はい、こちら「月刊陰陽師」編集部です。

 寺沢の家路につく姿を見送りながら占い師の若い男が被っていたカツラを取る。明るい茶髪と、占い師には不釣り合いな整っていながら軽そうな顔が現れた。占い師に扮していた若い男――律樹が苦笑している。

「やれやれ。馬鹿だねえ。式神の僕に両親なんて最初っからいないのに」

「人間か式神かを見抜けなかった段階で、プロ霊能者失格だ」と泰明が冷たく言った。

「それにしても三十七の呪術とは気張ったねぇ」
 と律樹が笑うと、昭五も声に出して笑った。

「くくく。正直なところいくつ呪術をかけたのか、覚えていませんよ。久しぶりに全力を出していいとお坊ちゃまから――泰明さんから言われてうれしかったもので」

「〝三十七の呪術をかけ、三十八個目で帰らせた〟というのが、言ってみれば三十九個目の呪術かもしれないな」と泰明があくびしている。

 昭五がすっかりいつもの人の好い顔に戻って言った。

「それにしても、泰明さんはおやさしい」

「あ?」

 昭五の意外な言葉に、泰明は変な声が出る。

「だってそうでしょ? 泰明さんはぼやの真犯人が誰か分かっていた。けしかけた顧問を懲らしめてやりたいけれども、騙された女子大生の気持ちを考えるとかわいそうにも思うし、呪術の闇の面をあの明るい真名ちゃんに見せるのもできれば避けたい。だから、真名ちゃんのスマホを切るや、男三人で汚れ役の計画をすぐさま考えたんでしょ?」

 昭五の勘ぐりに泰明は嫌悪感を丸出しにした表情でこう言った。

「倉橋の名において、美馬昭五の霊能力は天気予報以外また封印」

「そんなぁ~」

 昭五が情けない顔をしている。

「くだらないないことを言った報いだ。――あと、俺と律樹の時間外労働分の給料、がっつり請求させてもらうので」

「あはは。さすが泰明。ついでに危険手当もつけてもらおう」

「ええー……」

呪術でもなく、燃える炎でもなく、昭五の情けない声が一件落着のしるしだった。どこかで酔っ払った女性の高い笑い声が聞こえてきた。
 占星術部のぼや騒動の原因を突き止めて三日後、真名は「月刊陰陽師」編集部のレーザープリンタから吐き出される無数のページ見本と四苦八苦していた。

「真名ちゃーん、この校正記号、向きが逆だよ~」
 と、律樹がパソコン島で軽い声を上げている。真名が、校正の指示を記号化した校正記号を書き込んだページ見本が間違っていたのだった。

「きゃー、すみませーん」

 真名が慌てて自分の席から立ち上がり、律樹の席へ急ぐ。今日の編集部には珍しく昭五も含めて全員が集合している。そろそろ入稿日が近づいてきているからだ。

 パソコン島では、背もたれに思い切り状態を預け、反り返るような姿勢でマウスとキーボードを操作しながら、律樹が片方の目をつぶる。

「ま、慣れないうちはこんなもんさ」

「すみませんでした」と真名がしょげる。

「人は失敗を通して大きくなるのじゃ。どんと構えておればよい」
 とスクナがひょっこり現れて真名を励ました。スクナ的にはいまは真名のピンチと認定したらしい。

「でも、今日一日ですでに三回目の校正記号間違いです……」

「……どんどんいくのじゃ」

 自分の席で原稿――某女子大占星術サークルのぼや騒動――を書いていた泰明が顔を上げる。

「校正されることなしに一発でデザインを仕上げない律樹が悪い」

「ちょっと待て、泰明。いまの一言はすべてのデザイナーを敵に回したぞ。そんな一発で完璧な者が仕上がるならもう神さまだよ。人間じゃないって。そんなことが可能ならそもそも校正記号なんて存在しないよ?」

