを返す場面を見てきただろう?」

「・・・。うん」

「辺境伯やロッセルやイーリスが、自分のためにとは考えていない。別の理由があれば、可能性があるだろう?」

「別の理由?」

「例えば・・・」

 まーさんは、極端な例をカリンに説明する。
 たしかに、”無い”と切り捨てることは難しい。そうならないためにも、対策を考えておくと同時に、目的をはっきりとさせておく必要があると、カリンに説明する。

「カリン。俺の目的は、平穏な生活だ。日本に帰ることができれば、それはそれでいいと思うが、どうやら難しい。それなら、この世界で”平穏”に暮らしていければいい。魔物や魔王を倒して、英雄になりたいとも思わない。画期的な開発をして”富”を得たいとも思わない。やりたいことがやれて、手の届く範囲で幸せに慣れれば十分だ。ひとまずは、自分とバステトさんが食べるに困らなければいい」

「うん。私は、搾取されない生活がしたい。自分で、考えて・・・。生きていければいい」

「今なら、搾取する側に回ることも出来るぞ?」

「ううん。それはなにか違う。私は、ちょっとだけ刺激的で、ちょっとだけ楽しくて、たまの贅沢ができる生活がしたい」

「最高の贅沢だね」

「はい!」

「お互いの願いを叶えるためにも、まずは辺境伯に渡す物を精査しよう」

「全部を渡すのではないのですか?」

「うーん。全部を渡してしまってもいいけど、交渉に使えるように優先順位をつけておきたい。勇者(笑)たちが好みそうな物を優先しよう」

「はい!」

 まーさんとカリンは、辺境伯に提供する”物”を選別していった。
 酒類は、蒸留の方法を提供するので、問題はないと考えている。果実酒は、蒸留酒ができれば自然と産まれるだろうと考えている。

 勇者たちが好みそうな”レシピ”に関してもできるだけ提供を行う。
 まーさんとカリンは、異世界物で定番になっている調味料や味塩は提供することにした。発酵食品も考えたのだが、カリンから勇者たちは日本的な発酵食品をあまり食べていないと言われた。しかし、まーさんが食べたがったことや、隠す必要性も少ないということで、提供することにした。勇者の世界にある食べ物だと言うことで、辺境伯の取引に使えるだろうと考えたのだ。
 ボードゲームの類は、辺境伯に渡さないで、自分たちで申請を行うことにした。

 登録者は、第一にバステトさんにしておいて、ダメならまーさんの名前を使うことにした。
 まーさんなら、貴族が囲いに来ても、けむに巻くことが出来るという判断だ。

 二人で決めたことだが、申請に関しては、まーさんは悩んでいた。
 カリンの名前にして、カリンが生活出来る基盤を作ったほうがいいのではないかと思っていたのだ。しかし、申請をした場合に貴族が群がってくる可能性だけではなく、勇者たちの攻撃対象になってしまう恐れもある。
 今の所は、問題は出てきていないが、綱渡りをしている感覚があり、無茶ではないが無理を通そうとしている自覚がある。まーさんは、そんな状況にカリンを巻き込んでいいのか、悩むのだった。

 室内は異様な雰囲気に支配されていた。

「まーさん。カリン殿。レシピは全て、遊具も全て・・・。申請を行うというのですか?」

 顔を引き攣らせながらラインリッヒ辺境伯は、前に座るまー(おっ)さんとカリン(糸野夕花)に真意を問う。

「問題はあるのか?」

 剣呑な雰囲気にのまれて、カリンは黙ってしまっているが、まーさんは普段と変わりがない口調で辺境伯に質問で返す。

「”ない”と言えば嘘になってしまいます」

「どんな問題だ?」

「申請は大丈夫だと判断します。全部のレシピの申請が降りるとは・・・」

「それはそうだろうな。似たような料理が存在している可能性もある。それに、レシピ同士でも似てしまっている内容も多い。全部が登録できなくても、大丈夫だ」

 まーさんの言葉を聞いて、辺境伯は安堵の表情を浮かべる。
 脇においてある、遊具を見る。

「まーさん。あの道具は?」

「遊具だ。ボードゲームの類は、バステトさんの名前で登録しようと思っている」

「ん?バステト殿?」

 まーさんは、バステト(大川大地)を辺境伯に紹介していなかったことを思い出した。

「あぁバステトさんを紹介していなかったな」

”にゃ!!にゃ!!”

