「知らん」

「あ、これも〝知らん〟でございますか」

 廊下で人が行き交う足音が聞こえはじめる。結構帰ってきたようだった。スクナは当然という顔で腕を組んでいる。

「親は真名のためを思って選んでくれているのじゃ。それには乗るべきじゃろ」

「そういう理由でしたか……」

 真名は反抗期でもないし、陰陽師としては師弟関係にもなる父の言うことだから、従うつもりではいた。

「それに、真名は本を読むのは好きなのじゃろ?」

「まあ、嫌いではないです」

 真名が英文学部を選んだのは、オールコットとヘミングウェイを原文で思い切り読みたかったからだ。欧米文学だけでなく、もちろん日本の小説もよく読む。

「編集者の条件としては、まず本を読むのが好きではないといけないのじゃぞ?」

 真名は目を見張った。神代の存在と思っていたスクナから、編集者の条件などと言う話が出るとは思わなかった。

「……お詳しいのですね」

 素直に感心すると、スクナが胸を張った。

「ふふん。スクナ、他の神さまとかにもいろいろ聞いてきたのじゃ。地上の様子も事前に見てきたのじゃ」

「それって、私の〝守り神〟をしてくださるため、ですか」

「真名の人生じゃから、真名ががんばらなければいけない。人生は一冊の問題集じゃからな。普通の人が神さまの声が聞こえないのもそのためじゃ。けれども、スクナが今回、守り神をできるならスクナがアドバイスできるところは一生懸命するのじゃ」

 凜々しくスクナが言い切る。

 小さな小さな神さまのやさしさ――先の見えない就活で疲れていた真名の胸に、スクナの気持ちが染みた。

「スクナさま。私、『月刊陰陽師』さんに行ってみますね」

「うむ。まず〝めぇる〟とやらをするといいぞ」

「……本当にお詳しいのですね」

 真名はスクナの後押しもあって、「月刊陰陽師」にメールを打った。

 初めまして、神代真名と申します。
 父から御社でのアルバイトを勧められまして……。

 文面を三度読み返し、さらにネットでバイトのお願いのメール例文を検索して二回訂正し、誤字脱字がないか指さし確認して送信する。

「スクナさま、こんなメールでいいでしょうか」

「うむ? よいのではないか」

 果たしてスクナにメールの文章が読めるか謎だが、大丈夫だと言ってほしかったのだ。

「じゃあ、いきますね。……送信」

 クリックする。もう戻れない――。

 返信はすぐにきた。

「うわ!?」

「何をそんなに驚いておるのじゃ」とスクナが呆れている。

 あまりにも早い返信に、メールの文章がいまいちで、即行不採用とかではないだろうか。編集部といえば文章のプロの方々のはず。ありうる……。


 ――初めまして。「月刊陰陽師」編集長・美馬昭五と申します。
 早速ですが、お話はお父さまから伺っています。ただ、これまでアルバイトの経験はなかったとのこと。まずは、気軽に遊びに来る気持ちで編集部にお越し下さい……。

 明日の午後なら何時でもいいと書かれている。
 明日はちょうど午後の授業がない日なので、真名は早速「月刊陰陽師」編集部へ行ってみることにした。

 このメールのやりとりが、今後の自分の運命にどこまで深く関わるか、まだ真名は気づいていなかったけれども……。