ぎょっとなって振り返ると、そこに怜悧な顔立ちの若い男とメガネをかけたぼさぼさ頭の中年が立っていた。泰明と昭五だった。

「失礼ですが、どうして私の名前を。どちらかでお会いしましたでしょうか」

 するとぼさぼさ頭の昭五が、いつもと違う厳しい表情で応える。

「寺沢和子助教。占星術部のサークル顧問。あなた、先日のぼや騒ぎでサークルに所属している霊媒体質の女子大生にあやかしをけしかけて操り、しまったはずの水晶玉を出させて収斂火災を起こさせた」

「何を言っているのですか」

「ぼやになって消火されたときに、あなたがなぜ都合よく部室の側にいたか。それは第一発見者になって水晶玉をさりげなくしまっておくためでしょう? そうすればどうやってぼやになったか分からない。分からないなら、サークルの女子大生から部室を取り挙げることができる」

 指さしながらずばずばと指摘する昭五に寺沢は不快な表情を見せた。

「あんまりいい加減なことをいわない方がいいわよ」

「いえいえ。あなたがあの女子学生にしたことと比べれば、よほどまともですよ。ちんけな霊能者さん」

 昭五が淡々と悪口を並べる。普段の人の好い昭五とは別人のようだった。寺沢の顔が怒気に固まる。

「何ですって!?」

「ああ、失礼。ちんけな霊能者なんて言い方……もったいなかったですね。ごみ同然の霊能力で人を惑わずか占い師に勝って悦に浸るしかできないごみ霊能者さん」

 いらいら顔の寺沢が、酷薄な笑みを浮かべた。

「そう。私が霊能者だと分かっているわけか。あなた嫉妬しているのね。私は神の心に心の針を合わせることで力を手にした。千里の彼方を手に取るように見られ、諸行無常の理を悟った。古代からの聖者たちと同じ聖なる奥義を手にしたのよ」

 自画自賛する寺沢に、泰明が厳しい目つきで言う。

「それはただの禅魔の仕業。あんたの霊能力はことごとく悪霊悪魔の障りによる悪霊能力だ」

「侮辱するにも程があるわよ!?」

「おまけに、自分より霊的な才能がある学生――霧島留美さんに、邪な精神統一を指導し,霊媒体質に貶めて悪霊を送り込んで操り人形にすることで、自分のちっぽけなプライドを保っている――たいしたセンセイだよ」

 今度こそ寺沢が怒りと憎しみをむき出しにした。

「な、なぜそれを……」

「ぼや騒ぎの話を聞いたときに、霊媒体質で霊に身体を乗っ取られて水晶玉を取り出したのだろうとはすぐに分かった。けれども、霧島さんは元から霊媒体質だったわけではない。あんたが指導した水晶玉リーディングの精神統一であの体質になった。つまり、あんたは彼女に悪霊能力を授けようとしていたんだ」

 怒りを爆発させそうになっていた寺沢がふと肩の力を抜き、かわいそうなものを見る目で泰明たちを見る。

「何あんたたち。私の霊能力に嫉妬しているの? 大学の助教という知的職業でしかも霊能者。あんたたちとは格が違うの。霧島は私の霊能力を継げなかった凡人なだけでしょ」

 泰明が顔色一つ変えず言った。

「謝罪の言葉が出れば多少は考えてやるつもりだったけど……昭五、やれ」

「はい。本家の命令だ。悪く思わないでくださいね?」と冷たい口調で告げると、さすがに寺沢が恐怖に顔を歪める。

「な、何をするつもり!?」

 寺沢に逃げる隙を与えず、昭五が刀印に結んだ右手を縦横に動かした。

「臨・兵・闘・者・皆・陣・列・在・前」

 九字の呪法だった。

 昭五が最後に縦横に切った格子の中心に刀印を突き出すと、寺沢の髪が強風になぶられるように暴れる。昭五は相変わらず刀印を突きつけたまま冷たく見下ろしていた。
 護身に使われるが、いまの昭五は別の目的のために使っている。

 寺沢は占いには詳しいのだろうが、九字などの呪法には知識がないようで、激しく動揺していた。

「い、いま何をしたの」

「さあ? 聖なる奥義とやらを手にしているならお分かりでしょうに」と辛辣に昭五が突き放し、先ほどの若い占い師の方に目を向けた。
「ご自慢の千里眼でこの占い師のことをもっと言い当ててやったらどうですか? たとえば彼の両親の名前とか。そうしたらあなたの霊能力を崇めてあげましょう」

 寺沢は奥歯を噛みしめながら、先ほどの若い占い師を霊視しようと試みる。

 寺沢にもう少し冷静さが残っていれば、昭五の言った通りに行動している自分の振る舞いに違和感を感じたはずなのだが……。

「この占い師の両親の名前は……名前……名前は――」

 寺沢が震え出す。

「どうしました?」と昭五がわざとらしく尋ねた。

「み、見えない――この占い師の親の名前どころか、親の姿も子供の頃の様子も、見えない」

 さっきまで見えていたのに――。

「昭五に命じて、先ほどの九字によってあんたの霊能力を封印させてもらった」
 と泰明が告げると寺沢が豹変した。

「噓よ、噓。そんなことできるわけが――」

 すると昭五が三日月のように笑う。

「できるのですよ、私なら。――あまりにも霊能力が強すぎて、普段は天気予報以外のすべてを本家の坊ちゃんに封印されている、私ならね」

「…………ッ」

「ついでにそこの禅魔も地獄に叩き落としておきましょう。――喝ッ」

 昭五が刀印を振り下ろす。それだけで寺沢は上から重いものを投げつけられたように膝をついた。

 寺沢の霊能力――悪霊能力を授けていた、禅魔が根こそぎ地獄に叩き落とされる。自分の霊能力が完全になくなったことが分かったのか、寺沢はよろよろと立ち上がった。

「あんたたち、見てなさいよ。もう一度霊能力を手に入れて復讐してやる――」

「三十七」と、いきなり泰明が言う。
「あんたに声をかけてからいままで、さっきの九字の呪法と合わせて、この男は三十七の呪術をあんたにかけている。二度と再びあんたが霊能力を使えないようにな。――術にかかってたから、さっきも言われるままにこの占い師の親の名前を言い当てようとしただろ?」

 寺沢の顔色が悪くなる。噓だと否定しようとするが、先ほどの九字の手並み、振り下ろされた刀印の霊圧はただ者ではなかった。
 悔しいが、占い師の親の名前を当ててみろと言われ、ほいほいと従ってしまったのも事実だ……。

「本家の坊ちゃまがいまおっしゃった通り、三十七の呪術をすでにあなたにはかけてあります。私は陰陽師ですが陰陽師にまったく関係のない、アフリカのブードゥーやドイツのゲルマンの森の魔術も含まれていますし、文献に一切出てこない口伝秘伝も駆使してあります。私以外に解ける人間はいません」

 寺沢の目が激しく動いている。自慢の千里眼を試みているがうまくいっていないのは明らかだった。

「分かっただろう。これが本物の霊能力だ。以後、まやかしの霊能力なしで普通の人間として生きていくんだな。――三十八個目の術だ。『さっさと帰れ』」
と泰明が腹の底から命じる。

 寺沢は顔を真っ赤にして拳を握りしめたが、ふっと肩の力が抜けると泰明たちに背を向けた。そのままとぼとぼと歩いて帰っていく。その顔は呆けたようで、急に十歳以上も老け込んだようにも見えた。