「俺はおまえに限定して言っている。その口数の多さを少し減らしてついでにミスも減らせ」

 律樹が口をへの字にしている。

「ったく、真名ちゃんには甘いんだから」
 という律樹の言葉に、真名は「え?」とか思う。ちょっと頰が熱くなった。護ってくれたのだろうか……。

 律樹の減らず口に対して、泰明は指を弾いた。途端に律樹がフリーズする。

「泰明くーん。律樹くんを止めちゃうと仕事が滞るからやめて~」
 と昭五が情けない声を発した。例によって頭は爆発している。泰明はため息をついてもう一度指を弾き、式神の律樹を再起動させた。

「んだよ、泰明。図星かよ」
 と、よせばいいのに律樹がさらに茶化そうとする。

「ああ!?」

 人を殺せるような目つきで泰明が聞き返した。

「何でもありません」と律樹が直立し、敬礼している。

 やっぱり泰明さんは怖いかも、と真名が思ったら、その念が伝わったのか、泰明が真名のことまで睨んできた。

「神代もよく使う校正記号はさっさと覚えろ」

「はいっ」

 真名は冷や汗を吹き出しながら背筋を伸ばした。


 本日の学び――ドS陰陽師は締め切りが近くなるともっと激しくなる。


 そういうわけで、真名は授業の休み時間などを使って校正記号の本を何度も目を通していた。
 無機質な記号ばかり見ていると訳が分からなくなってくる。
 だからといって、雑誌の性質上、見本をこっそり持ち出して勉強できないから仕方のないことだった。

 二限目を自主的に休講にする。
 出席日数は大丈夫だなはずだった。それよりもいまは泰明の役に立ちたいし、入校日に向けてみんなの足を引っ張ることもしたくない。
 構内のカフェで紅茶を飲みながら校正記号を眺めたり、「実践・初めての取材」みたいな本をぱらぱらやっていると、LINEが通知を告げた。
 留美だった。
 昼食を一緒にしないかと書いてある。
 このタイミングでLINEが来るなら、留美も二限が休みだったのだろう。カフェにいると返すと、すぐに既読がついた。

「こんにちは、真名さん」
 と、返信の代わりに留美のやさしげな声がした。

「こんにちは。早かったですね」

「近くにいたので。――お勉強中でしたか?」

「ううん。例の雑誌編集のアルバイトのだから、大学の勉強じゃないですよ」

 留美の話では、占星術部の方はあっさりと辞められたらしい。他の、名前だけ在籍していたクラスメイトも一緒に辞めたそうだから、このままなら廃部になるだろう。サークルを辞めるときに一応、顧問の寺沢に知らせに行ったが、寺沢は妙に疲れていたそうだった。教授にこき使われているのだろうと留美は同情している。

 留美も真名も、顧問の寺沢の〝不調〟の本当の理由が泰明たちの調伏によるとはつゆほども気づいていなかった。

 荷物をまとめた真名が伸びをして立ち上がる。

「ごはん行きましょうか」

 すると留美が笑った。

「ふふ。真名さん、面白い」

「え? そうですか」

「だって、お昼ごはんがすごく楽しみみたいな感じで」

 真名はちょっと顔が熱くなる。

「あ……そんなにお腹がすいていたってわけじゃないんだけど、あんまり友達がいないから誰かと一緒にごはんが食べるのがちょっとうれしくって」

「何言ってるんですか、そんなにきれいなのに。私こそ、一緒できてうれしいです」と留美が苦笑いした。真名も照れたように笑うしかない。陰陽師の家に生まれた特殊性を離しても始まらないからだった。

 二限がまだ終わっていないので、食堂は空いていた。
 今日の日替わりは油淋鶏定食で、ふたりともそれにする。ランチのトレイを持って向かい合う席に座ると、何だかとても仲のいい友達ができたみたいでうれしくなった。

「いただきます」と手を合わせてふたりは食べ始める。

 からりと揚がった油淋鶏にネギだれをたっぷりからめて口に入れた。
 歯を立てると衣はかりっと、肉はやわらかくてジューシーだった。
 鶏肉の旨みとたれの甘み、ネギの風味に舌が喜び、ごはんが進む。
 ワカメスープのごまも香ばしく、付け合わせのキャベツの千切りもたれが絡んでおいしかった。

