「お疲れさまでーす」と真名が編集部に入る。

「おー、真名ちゃーん」と律樹がヘッドホンを外した。

 律樹に頭を下げると、息を切らせながら真名が自分の席に鞄を置く。編集長席には昭五、隣には泰明。みんな揃っていた。

「どれですか?」

 泰明が、自分と昭五の間にある段ボールからあるモノを取り出した。「月刊陰陽師」最新号。浩子の記事も含め、真名が初めてかかわった「月刊陰陽師」の見本刷りが出来上がってきたのだ。

「ほれ」と泰明が一冊、真名に渡す。

「うんうん。今月もよくできたよ。いいね、いいね。データクラッシュは何回だった?」

「三十回。余裕で記録更新したよ」と律樹が笑っていた。


 真名はそのやりとりには参加せず、「月刊陰陽師」をめくる。三鷹某所で起こった女の声のするアパートの謎、占星術のサークルで起きたぼやの真相、パワースポットのあれこれ、そして――死してなお恋人を守り続けようとした女性の物語。
 自分の仕事が具体的に形になっている。恥ずかしくもあり、うれしくもあり。
 いや、いちばん大きな感情はただひとつ。〝信じられない〟だった。


「神代がかわったところ、誤植はないな?」

 これが本当の最終チェック。

 ここでもし致命的なミスが発覚した場合は、市場への流布を止める。
 記事のデータが違っていたとか、神さまの名前を間違えているとかが〝致命的なミス〟に該当する。
 本来、神仏の光を感じなければいけないところで、あやかしに通じるような悪霊文章になっている場合も同じだ。

「……大丈夫だと思います」

 真名の返事を受けて、泰明が昭五に報告する。

「『月刊陰陽師』、今月も発刊できます」

「うんうん。ありがとう」

 そう言って昭五はくるりと後ろを向いた。神棚に向かって昭五が合掌すると、泰明も同じように合掌した。いつの間にか律樹が席に座って、神棚に手を合わせている。真名も皆にならった。

「天御祖神さま。天照大神さま。今月も無事に発刊させていただくことができます。ありがとうございました」

 昭五が奏上して全員で一礼する。これをもって神仏から許可が下りたとし、「月刊陰陽師」が正式に発刊されるのだった。

「お疲れさまでした」と律樹が朗らかに言う。

「うんうん。お疲れお疲れ。それでね」と昭五が真名に話しかけてきた。
「ラストぎりぎりでねじ込んだ真名ちゃんの記事、よかったから見本としていつものお客さんたちに配ったら、評判よくってね。購読者が一割増えたよ」

「本当ですか!?」

 大学三年生にしてやっと自分がやれること、やって人に喜ばれることが見つかったのだ。真名はこの手応えに震えるような感動を覚えた。

「よかったねー、真名ちゃん。泰明も褒めてあげなよ」
 と律樹が言い、さらに昭五が悪乗りのように言った。

「うんうん。いいね、いいね。これを機にさ、女子大生陰陽師のあやかし事件簿みたいなのを連載で持ってみない?」

「却下」

 泰明はますます氷のような表情になる。連載の話はともかく、真名はこれから離そうとしていたことが話しにくくなってしまった……。

「あの、泰明さん、編集長。それに律樹さんも――」
 と、真名が立ち上がる。

「何だ」

「はいはい?」

「あいよ」

 三人三様の答えが返ってきた。真名は、いま受け取ったばかりの見本刷りを手に、深々と頭を下げた。

「お手伝いさせていただき、ありがとうございました」

 真名のお礼を聞いて、三人の男たちは互いの顔を、あるいは笑いながら、あるいはむっつりと、見合っている。

「いまの言い方は間違っている」と泰明が指摘した。

「間違っている?」

「そうだ」と泰明が頷く。
「神代は〝手伝った〟んじゃない。俺たちも神代に手伝わせた覚えはない。神代は〝働いた〟んだ」
 と、ぶっきらぼうな物言いながら泰明にそう言われて、真名は鼻の奥がつんとなった。

