「あ、ああ……そんなつもり――私……」

 浩子がその場にぺたりと座り込んだ。先ほどまでの、霊力を振るっていた凄みのある彼女ではない。真名を怪我させてしまったことにひどく混乱しているようだった。

「先生、大丈夫です。私、昔からあやかしとか悪霊とか見えて、中には乱暴なヤツもいたからときどき怪我させられたりもしてたんで」

 けれども、浩子は自分のしてしまったことの衝撃が強く、真名の言葉が届いていないようだ。真名が立ち上がって手を伸ばそうとすると、浩子は猫が飛び退くように立ち上がった。

「――真名ちゃん、怪我させちゃってごめんなさい。そんなつもりはなかったのだけど」

「分かってます。大丈夫です」

 浩子が唾を飲み込んで、厳しい顔つきを作る。

「これでお別れだね。分かったでしょ? もう霊になっている私に近づくとどうなるか。私、いまみたいに念力が強いらしくて、あなたのことも騙していたの。……朝倉さんは私が護るから」
と言って、浩子が踵を返した。
「先生!」と真名が声をかけるが、浩子は走り出し、そのまま空気に解けるように消えていく。やはり、霊体だったのだと真名がもう何度目かの衝撃を受けている間に、すっかり見えなくなってしまった。見鬼の才を使っても見えない。

 これまでほとんど無音に感じていた周囲に、音が戻ってきた。

「真名、すまなかったな。怪我をさせてしまった」
 とスクナがつらそうな顔をする。

「あ、大丈夫ですよ。さっき話した通り、ときどきありましたし。それにスクナさまが声をかけてくれてなかったら、ひょっとしたら画鋲が目に当たったかもですし」

「……真名は霊能力に欠けるところがあるかもしれんが、陰陽師としてしっかりした物の見方が身についているのじゃな」

 スクナが真名の頭の上に戻る。エントランスから外へ出ると、初夏の日射しが目に刺さった。いつも思うのだけど、講義棟の中は思いの外、暗い。目が慣れたところで、浩子が見つかるわけもなかった。

 これからどうしようか、と真名は考え、とりあえず、泰明がいる大学の外のコーヒーチェーンに行こくとにする。頰の怪我をハンカチで抑えてみたが、もう血も固まったようだった。絆創膏は持っていない。知り合いに会って心配されないように、ハンカチを頰に当てたまま歩いた。

 校門を出たときだ。きみ、と背後から声をかけられた。