 おしゃべりをしながらランチを楽しんでいると、留美が何気ない顔で直球を放ってくる。

「泰明さんとはどういう関係なんですか」

「や、泰明さん!?」

 口の中の油淋鶏をよく噛まないで丸呑みして喉が痛くなった。

「ほら、私、占い好きじゃないですか。占いの定番と言えば恋占いですし。いやー、何かいい感じじゃないですか」

 サークルは辞めたが根っこの所は変わっていないらしい。

「えー。そ、そうですかぁ……」

 根っこの所が単純な真名は、満更でもなく思ってしまった。

「ああいうツンケンしたタイプは母性に弱いんですよ?」

「本当ですか」

「タロットで出てました」と留美が重々しく頷いた。

 ふと気になって頭上のスクナに意識を向ける。

「うん? 母性と言われてもスクナにはよく分からんのじゃが、少なくとも若い真名にはまだまだ母親の如き包容力はないじゃろ」

 だよなぁ、と自分でも思う。むしろ真名の方がまだお母さんに甘えたい。

「母性かぁ……」と真名が唸ると、留美が無責任に応援した。

「目指せ、男のわがままを包み込む大人の女、ですよ」

 ドS陰陽師を包み込めるような懐の深い自分を想像しようとして、真名は失敗する。

「どうやったらそんな大人の女性になれるのでせうか」

「タロットには出ていません」

 留美の無慈悲な返答に真名がくずおれたときだった。

「あら、今日はお友だちと一緒?」
 と、落ち着いた大人の女性の声がした。声のした方を見ると、資料をたくさん抱えたメガネ姿の浩子が立っていた。

「ああ、すみません……」

 真名が慌てて椅子に座り直し、髪を直す。そんな真名を見て、浩子がやれやれという氷上で見下ろした。

「聞いたわよ、真名ちゃん。最近授業をサボりがちだって」

「…………」と、真名は無言で目をそらした。

「いまも英文学Ⅱの授業中じゃなかった?」

「バイトでまだまだ半人前で……」

 そのために勉強を今日もしていたのだと言おうとしたのだが、

「バイトより授業が学生の本分でしょ?」

 浩子がメガネを直しながら言う。浩子のメガネがきらりと光った。真名はちらりと留美を伺う。留美が不思議そうな顔でこちらを見ていた。とんだ赤っ恥に耳まで赤くなってしまった……。

 食堂に華やかな声が一気に増えた。午前中の授業が終わったらしい。

 浩子が研究室に戻っていくのを見送ると、早めに食事を取っていた真名たちはしばらく食後のおしゃべりをしたあと、ほどほどのところで食堂を出た。
 そのあとふたりで大学の書店を歩いて小説を一冊買い、留美と別れた。
 浩子にあんなふうに釘を刺されてしまったのだ。午後の授業は真面目に出よう……。

 午後の授業は民俗学である。家のこともあるし、専攻以外の自由選択科目として取ってみたのだ。

 准教授が大学院生に研究発表をさせることになっていた。その院生は、フィールドワークと称して各地のパワースポットを巡ってまとめたという。簡単なパワーポイントの資料を配り、ホワイトボードに画面を移してレポートの内容を発表していた。
 ボブヘアで目の大きい、姉御肌を感じさせる活動的なイメージの院生でいかにも戸外での研究が似合っている。明るく笑顔で資料を配っていた。きっと合コンでもおモテになることでしょう。

 ところが、だった。

 発表の流れがだんだん怪しくなっていく。

 最初は各地のパワースポットの紹介だったのだが、それにまつわる具体的な神話伝承をさらったあと、実際にその地を訪れた人へのインタビュー、自分自身のパワースポット訪問記になっていくと院生の発表内容は明確になっていた。