「泰明、いいこと言うねぇ」と律樹がにやにやして、また殴られそうになっている。

 真名は改めてお礼を言うと、ひとつお願いがあります、と真名が三人に言った。
 泰明が胡乱げな顔で真名を斜に見ている。

「私の友達の留美さんも、ここでバイトで雇ってもらえませんか」

「留美、というのは、占いのサークルのときの――?」

 真名が頷くと、泰明が何か言うまえに昭五が泰明の肩を揉むような仕草をしながら言った。

「うんうん。いいね、いいね。女子が増えて華やかになって部数も伸びる。みんなのお給料も上がる」

 昭五の言葉に真名が青くなる。

「お給料! そうですよね。ひとり増えるってことは、それだけお給料が必要になるんですよね……」

 超ニッチな業界誌である「月刊陰陽師」にこれ以上、人を雇うお金があっただろうか。
 私が辞めれば、その分のお給料ができるだろうか。
 いや、でも、私も辞めたくないな――。

「自分が辞めればお金ができる、なんて考えておるのではないか?」
 とスクナが頭の上で真名の心を読む。

「あう、あう……」

 泰明が眼を細くした。

「まあ、神代が辞めたいなら止めないが」ドS陰陽師は今日も健在だ。
「――神代はどうしたいんだ?」
と問われて、真名は考えた。

 編集部の台所事情こととか、自分の将来のこととか、頭の中をぐちゃぐちゃにするものを一端横へ置いて、真名は本心だけを取り出す――。

「私は――もっとここでバイトしたいです」

 すると泰明が頭を搔きながらため息を深く深くついた。真名は焦る。何か間違ったことを言ってしまっただろうか……?

「バイトでいいのか」

「はい?」

「バイトでいいのかと訊いているんだ。俺としては神代は正社員前提だとばっかり思っていたのだが」

 真名は先ほど朝倉に小声で打ち明けたことを思い出す。


 ――この前の人たちのいる、ちょっと変わった編集部で働きたいんです。まだまだ実力不足だから、もう少し働いて認められたらお願いしようと思ってます。


そう思っていたのに。

「私、いいんですか。ずっと、その、正社員とかって」

 泰明が昭五を見る。昭五が代わりに答えた。

「うん。真名ちゃんさえよければ、いますぐ内定を出すよ」

 喜びがふつふつと湧き上がってくる。真名は勢いよく、もう一度深く頭を下げた。

「ありがとうございます!」

「うんうん。この編集部にはきみが必要なんだよ」

 真名は口がへの字になった。きみが必要――そう言ってもらえることがこんなにうれしいなんて思わなかった。

 泰明が手を数回叩く。

「そうと決まったら仕事だ、仕事。見本が出たらさっさと次の号。神代は、その留美さんって子をここに連れてくる段取りも決めておけよ」

 真名は洟を啜って、敬礼の姿勢になった。

「はいっ」と言って、真名はあることを思い出す。
「あの、そう言えばこのまえ、講義棟の会議室に来てくださったとき、〝企業秘密〟っておっしゃってましたけど、どうやったんですか」

 泰明がまた不機嫌そうになる。「企業秘密は企業秘密だ」

「えー。教えてくれてもいいじゃないですか」

「面倒」

「私、うれしかったんですから」
 と真名がふと本心を漏らすと、泰明の動きが止まった。
 泰明が困ったような表情で真名を振り返る。
 こんな顔もするんだ、この人。
 真名はちょっと面白かった。

 泰明が何か答えようとしたとき、電話が鳴る。

 電話はワンコールで取ること。手近にいた真名が受話器を取る。

「はい、こちら『月刊陰陽師』編集部です」

 真名は受話器を左手で持ちながら右手にボールペンを持ち、メモを取る体勢になった。