――夢を見た。
彼が私の前に現れる夢。
それも文官としてではなく騎士として。
だめ。騎士になって私の傍にいると、あなたは死んでしまう。だからダメ。来ないで。私を見つけないで……お願いだから。
「ファシー起きろ。俺は森に行って薬草採ってくるからお前は店番。早く起きろ」
柔らかなリネンを剥ぎとられ、何度も揺すられ起こされる。今日はこのまま寝ていたいのにそれを許してくれない。
「嫌。……起きたくない」
「なんで? どうした?」
私を叩き起こそうとしていた大きな手は、泣いている私の頭を優しく撫でる。
「嫌な夢を見たの。……泣きそう」
「もう、泣いているだろ。大丈夫だ。俺と師匠で守ってやるよ。誰もファシーをいじめないから」
その呆れたような声に鼻をすする。
「……見たの。あの人が来る……どうしよう。どうしたら良いのかわからない」
「そうか。でも、会ってもわからないかもな。ファシーがここに来て五年だ。あの頃の面影はあっても、わからないかも知れないだろう」
トーヤの言葉に寝台から起き上がる。
「……師匠は?」
「王宮。しばらくは戻らない。ほら、一階に下りるぞ」
そう言うと、トーヤが私を軽々と抱き上げる。
長身のトーヤに抱き上げられるのは、いつまで経っても慣れない。
五年前、川に流された私は奇跡的に生きていた。良く生きていたなと我ながら驚いた。
流れついたのは、住んでいた国から遠く離れた竜人達が暮らす国。
脆く弱い私達人間とは違い、皮膚も固く寿命が長い竜人は最強と呼ばれていた。
私を拾ってくれたのは、黄金の髪と瞳を持つトーヤだ。
見た目は人間で言うと二十代。
だが、竜人の年齢だと二百歳を少し超えた所だと言う。仕事は薬師と医術師。
そして驚くことに、トーヤは竜帝の三番目の息子。所謂、王太子の身分だったりする。
トーヤが言うには、王位継承権は持っているが、長兄が優秀すぎるため絶対に王位は回ってこないらしい。
そんなトーヤは自由に育ち、現在は市井の一角で店を構えていた。その店を私も手伝っている。
そして、もう一人の恩人はトーヤの師匠に当たるミセイさん。
王宮の侍医が本職で、たまにこの店に戻り、私に色々教えてくれる私にとっても師匠だ。
師匠は人間の歳で三十代に見えるが正確な年齢はわからない。
トーヤ曰く聞かない方が良いらしい。
そんな師匠はしばらく王宮でお仕事だという。
「ごめんね、いつも運んでくれて」
毎日のように私を抱え、階段を上ったり下りたりしてもらう手間を考えると、いつも申し訳ない気持ちになってしまう。
「気にするな。人間のお前なんて林檎みたいなもんだ。焦らなくても、もう少し頑張れば普通に歩けるようになるさ」
軽い口調で何でもないようにトーヤは言う。
でも、私は素直に頷けなかった。
あの濁流に流された私は無傷では済まなくて、一年間は寝た切りの生活。その後、三年かけて動けるまでに回復した。
日常生活はおくれるが、右足は今でも治療を続けている。歩くことは出来るが長時間は難しく、階段の上り下りも時間がかかる。
トーヤには迷惑をかけまくりだが、一度も嫌な顔をされたことはない。
口は悪いけど優しいトーヤはお兄さん的存在。
「飯は用意してある。客は来ないと思うが、何か問題が起きたら笛を鳴らせ。良いな」
トーヤが何回も念を押した。
確認するように首に下げている銀色の笛に触れる。
それは、トーヤ達に助けられるとすぐに渡された物。肌身離さず寝る時も付けているようにと何度も言われていた。
この笛を吹けば、必ず誰かが助けに来てくれるらしい。だが、幸いにも使ったことは一度もない。
「わかった。大丈夫だよ。気を付けて行って来てね」
「ああ」
まるで夫婦のような会話だが、私達の間に恋愛感情はなかった。どちらかと言うと家族のような関係。
なぜなら、トーヤは番を亡くしている。竜人にとっては命と同等の存在を。
トーヤが出て行くと着替えるために歩き出す。
だけど嫌な夢を見たせいか身体が重い。机や壁に手を付きゆっくりと進む。
顔を洗い着替えると台所へと向かい食事をする。
そこには、大きな鍋いっぱいにカボチャのスープにライ麦パン。こんがりと焼かれたソーセージが大量に皿の上に置かれていた。
食べられる分だけ食べ終えると、台所の隣にある店へと向かう。
窓が一つだけのほの暗い空間には、いくつもの飾り棚がある。そこに置かれているのは透明な瓶に入った薬草の数々。
「さてと、掃除でもしようかな」
一応、薬屋を名乗ってはいるが、頑丈な竜人は滅多に訪れない。
客が来ても、対応は全て医術師として名高いトーヤが受け持っている。
私が手伝えることは、ほとんどが掃除と雑用。
ガラス瓶を手に取り布で拭いていると、夢を思い出す。
五年前に死ななかったと、生きていたと感じた瞬間に「忘れる」と誓ったあの人のことを。
「……嫌だな。会いたくない」
不安だけが押し寄せてきて、また泣きたくなる。
この五年間、竜国に関する夢は何度も見た。
その度にトーヤと師匠に報告した。
あの二人は、私のこの力を気味悪がったりしない人達だった。最初、伝えた時、その適当さと明るさに拍子抜けしたほど。
どうやら竜人の国にも、私のような未来を見る人がいたらしい。そのせいか免疫があるらしく、特に何とも思われず普通に受け入れられた。
そんな中、彼の夢を見た。
夢見は今まで一度も外れたことがない。
ずっと考え込んでいると、心がもやもやして胃が痛くて気持ち悪い。
「会ったらどうしよう。……でも、トーヤが言う通り、私だとわからないかも知れない」
ふと近くにあった鏡を見つめる。
ぼんやり映るそこには、アメジストの瞳で不安そうな顔をしている自分の姿。
長かった髪は肩まで揃えられ貴族の令嬢には到底見えない。
しかも治療が長引き、寝た切りの生活が長かったせいか体力が落ちた。
「……貧相な身体。少しでも健康体に近づけなきゃ」
一つため息を吐くと、また掃除を再開した。