 この発表は〝パワースポットは噓である〟という結論になるように論を立てているのだ。曰く、多少の磁気の変化、近くにある温泉と地熱の影響、偽薬のプラシーボ効果にも似た思い込み……。

 どうしてこの授業でその結論にいけるのか、真名としてはまったく理解不能だった。実際に霊的世界を知っている真名――頭の上には神さまも乗っている――からみれば、この院生の発表は目の前にいる烏をいかに「この烏の色は黒ではなく、白である」と強引に証明を試みているようにしか見えなかった。

「うーむ。ずいぶんたくさん憑けてきたのう」

 頭の上のスクナがしみじみと言う。呆れるを通り越して、感心していた。真名はスクナの言葉の真意を確かめようと、見鬼の才に集中する。

 すると――。

「うっわぁー……」

 思わず嫌悪感を含んだ声を出してしまい、周りに白い目で見られた。真名は恥ずかしくなって首を引っ込める。

 姉御肌の颯爽とした院生の身体中におびただしい数の虫と爬虫類がしがみついていた。特定のあやかしではないと思う。しかし、これだけの数の虫や爬虫類の憑依を背負うとはどういうことなのか。

「ぱわーすぽっと巡りとやらをしたせいじゃよ」
 とスクナが真名の心の中の疑問に答えてくれた。

(パワースポットって神さまのお力をいただけるんじゃないんですか)

「基本はそうじゃ。ただそれは信仰心ある者が正式な作法に則って参拝した場合じゃよ。真名だって、見ず知らずの人が横柄な態度で家に来て食事を要求してきても従わんじゃろ? ましてや家を積極的に荒らしに来たヤツならどうする?」

{警察を呼びます}

 スクナが頭の上から机――真名の目の前に飛び降りた。

「スクナたちがあのような虫や爬虫類の邪霊をけしかけるのではない。参拝する者の心が違っていれば、その心に応じた答えが与えられる。あの大量の虫と爬虫類の邪霊は、あの女が神々へ抱いている疑いと嘲笑がそのまま跳ね返った姿じゃよ」

 壇上ではそんな憑依を背負っているとは無自覚な院生が次々と日本各地のパワースポットの写真をホワイトボードに写して、「これも噓、ここも科学的に偽物」と説明している。その表情が真面目であればあるほど、真名には何とも心が痛んだ……。

 そのときふと、真名は現在、絶賛入稿準備中の「月刊陰陽師」の特集記事を思い出した。バッグから台割を取り出し、確認する。今月号の特集は「決定版・パワースポット対策――ここを護れば霊場は荒らされない」。

 出来上がったあかつきには、この特集だけでもコピーで渡せないだろうか。根がお人好しな真名はそんなことを考えている。

 隣の教室では何をやっているのか、どっと学生たちが笑う声がした。
 

 高田馬場の「月刊陰陽師」編集部に行き、真名が今日の授業であったことを話して一部記事の内容をその院生に渡せないだろうかと言うと、泰明はこう言った。

「却下だ」

 さすがドS陰陽師の面目躍如といったところだ。

「はは……。ですよねー」

 絶対零度の眼差しで斬り捨てられた真名が乾いた笑いを浮かべる。けれども、泰明が真名の言い分を却下した理由は、想像していたこととはやや違っていた。

「そもそも最初から否定している人には何を見せても無駄だ。目の前で霊現象を起こしても適当に理由をつけるか、偶然と思うか、『でも、信じない』とかたくなに否定する。そういう連中の無明をかち割るためにモーセは海を割ったし、イエスは死から復活したし、陰陽師は式神を使うのだけど」

 泰明がため息をついた。編集長席の昭五が付け加える。

「今回の特集は、結局、明確に神仏やあの世を信じていないけれども、パワースポット程度は信じている、というごく普通の〝パワースポット巡り〟の人たちで困っている現場への助言だからね。真名ちゃんが話したレポートをまとめた院生のような確信犯は本当に困るんだよね」

