授業が始まった大学は静かだ。

「ひ、浩子先生……」
 と真名が呻くように呼びかける。肝心の浩子の方はいつものかわいらしい笑顔のままだった。

「私のこと――死んじゃう前の私のことに気づいてくれたのはうれしいけど……あの人の邪魔になることはしないでほしいんだよね」

「あの人っていうのは朝倉先生のことですか」

「真名ちゃんは頭がいいなぁ。でも、もう一度言うね。邪魔しないで」

 周りに学生も教官もいない。真名は浩子の目を見つめたまま、ゆっくりと階段を降りきる。これだけしっかり見えているのに、本当は死んでいるのだ。

「私は別に……。それよりも先生こそ、どうして私の前に現れたのですか」

「ふふ。私のこと、まだ先生って呼んでくれるんだ。ありがとう」

「何か私に助けてほしいのではないのですか?」

 浩子の笑顔にさみしげな色が浮かぶ。

「何となくさみしかったから、話しかけただけだよ」
 と浩子は答えたが、真名はどこか納得しきれないものを感じていた。

「心残りは、先生自身のことですか、朝倉先生のことですか。私でできなければ、私の知人が助けますから……」

「ごめんね。楽しかったよ」

 一方的な拒絶の言葉。真名が返事もできずにいると、浩子は側の掲示板に目を向けた。浩子の目に力がこもる。不自然な風が真名と浩子の周囲に起こった。

「何……?」と真名が目を見張ると、スクナが叫んだ。

「真名、しゃがめ!」

 一気に膨らんだ風が掲示板の掲示物を打つ。ポスターやチラシが踊り、それらを止めていた画鋲が外れた。

 危ない、と思ってしゃがもうとしたときには、真鍮色の画鋲がこちらに飛んできている。

 妙にゆっくりときらきら光る画鋲が迫ってくるのが見えた。

 真名、と誰かが名前を叫んだような気がする。

「痛っ」と真名の頰にひりつく痛みが走った。

 弾かれるように真名が尻もちをつく。時間の流れがいつもの早さに戻った。

「真名、大丈夫か!?」

 いつもは真名の頭の上にいるスクナが、真名の側の床で叫んでいた。

 先ほどまでの不自然な暴風はなくなっている。真名は、ほっと一息ついた。

「あ、スクナさま」

 痛む頰に触れる。かすかに指先が濡れる感覚がした。見れば血がついている。さっきの画鋲で怪我をしたのだろう。怪我をしたショックでぼうっとなってしまいそうな心を励ます。

 しかし、真名以上に動揺し、うろたえている人物がいた。