「惜しかったな、真名よ」とスクナが声をかける。
「惜しかったです。でも、このドS陰陽師作戦、いけるかもですね」
真名は今日の午後の授業を勝手に自主休講にすることにした。ドS陰陽師の教え。鉄は熱いうちに打て、である。
真名は構内を歩き回り――特に朝倉の近くと大下の周辺を念入りに歩き回った。
二度、浩子を見つけることができたが、その度にろくに話もできずに逃げられた。
三度目のチャンスがやってきた。
いた、と真名が小さく呟く。
真名が自主休講した授業――朝倉の英文学Ⅲ――の教室の前に浩子が立っていた。
教室のドアから中を覗いている。真名には気づいていなかった。
三度目の正直となるか。二度あることは三度あるになるか――。
心を透明にして、気配を消して、近づく。
けれども、真名には今回は浩子が逃げ出さないような予感があった。それほど熱心に朝倉の授業を浩子は見つめている。
「浩子先生――」
真名が声をかける。
浩子は動かなかった。
教室で教鞭を執る朝倉の声はほとんど聞こえない。
遅れてきた学生がこっそり後ろのドアから入り、朝倉が軽くたしなめていた。
教室に学生たちのくすくす笑う声が満ちる。
もう一度、真名が声をかけようとすると、浩子が授業を見つめたまま口を開いた。
「かっこいいなぁ……」
浩子のその一言を聞いた途端、真名の目頭が熱を持った。胸が震え、涙がせり上がってくる。
目の前にいるのに、決して触れられない、大切な人。
戻りたくても、戻れない時間。
どれほど憧れて渇望しても、二度と自分には向けられない、その声と笑顔。
教室のドアは、次元の壁。
魂全部からの切実な祈りは、その壁に阻まれて。
ただ、そこに溢れている。
こんなにも愛しているのに。
こんなにも、愛しているのに……。
その浩子の溢れる想いが真名の心にも直撃していた。
「浩子さん……」
真名が涙の混じった声で呼びかける。浩子が振り向いた。真名に対して、まるで小さい子供のいたずらを叱るような表情になって浩子が言う。
「ダメよ、真名ちゃん。授業をサボっちゃ。……私は、朝倉さん――伸介さんの授業、参加したくても参加できないんだから」
浩子の表情が涙で歪んだ。そのままうつむき、ぼたぼたと涙を落とす。震える肩はひどく細く頼りなく。見鬼の才のある真名にも抱きしめてあげれなくて。
「浩子さん。朝倉先生のこと、本当に――」
真名の言葉に、浩子は涙に濡れた顔で微笑んだ。
「降参。真名ちゃん。私の話を聞いてくれる?」
「――もちろんです」
授業の邪魔にならないよう、少し離れたベンチにふたりで腰を降ろす。
「いまから十年くらい前かな。私と伸介さんはお付き合いしていたの」
「はい」
「でも、私たちのことを快く思わない先生がいて」
それが大下教授だったと言う。
浩子が話し始めた内容は、好々爺めいた大下からはあまりにもかけ離れた裏の姿だった。
「惜しかったです。でも、このドS陰陽師作戦、いけるかもですね」
真名は今日の午後の授業を勝手に自主休講にすることにした。ドS陰陽師の教え。鉄は熱いうちに打て、である。
真名は構内を歩き回り――特に朝倉の近くと大下の周辺を念入りに歩き回った。
二度、浩子を見つけることができたが、その度にろくに話もできずに逃げられた。
三度目のチャンスがやってきた。
いた、と真名が小さく呟く。
真名が自主休講した授業――朝倉の英文学Ⅲ――の教室の前に浩子が立っていた。
教室のドアから中を覗いている。真名には気づいていなかった。
三度目の正直となるか。二度あることは三度あるになるか――。
心を透明にして、気配を消して、近づく。
けれども、真名には今回は浩子が逃げ出さないような予感があった。それほど熱心に朝倉の授業を浩子は見つめている。
「浩子先生――」
真名が声をかける。
浩子は動かなかった。
教室で教鞭を執る朝倉の声はほとんど聞こえない。
遅れてきた学生がこっそり後ろのドアから入り、朝倉が軽くたしなめていた。
教室に学生たちのくすくす笑う声が満ちる。
もう一度、真名が声をかけようとすると、浩子が授業を見つめたまま口を開いた。
「かっこいいなぁ……」
浩子のその一言を聞いた途端、真名の目頭が熱を持った。胸が震え、涙がせり上がってくる。
目の前にいるのに、決して触れられない、大切な人。
戻りたくても、戻れない時間。
どれほど憧れて渇望しても、二度と自分には向けられない、その声と笑顔。
教室のドアは、次元の壁。
魂全部からの切実な祈りは、その壁に阻まれて。
ただ、そこに溢れている。
こんなにも愛しているのに。
こんなにも、愛しているのに……。
その浩子の溢れる想いが真名の心にも直撃していた。
「浩子さん……」
真名が涙の混じった声で呼びかける。浩子が振り向いた。真名に対して、まるで小さい子供のいたずらを叱るような表情になって浩子が言う。
「ダメよ、真名ちゃん。授業をサボっちゃ。……私は、朝倉さん――伸介さんの授業、参加したくても参加できないんだから」
浩子の表情が涙で歪んだ。そのままうつむき、ぼたぼたと涙を落とす。震える肩はひどく細く頼りなく。見鬼の才のある真名にも抱きしめてあげれなくて。
「浩子さん。朝倉先生のこと、本当に――」
真名の言葉に、浩子は涙に濡れた顔で微笑んだ。
「降参。真名ちゃん。私の話を聞いてくれる?」
「――もちろんです」
授業の邪魔にならないよう、少し離れたベンチにふたりで腰を降ろす。
「いまから十年くらい前かな。私と伸介さんはお付き合いしていたの」
「はい」
「でも、私たちのことを快く思わない先生がいて」
それが大下教授だったと言う。
浩子が話し始めた内容は、好々爺めいた大下からはあまりにもかけ離れた裏の姿だった。