「打つ手がない、みたいな?」

「そうそう。聖域を荒らされるからね。締め出すしかないかもなあ」

 真名は入稿準備が整ってきたページのうち、例のパワースポット特集を手に取った。

「パワースポットになったとき、神さまを怒らせないために気をつけること」「パワースポットで観光客が増えたときの磁場の守り方」などの見出しが躍っている。
 近くのコンビニで売っている雑誌ではまず取り上げないテーマだった。
 さすが業界紙である。物事は切り込み方や角度でずいぶん印象の違う記事になるのだなあと真名は妙な感心をしながらも、ふつふつと疑問が湧いてきた。

「パワースポットになって人がたくさん来るようになると、神さまって嫌なんですか?」

 原稿の手を休めた泰明が、真名の方に椅子を回転させる。

「神さまによる。人間と一緒で神さまにだって個性があるからな。来る者拒まずで人をもてなすのが好きな神さまもいれば、神さまは静寂で聖なる空間で神さまらしい威厳を保つべきだと考える神さまもいる。今回の特集にも書いてあるけど、特に問題なのは峻厳で威厳のある神さまを祭っている場所が〝パワースポット〟となること」

 真名が手元の紙束をめくった。威厳のある神さまの場合は、やはり人間が礼節を護らなくなったら〝神罰〟が下ることもあるとさらっと書いてある。

「〝神罰〟が来るんですか」真名は戦慄した。

「こういうのはうちじゃないと書けないからなあ」と泰明がすっかりぬるくなったコーヒーを一口ふくんだ。
「神罰を与える神さまなんて神さまじゃないなんていう思い上がった人間が山のようにいるからな。そういうヤツらほど神さま信じてないし。メディアの影響は大きい」

 泰明が苦々しい顔で説明する。

「でもでも、積極的に人間をいじめようとしているわけではないんですよね?」

 真名が確認するように尋ねると今度は昭五が答えた。

「それはそうさ。ただ日本のような美しい国土で、四季にも恵まれ、豊かな稲の実りもあるのだから、まず私たち人間はそれに感謝をすべきだってことだよ。感謝の気持ちもないのに、〝パワースポット〟と称して神さまの力を自分のために抜いていこうとする連中は――やさしい神さまはそれでも力を貸してくれることもあるけど――まるで自分たちが大きくなったのは自分たちの力で、親なんて最初からいなかったんだと威張ってる子供のように見えるんだよ」

 昭五に言われた感謝の部分が真名も身につまされる。今日のランチだって、白いごはんをおいしくいただいたけど、神さまに深く感謝したかと聞かれれば、米粒一粒ほどもしていない……。

「そうしたら、パワースポットとかって行かない方がいいのでしょうか」

 これ以上、神さまから〝奪って〟はいけないのではないかと思ったのだ。けれども、昭五はいつもの犬のような愛嬌のまま首を横に振った。

「うんうん。いいね、いいね。そういう気持ちがある人は、まあ大丈夫さ。神さまも信じている。神さまにも感謝している。神さまたちは、そういう人にこそ神さまのパワースポットでもっと元気になって、もっと幸せになってほしいと思っているんだよ。そういう人が遠慮して、反対の人がパワースポットに押し寄せてばかりではかえって神さまがかわいそうさ」

「ああ、なるほど……」

「要するに〝感謝を忘れて、自分のことばかり考えるなよ〟ということだ。――これ、これチェックよろしく」
 と泰明が記事を一つよこした。

 先日の占星術部の話だった。すでにページレイアウトソフトに流し込まれていて、雑誌の段組になっている。イメージ写真も入っていてほぼ完成状態だ。

「何を見ればいいんですか」

「内容。一応、大学と人名を特定されないようにしているけど、削ってほしい表現があったら教えろ。あと、内容的に気になったところがあれば、それも」

 真名が泰明の書いた文章に意識を集中させる。最初の数行でちゃんと状況説明が終わっている。「いつ・どこで・だれが・なにを・どのように・どうした」――いわゆる5W1Hと呼ばれる文章の基本がしっかりできているのだ。性格には難ありのドS陰陽師だが、仕事はしっかりしている……。