 バステトが、カリンの膝の上に飛び乗った。
 どこから出したのか、カードをカリンの膝の上において手で辺境伯の方に押し出す。

「え?」

「俺とカリンと一緒に、召喚されてしまった。バステトさんだ。本名は違うが、こちら風の名前を名乗っている」

”ふにゃ!”

 ”よろしく”とでも言っているように、バステトは辺境伯に向かって手を上げる。
 それと”早くカードを見ろ”と言っているようだ。

 カリンが、膝の上に置かれていたカードを取って、辺境伯に差し出す。

「は?バステト・・・。え?」

「無理なのか?」

「あっ・・・・。バステト殿がカードを差し出すと・・・。魔力を流してから、まーさんがカードを差し出せば可能だとは思うが・・・」

「そうだな。試してみればわかるだろう」

「わかった。手配しよう。それと、レシピはいいのか?」

「あぁ好きに使ってくれ」

「見返りは?」

「俺と、カリンと、バステトさんは、王都を出たい。協力してくれ」

 辺境伯は、まーさんから以前に聞いていたが、はっきりと宣言されてしまっては、断ることが出来ないと考えた。

「協力は惜しまない。我が領でいいのか?」

「そうだな。領都ではなく、第二の都市がいい。街の中心に近い場所に空き家があると嬉しい。可能なら、国境に近いほうが嬉しい」

「手配しよう。勇者たちのお披露目のときに王都を出る予定でいいのか?」

 まーさんは、辺境伯の言い方が気になった。

「ん?今の言い方だと、他にもチャンスがありそうだな」

 辺境伯は、表情を変えないが、”言い方”が悪かったと認めるしか無い。

「リスクはあるが、領都に向けて、馬車を走らせる」

「理由を聞いても?」

「宰相が、貴族は全員参加を義務付けやがった。それだけではなく、奥を同伴せよと、王命を出してきた」

 カリンが、”奥”と聞き慣れなかったのだろうか、首をかしげる。まーさんが、”奥”の意味を説明して納得している。

「その馬車に乗り込んで、王都を出ることができそうだな」

「可能だ。しかし、領都に向かうぞ。いいのか?」

「構わない。そこで、足あとを残せば、調べるにも時間がかかるだろう。それで、第二の都市での拠点は確保できるのか?」

「そうだな。家の者に指示を出す。馬車が王都を出るまで待って欲しい」

「わかった」

 まーさんと辺境伯は、詳細に付いての話を始めた。
 蒸留した酒精に果実を絞った物を混ぜた”ジュース”を飲み始めている。辺境伯は、このあとの予定をキャンセルして、まーさんとじっくりと話をするようだ。レシピで簡単にできる物をメイドたちが作って”試食”している。

「辺境伯様。まーさん。私とバステトさんは、部屋に戻ります」

 カリンは、大人二人が飲み始めたのを見て、今日は話にならないだろうと思って部屋に戻ろうとした。

「あっカリン。少しだけ待って欲しい」

 まーさんが、カリンを呼び止める。

「??」

 自分に用事があるようには思えない状況で呼び止められて少しだけ意外な感じがした。
 元々座っていた所に腰を下ろした。

「フォミル殿。腹のさぐりあいも嫌いでは無いのですが、時と場合によります。それに、彼女が誤解して、安心してしまうのは困るので、率直に聞きます」

「え?」「・・・」

「勇者たちが、カリンを連れてこい・・・。そうですね。奴隷にでもしようとしているのでは無いのですか?」

「え?あっ・・・」

 カリンは声に出して反応してしまったが、辺境伯はカリンではなく、まーさんをまっすぐに見ている。

「それだけじゃないでしょ?カリンの居場所が特定されかけたと・・・。そんなところですか?」

「まーさん・・・」

 カリンが、まーさんの言葉を聞いて絶句した。
 昨日まで、そんな話はしていなかった。それに、今日の辺境伯の会話でも、勇者(元同級生)たちの動向は話題にも上がっていない。自分を探している理由もわからない。

