「夢見、当たらないな。今回は外れじゃないか?」

 彼の夢を見てから二週間。
 トーヤの言うように彼には会っていない。

「彼が……竜人の国に来る理由もないと思うけど」

 朝食のソーセージにかぶりつく。

「観光で来るかも知れないだろ。規制されていない森や街は、人間も他の種族も入れるからな」

 確かに竜人の国と言っても、街には人間も住んでいる。他の種族、エルフやドワーフも。
 様々な種族がいるからこそ、私も肩身の狭い思いはせずにすんでいた。

「……ファシーお使い頼めるか? 師匠から、クーデル爺の店で蜂蜜を貰って来いと連絡が来た。俺は今日、治療日だから時間がなくて」

 トーヤは週に一回、森の奥に一人で住んでいる竜人の診察に行っている。
 そろそろ寿命を迎えるその竜人は、思い出の詰まったそこから決して離れない。

「大丈夫よ。今日は調子も良いから一人で行けるわ」

「気を付けろよ。竜人は問題ないと思うが、何かあったら必ず笛を吹け」

 本当にトーヤは心配症だ。
 そんなトーヤを安心させるように、私は大きく頷いた。



「ファシー、持てるか? 無理だったら後から届けるよ」

 持って来た籠に蜂蜜を詰めていると、竜人のクーデルさんが心配そうに私を見た。
 白い立派な髭がトレードマークのクーデルさんは、師匠とは旧知の仲らしい。その縁で私にもあれこれ世話を焼いてくれる優しいお爺さんだ。

「大丈夫よ。これくらい持てるわ。だって小さな瓶二個じゃない。トーヤもクーデルさんも心配しすぎよ。じゃあ、行くわね、ありがとう」 

「……そうは言ってもなあ」

 蜂蜜屋の前で話していると、ふいにクーデルさんの目つきが鋭くなる。そして辺りを見渡すと、私の腕を引いた。

「ファシー、もう少し待て。……仰々しい人間達が来る」

 クーデルさんが鼻を鳴らすように匂いを嗅ぐ。
 すると、周りの店からも竜人達が警戒するように出て来た。その人数は多く、あっと言う間に人垣が出来た。

「えっ。……人間?」

 思わず身体が強張り彼を思い出す。

 ――白銀の髪と緑の瞳の彼を。

 やはり夢見通りに会ってしまう運命なのかと怖くなり、クーデルさんの後ろへと隠れた。

「ファシー、大丈夫だ。脆い人間など竜人達の相手ではない」
「そうだぞ。俺達が傍にいるから大丈夫だ」
「ファシーは怖がりだな」

 怯えた私を見て、クーデルさんは勿論、近くにいた顔見知りの竜人達が口々に励ましてくれた。

「う、うん。皆、ありがとう」

 強張った表情でそう言うが、身体の震えは止まらない。

 あれから五年。

 私がいなくなれば王女との結婚に何の支障もない。二人はすでに結婚しているかも知れない。
 そう思うと、もう終わったことなのに胸にチクリと痛みを覚えた。

「来るぞ」

 一人の竜人が遠くを指さす。
 すると、物々しい厳重な警備の一団が向かって来た。

「……アリーシェ国のものだな」

 ビクリと肩が揺れた。

 そんな私の反応に、周りにいる竜人達は気づいているのに見て見ぬふりをしてくれる。それどころか、私を隠してくれるように何人かが前に出た。

 男達の隙間からこっそりと行列を盗み見る。
 兵士や騎士達が警戒して固める中心には、王家の紋章が入った立派な馬車が一台。どうやら王族が乗っているようだ。

「……あ」

 その馬車の近くで警戒している人物に目が釘づけになった。

 長かった白銀の髪はばっさりと切られ、どちらかと言えば中性的だった雰囲気は無くなっていた。それどころか精悍さと男らしさが増している。
 五年前は柔らかな雰囲気だったのに、今はそれを感じない。まるで別人を見ているようだった。

 真面目さと厳しさだけが伝わってくる容貌に、何が彼をここまで変えたのかと慄いてしまう。
 誰も寄せ付けない切れ長の瞳は鋭く、その眼差しは何かを感じたのか、ふいに私へと向けられる。

 正確には私ではなく、私がいる一角に。
 目が合ったような気がして、思わずクーデルさんの服を縋るように掴んだ。
 人間よりも身体能力がずば抜けて良い竜人達は、私とあの騎士が知り合いだと悟っただろう。

「……大丈夫だ。君がいるとは気づいていないよ。トーヤはいつ帰って来るんだい?」

 クーデルさんがトーヤの帰宅時間を聞いて来る。
 こんなことは初めてだ。今まで、誰にもトーヤや師匠の行動を聞かれることはなかったから困惑してしまう。

「夜よ。森の奥へ行く日だから」

「ああ、そうだったね。ファシーよく聞くんだよ。帰ったら鍵をかけて誰が来ても入れてはいけない。家に入れて良いのはトーヤと師匠だけだよ。良いね? 外出も駄目だ」

 こんなことを言われるのも初めてだった。
 周りにいる竜人達もアリーシェの一団がいなくなると何処かへ消えて行く。

「は、はい」

「送って行きたいが、私達が連れだって歩くと目立ってしまう。一人で帰れるかな?」

 目立つ……? どうしてだろう。 二人で歩いていても今まで問題なかったのに。
 いつもではないが、時間がある時は普通に家まで送ってくれる。どうして、クーデルさんがこんなことを言うのか不思議でならない。