 真名がじっくり記事に目を通している間に、昭五と泰明が何度か席を立った。パソコン島で作業をしたり、同じくパソコン島の律樹と打ち合わせをしたりしている。特に泰明が席を立つときは二回に一回は律樹と揉めていた。

「読みました」と真名が原稿から顔を上げる。少し涙が浮かんでいる。
「すごくいい文章でした。感動しました」

 記事はルポ形式の三人称だ。泰明が言っている通り、真名の大学とは分からないし、出てくる女子学生は留美とは特定できないようになっているのに、具体性に乏しいわけではない。しかも出てくる人間の心の動きを的確に捉えていて、なぜ留美は水晶玉リーディングに深く入っていったかが自分のことのように迫ってきた。

 真名の感想に、パソコン島の律樹が笑う。

「あははは。感動したってさ。よかったね、やすあ」

〝き〟まで律樹は言えなかった。泰明が指を鳴らして律樹をフリーズさせたからだ。昭五が「泰明く~ん」と情けない声を出すので、泰明が舌打ちと共に律樹を再起動させた。

「おい、泰明。いちいち僕を止めるなよ!」

「いちいちくだらないことに反応するおまえが悪い」

「くだらないことって何だよ!? 真名ちゃんが感動したっていってくれて、いい話じゃないかよ」

 すると泰明は真名の方に振り向いた。

「感動した、なんて読者の感想だけではなく、文字や表現の校正はしてくれたんだろうな?」

「はいっ」

 例によって真名へ巻き添えが来て、真名は直立した。ちなみに原稿に対して真名からの校正指摘はない。

 すると編集長席の昭五が別の記事を真名に見せた。

「真名ちゃん。ちょっとやってほしいことがあるんだけど」

「はい、何でしょうか」

 真名は軽やかに昭五の側へ急いだ。おかげで泰明のお怒りに触れなくて済むからだった。泰明が獲物を逃がして舌打ちしている。

 昭五が持っていたのは例のパワースポット特集の紙束だった。
 一箇所、赤ペンでバツがついている。
「パワースポットは神の聖域である」――記事の終わりの写真に添えられる、総括の文言だった。

「これさ、私が考えたんだけど、間違っていないんだけどこれだけじゃしっくりこなくてさ。これ、真名ちゃんに考えてほしいんだけど」

「ええ!?」と真名が驚きの声を上げる。
「これって、特集記事の最後のシメですよね!?」

「うんうん。そうだね」

「それって大事ですよね!?」
 と真名が言わずもがななことを訊くと、昭五がにこやかに何度も頷いた。

「うんうん。とっても大事。だから真名ちゃんにお願いしたいの」

 どうしよう――。真名は不安になって周りに視線をさまよわせる。ちょうど泰明と目が合った。

「やれよ」と、泰明が短く言う。

「やって、いいんですか?」

「いつかはやらなきゃいけないことなんだから、やれよ」と、そこで止めてくれればいいものを、一言付け加えた。
「たった数行なんだから、よっぽどひどいのでない限り誌面の影響は少ない」

 その通りかもしれないが、何となくかちんとくるのが真名である。

「そうですねっ。やらせていただきます」

 真名が強めの口調で答える。売り言葉に買い言葉といった勢いだ。

「うんうん。いいね、いいね。ついでだから真名ちゃんに、パワースポットに行ってきてほしいんだよね」

 取材して実体験して感じたものを言葉にしてほしい。昭五はそう言って真名に微笑んだ。場所は都内にあるふたつの有名〝パワースポット〟だった。
 

「すっかり駅の雰囲気が変わりましたね」
 と、新しい駅舎に変わった原宿駅を振り返って真名が言った。
 同行している泰明が眩しそうに日射しに目を細める。昭五がわざわざ占いで晴れと予想しただけのことはあった。大勢の人――たいていは若い女の子――が駅前を満たしている。