 まーさんは、驚愕の表情を浮かべる。カリンを見る。座り直したカリンの膝の上に座っているバステトさんの頭を優しく撫でる。

「カリンに、料理でも作らせるつもりでは無いのですか?」

「あっ」

 カリンも、まーさんが言った”料理”で勇者(元同級生)たちが何を考えたのか想像できた。
 この世界の料理は、美味しいのだが味が単調なのだ。塩だけとか、使われても胡椒だけとかになっている。砂糖も使うのだが、素材が美味しいために、料理の技法や味の多様性が産まれていない。

「まーさん。それは、調べたのか?」

 辺境伯が、持っていたカップをテーブルにおいて、まーさんをまっすぐに見つめて質問をする。

「いいや。フォミル殿が今日のこの時間に来て、酒に付き合ってくれて、俺たちが王都を出る方法を新しく提示したことを考えれば、予想ができる話だ」

 カリンは、まーさんが言っている話がよくわからないが、質問ができるような雰囲気ではない。
 大人同士が知恵比べをしている場に紛れ込んでしまったかのような錯覚に陥っている。

「はぁ・・・。カリン殿。まーさんが語った話は、ほぼ正解だ」

「ほぼ?」

 カリンが辺境伯に質問をする。
 ”ほぼ”の内容で、対応が違ってくるからな。

「あぁ居場所の特定はまだだが、時間の問題だ。それと、奴隷ではなく従者にする・・・。と、言っている」

「同じことだな」

 辺境伯の説明を、まーさんが両断する。

「そうか、場所の特定は、貴族家の誰かが匿っていると思っているのだな。従者・・・。そうか、勇者のお披露目のときに、晒し者にするつもりなのか?」

「え?」

 まーさんの説明を聞いて、辺境伯が驚くが、前半部分が正解だったためだ。後半は、カリンが驚く”晒し者”の意味がわからないからだ。

「晒し者?私が?え?」

 大人二人が、カリンを見てから首を横にふる。
 カリンは気がついていないようなので、大人二人はあえて教えないという判断をした。

 実際に、カリンを連れてくるように言っているのは、一緒に召喚された勇者(元同級生)全員ではなく、女子の3人だ。特に、埜尻(のりじ)玲羅(れいら)はカリンに見窄らしい格好をさせて、自分の従者のように連れ回して優越感に浸りたかった。カリンを晒し者にしたかった。他の女子二人も、似たような思考だが、埜尻(のりじ)玲羅(れいら)よりも、現実的で自分たちの料理を作らせようと考えていたのだ。

 大人二人は、カリンの容姿を確認してから、また首を横にふる。わからないのは、本人だけなのだろう。

「フォミル殿。それで、時間的な余裕は?」

「それは、大丈夫だ。ここに踏み込まれることは絶対にない」

「なぜ?」

「この前の使者が、”もうひとりの勇者は居なかった”と証言している。(カリン)は、ロッセルの実家がある街への移動したようだと報告させた」

「ハハハ。早速、試したのだな」

「あぁ見事に引っかかってくれた」

「そうか、ロッセルの実家には迷惑をかけたな、なにか”礼”をしないとならないな」

「それは、大丈夫だ」

「わかった。フォミル殿を信用しよう」

 カリンの膝の上にいたバステトが、丸くなって寝始めたので、カリンはバステトを連れて部屋から退出した。
 まーさんと辺境伯は、本格的にレシピの確認と蒸留酒の確認を始めた。

勇者召喚に巻き込まれたおっさんはウォッシュの魔法(ウィッシュのポーズ付き)しか使えません。

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