その日の夜のこと。
 吉祥寺駅からほど近いアーケード、サンロードを大きなトートバッグを持った中年の女性が急いでいた。

 占星術部の顧問である寺沢和子助教だった。

 それほど高くはないがヒールを鳴らしながら駅へ急ぐ。帰るところらしかった。

 吉祥寺駅前は飲み屋も多い。酔っ払いは苦手なのでなるべく飲み屋の少ない道を選ぶと自然にじぐざぐ歩きになった。

 ふと見れば、細面の若い男が小さなテーブルを出して道に座っている。若い男の後ろには手のひらを書いた絵が数枚張られていた。占い師らしい。寺沢と目が合った。若い男はにっこり微笑んで「いかがですか」と声をかけてくる。甘い笑顔はまるで干すとのようだった。

「そうね……。たまにはいいかしらね」

 女子大勤めで若い男からの笑顔になれていない寺沢は、その若い占い師の笑顔にころりと捕まった。左手を出し、若い占い師は笑顔を絶やさず、寺沢の手をやさしく両手で触れた。思ったよりも若い占い師の指先の感触が柔らかく、寺沢は驚く。それと同時に心の中にねっとりとした感情――この若い男を少しいじめてやりたいという気持ちが湧いてきた。

「お姉さんは、普段、人間関係で困っているんじゃないですか?」
 と若い占い師が言ってくる。教授たちのお使いでいらいらすることはあった。けれども〝人間関係〟は多少なりとも誰しも悩むことだ。

「あなた、占いは長いの?」

「自分ですか? そんなに長くないっす」

「でしょうね。まだまだぎこちないし、人間関係で困っているなんて当たり障りのないところから指摘するのだもの」

 そう言うと寺沢は逆に占い師の左手を自分の両手で摑んで開いた。

「お、お姉さん?」
 と若い占い師の顔が引きつる。いい顔だ、と寺沢はぞくぞくした。

 手相見も寺沢は得意なのだ。

「もう五十過ぎなんだからおばさんでいいわよ。――で、あなたの手相は……長生きはしそうね。財運はあまりなさそうだけど、病気一つしないと出ているわ。結婚はあきらめなさい」

 それから寺沢は若い占い師の手を見ながら、それぞれの手相を細かに指摘していった。古い文献に当たらなければ絶対出てこないような専門的な言い回しを入れて。若い占い師が知らないというと、その都度、指摘し、もっと勉強しなさいと付け加える。 

 たまらない快感だった。教授たちなどという俗物の知らない、神のように冴え渡る占いの力を自分は持っているのだ。若い男の占い師など足元にも及ばない。一丁前に占い師の看板を立てているが、私の方が知識も経験も占いの腕も全部上なのだと言うことを教えてやる――。

 そのときだった。寺沢の背後から冷ややかな男の声がする。

「ずいぶんとお詳しいんですね。寺沢助教」