父の勧めでバイトを始めた「月刊陰陽師」編集部。

 分からないことだらけだし、変わった人ばっかりだし、人じゃない人までいたし。

 働き出してほんの一カ月くらいの間だけど、真名は自分が変わりつつあるのを感じていた。さっき、泰明が言った「真正面からぶつかっている。逃げていない」というのが端的に真名の変化を表していると思う。

 結局、見鬼の才を言い訳にして世界を見ていなかったのは真名の方だったのだ。

 怖い悪霊を見たくない、不気味なあやかしを見たくない――それは当然の感情かもしれないけど、それ以上ではない。

 この場合の感情は本能とほとんど変わらない。

 だから、世界は真名にも姿を隠していたのだ。

 けれども、見えるものをきちんと注視して、聞こえるものにきちんと耳を傾けたとき、世界はどんどん広がって、さまざまなことを真名に教えてくれた。


 そういえば、いままでは下を向いて歩いている方が多かったな。

 真名は大学の構内を歩きながら少し笑いがこみ上げた。いまは、前を向き、周りを見ている。たまには変なものが見えるけど、心は平静だった。

 もうすぐ新しい学年になる。空気は寒いけど日射しは日に日に強くなっている。

「神代さん」と後ろから声をかけられた。朝倉だった。

 浩子の一件以来、朝倉との関係は前よりも良好になり、単位面での心配はない。

「朝倉先生」
 と、真名が笑顔で答えると、資料を抱えた朝倉が小走りにやってきた。

「どうだい、就活の方は」

「あははは。バイトが一段落した所なんですからあんまりいじめないでくださいよ」

 真名は笑ってごまかす。

「いや、本当に。――浩子との約束でもあるんだろ?」

 浩子が地上を去る間際まで、真名の就活を心配していていたことを言っているのだ。そのことを言われると、真名は少し痛い。

「就活はたぶん、何とかなります。っていうか、何とかします」

「大丈夫なんだろうね?」

「はい」と答えた真名が小声で就活の方針を語ると、朝倉が苦笑しつつ頭を搔いた。

「ちゃんと考えてのことなんだね?」

「もちろんです」

「まあ……浩子も喜ぶかな」

 朝倉がそう言うと、側にあった桜の木が枝を揺らした。まるで、そうだよ、と答えるように。

「そういえば大下教授は最近どうですか? 私、教授の授業がないから……」

「普通にしているよ」と朝倉が辛辣に笑った。
「さすがにあの日は動揺していたみたいだけど、結局、すべて夢として忘れることにしたみたいだ」

 真名は――頭上のスクナも――ため息をついた。

「喉元過ぎれば、っていう言葉通りですね」

「ふむ。この次はないのじゃ。死んだときに夢が現実で現実が夢だったことにきづくがいい」とスクナが厳しく言い切る。

「朝倉先生は、その、大丈夫なのですか?」

 浩子が恐れていたように、大下によって破滅させられないか、ということだ。すると朝倉は明るく笑った。

「大丈夫。あの日、誰かさんがスマホで様子を撮影してくれていた動画があるからね」

 朝倉はそれが真名の仕業だと思っている口調だ。けれどもあのとき、真名は自分のスマホで泰明とずっと通話していた。泰明があの場に現れるとは思ってなかったから、スマホは泰明と繋ぎっぱなしだったのだ。

 では、そんな動画を撮ったのは誰かといえば、ひとり、華々しく登場しながらすぐに出番がなくなった人物、律樹だった。光を発して実体化を解くときに自分のスマホを窓の所に立てかけ、撮影をしたのだ。霊体は電気機器に作用しやすい。まさに名カメラマンだった。

 真名のスマホが震えた。泰明からのLINEだった。

《来たぞ》

 メッセージは短い。けれども真名にはそれで十分だった。

 真名は藤の花のような笑顔になると、朝倉と別れる。今日はもう授業もない。メッセージが来たなら、急いで編集部に向かおう。