「原宿とは不思議な街だよな」と泰明がそんな若い女の子たちを横目に見ながら歩いていった。
「ファッション文化の発信基地とはいうものの、竹下通り付近と表参道辺りでは全然違う顔を持っている。そのうえ、駅から反対側に行けば明治神宮の鎮守の森だ」

 泰明が竹下通りと表参道の違いを指摘するのは面白かったが、真名はそれ以上突っ込んで訊かなかった。また変に睨まれても悲しいからだ。ただ、泰明の言う通り、駅を出てすぐの神宮橋の方へ曲がると、眼前には天に連なる木々が無数に見えた。

「明治神宮か」
と、スクナが明るい声で言う。パワースポットの取材と言うことで特別に今日は真名の頭上で出突っ張りだ。スクナはやる気に満ちている。

「スクナさまと明治神宮ってご関係があるのですか?」

「明治神宮はその名の通り明治天皇と昭憲皇太后を神格化して祭っておる。スクナは祭られておらぬが、同じ神社の神さま仲間じゃ」

 明治神宮へ行く人たちも多かった。老若男女、とまではいかないが、中高年だけではなく若い女性が結構大勢いる。噂では神社を巡る若い女性がいると聞いていたが、こうして実際に目にすると――真名自身も十分若い女性であることを棚に上げて――不思議な気持ちがした。

「近年のパワースポットや御朱印集めのブームのせいだな」
 と泰明が呟く。真名は、自分の心が読まれたのかと思って飛び上がりそうになった。

「御朱印もそういえば、ブームですね」

「神域を護るには信仰心を持った神職や信者が参拝し、感謝の奉納をしたり環境整備をすることで保たれる。だから、参拝者の増加が即、悪いわけではないが」

 ため息をついた泰明が、見鬼の才を使うように促す。真名は歩きながら何度か深い呼吸をして、意識を集中させた。

 すると、歩いている人に重なるように霊的なものが見えてくる。

「噓? これって……」

 明治神宮はきちんとした格式のある神社だ。鎮守の森も素晴らしい。けれども、そこここにいるのはあやかしたち。空を飛んだり、地面を跳ねたりしている。牛のような頭のあやかしや一つ目のあやかし、きれいな和服の女性のあやかしもいた。

「結構な数のあやかしだな。昔、奈良の吉野山に登ったときほどではないけど」

「何でこんなにあやかしがたくさんいるんですか」

 しかも、東京のど真ん中に。森の外は日本の最先端のファッション文化が華やかにひしめいているのに……。

 よく見ればあやかしだけではなく、動物霊などの邪霊の類もいる。

「あやかしが出現するにはふたつのパターンがある。ひとつは自然に恵まれてあやかしが棲める場所があること。吉野山みたいに。もうひとつは、あやかしと同通する心の持ち主がいること」

「〝森〟というのはあやかしにとって棲みやすい。でも、ここまで運んでくれたのは、あやかしと同通する心の参拝者たちだってことですか?」

「少しは分かるようになったみたいだな。褒めてりやる」
 と、泰明が皮肉っぽく片方の頰をつり上げていた。

「あ、ありがとうございます。でも、あやかしに同通する心って……」

「まあ、自己保存欲というか、ただの本能というか。簡単に言えば事務所で言ったように、自分のことしか考えていない心だな。他人を害する程度はあまりないレベルだけど、正直、邪霊悪霊と紙一重だ」

 何はともあれ、真名たちは本殿に参拝する。
 さすがに本殿の周りにあやかしはいなかったが、参拝者の中には鳥居をくぐって参道へ戻るとあやかしがぴったりと戻ってくる者もいた。あれでは祈りも天に届くまい、と泰明が残念そうな顔で呟く。

「どうしてなんですか」

「本人の心が自分のことしか考えていないから、祈りが神さまのところまで届かないのさ」

 今日の本命〝パワースポット〟は本殿ではない。
 真名たちは参道に戻り、明治神宮御苑を歩いた。
 白い砂利を踏みしめる音が心地よい。高い木が空を支えるように屹立していた。