「大丈夫です。家まですぐそこだから」

 クーデルさんのお店から家までは普通に歩けば十分。だが、私の足では二十分はかかってしまう。

「……あの人達は何をしに来たのでしょうか?」

 それが一番気がかりだった。
 馬車の中に乗っているのは多分王族だろう。ピリピリとした雰囲気からして、ただの外遊ではなさそうだ。

「ファシーは知らないのかい。アリーシェでは今、疫病が流行っているらしい。その特効薬を探しに来たのだろう。竜人の鱗や皮膚、爪は薬にもなるからね」

「……疫病?」

 初めて聞いた事実に驚きを隠せない。トーヤはそんなことを一切言ってなかった。
 頭に浮かんだのは、そこまで仲が良くなかった家族のこと。

「疫病は酷いの? そんなに広がっているの?」

「……ファシー、今の内に帰るんだ。あとはトーヤに聞きなさい」

 クーデルさんが強い口調で私を見た。

「わかったわ。蜂蜜ありがとう」

「ああ、気を付けて」

 クーデルさんに手を振ると歩き出す。
 あんなにも見物に出て来た竜人達の姿はまばらだ。

 後ろを振り返ると遠くに人垣が見えた。
 これから竜王との謁見があるのだろう。
 ゆっくりと杖で身体を支えながら歩き、さっき見たルーファス様を思い出す。

 すると、またちくちくとした痛みを覚えた。

 彼は夢見通り騎士になっていた。それも立派な騎士に。
 それはそうよね。文官になったのはルーファス様の意志ではなかったのだから、私が居なくなったのなら騎士に戻っても誰も何も言わないわ。

 私、一人だけが文官になって欲しかったのだから。

 杖をつき、もう片方の手に籠を持っているせいで、溢れてくる涙を拭うことが出来ない。

 転ばないように慎重に歩いていると、後ろから馬の蹄が聞こえてくる。それも凄く急いでいるようだ。
 何だか怖くて道の端へと身を寄せる。

「ファシーユ」

 いきなり名前を呼ばれ背中に嫌な汗が流れ落ちた。
 空耳かと思ったが、大好きな人の声を私が間違える訳がない。

「ファシーユ!」

 その声は徐々に、そして確実に近づいて来る。
 懐かしいその声に思わず振り向くと、そこには馬から下りたルーファス様がいた。

「――っ!」

 逃げようとするが、上手く歩けない足では機敏に動くことが出来ず、一歩後ずさるだけで精一杯。しかも、動揺したせいで蜂蜜入りの籠も杖も落としてしまった。

 焦っている私に近づいてくるルーファス様は、眉間に皺を寄せて怒ったような顔を私に見せる。

 ――怖かった。

 何を言われるのか想像がつかない。彼がアデル王女と結婚した話も聞きたくなかった。
 思わず目を瞑る。

「……ファシーユ。無事で良かった。ずっと探していた。……生きていて良かった」

 そう言うと、ルーファス様が私を抱き締める。
 訳が分からなかった。

 ……私を探していた? 嘘だ。彼が私を探すはずがない。だって、私は彼にとっては邪魔な存在。

 彼と王女が抱き合っている姿や、まるで恋人のように語り合う姿なんて見たくない。なにより、彼は、溺れる私よりも王女を選んだのだから。

「い、いや。――離して! 触らないで!」

「ファシーユ?」

「いや!」

 思いっきり突き飛ばそうとするが、体力の落ちた身体では無意味で、彼の腕の中から逃れることは出来ない。

「落ちついて、ファシーユ。お願いだ、こっちを見てくれ」

 懇願するような彼の声を聞きながら、何とか逃れようと身体を捻る。
 すると視界に入ったのは銀色の笛。
 それを掴むと、思いっきり笛を吹いた。

 ――助けて。と、心の中で何度も叫びながら。

 だが、いくら吹いても音が鳴らない。何も聞こえないのだ。

「どうして……」

 トーヤが嘘を付いたのだろうか? 必ず助けてくれると言っていたのに。
 また、裏切られた?
 そう思うと涙が溢れる。

「ファシーユ、泣かないでくれ。一緒に行こう。話さなければならないことが沢山ある。お願いだ……」

 抵抗を止めてボロボロと泣き出すと、困ったようにルーファス様が私の顔を覗き込む。
 静かに泣く私の肩にルーファス様が手を置くと、ザワリと空気が変わった。

 それは私だけではなくルーファス様も感じたようで、辺りを警戒するが変わった様子は何もない。

「ファシーユ、行こう」

 そう言うと私を抱き上げようとする。



「――あら、人間って野蛮ね。女性の扱い方から学んだ方がよろしくてよ? その汚い手をお離しなさいな」

 聞こえてきたその声に、さらに泣いてしまった。
 見捨てられていなかったのだと安心したから。