――その日、初めて恋を知った。

 五歳だった私がその感情の名前を知ったのは、もっと大人になってから。そして、その人が私の婚約者になったのは七歳の時。

 伯爵令嬢である私と、次期侯爵となる彼との婚約は自然な流れだった。それからは貴族のお手本のような交流を続け、関係は順調そのもの。
 流れが変わり始めたのは、私が十五、彼が十九歳の時。

 文官として働き始めた彼は、ある高貴な女性と親しくなった。事あるごとに一緒にいる姿を目撃され、周りは噂しそれが広がった。

 そして、十六になった今日、事件は起こる。
 貴族の若い令嬢や子息を集めた王家主催のお茶会で。
 いつもは王宮の庭で開かれることが、今回は趣向を変えて離宮で行われていた。
 広大な森の傍にある大きな川。自然豊かなその場所は、貴族に人気が高い。
 今、私の目の前には、人目を避けている二人の男女の姿。その二人に見つからないように木の影に隠れて息を殺している私は、とても伯爵令嬢には見えないだろう。

「ルーファス様。わたくし、あの……」

 頬を赤らめ恥ずかしそうに俯くのは、我が国、アリーシェ国の三番目の王女であるアデル様。
 ふわふわの蜂蜜色の髪に、爽やかな空を思わせる青い瞳は緊張しているのか潤んでいる。
 庇護欲をそそる愛らしい顔立ちは、誰もが思わず息を飲むほど。

「アデル様……」

 その向かいに立っているのは、侯爵家の嫡男であるルーファス・ブラックリ―。私、ファシーユ・ドニコールの婚約者でもある。
 白銀の長い髪は後ろで一つに束ね、困ったような顔をしながらも拒否する様子はない。

 彼の緑色の瞳は真っ直ぐにアデル王女を映していた。
 どう見ても密会だ。

「わたくし、ルーファス様をお慕いしております。婚約者がいることは存じております。でも、でも……」

 涙を一筋流した王女は、ルーファス様の胸へと飛び込んだ。

 ……あ、ずるい。婚約して九年。ルーファス様は私を抱き締めてくれたことなんて一度もないのに。それどころか、手さえまともに繋いでくれない。

 唯一、手を重ねてくれたのもダンス以外でたったの二回。
 その二回は、私がドレスの裾を踏んづけて転びそうになった時。それ以外は常に距離を保ち、私に一切触れようとはしなかった。
 凄く真面目で礼儀正しい。別の観点から見れば、私に興味がないか嫌っている。そんなルーファス様が王女様の肩を抱いている。しかも、髪を撫でていた。

 一目惚れをして十一年。一度もルーファス様は、私に「好き」とも「愛している」とも言ってくれなかった。

 彼にとっては貴族では当たり前の政略結婚。そして、私は今、捨てられそうな気がする。
 なにせ相手は、私が太刀打ち出来ない身分と容姿を持っている自国の王女様。周辺諸国で争い事もないおかげで、アデル様は他国へ嫁ぐ必要もないため婚約者はまだいない。

 二人はどう見ても相思相愛。これで私との婚約はなくなる可能性が高い。

 心の奥がジクジクと苦しくなる。これが初めての失恋だからだろうか。堪えていても、頬に伝う涙は止まらなかった。
 本に書いてあった通り、初めての恋は実らないものらしい。

 本当は噂が広がる前から気づいていた。
 ルーファス様に好きな人がいることを。それが、アデル王女であることも。しかも二人で並んでいると、一対の絵画のようにお似合いなことも。

 嗚咽を堪えていると二人が歩き出す。

「……やっぱり未来通りなんだ。なら、あの未来を変えないと。じゃないと、ルーファス様が悲しむから」

 涙を乱暴に手で拭う。
 
 ルーファス様のために、私は今日……死ぬのだから。