「編集長。泰明さんに私、そんなにご迷惑をおかけしていますか」
昭五はぬるくなったコーヒーで唇を湿らせる。
「いやいや。そんなことはないよ。私がいったのはね、泰明くんが真名ちゃんときちんと向き合えるかと思ったのさ」
「…………」
ますます分からなくなった真名が黙っていると、昭五が苦笑した。
「泰明くんには倉橋家に仲のいいいとこの女の子がいてね。彼より三つくらい年下だったかな。ひとりっ子だった泰明くんはその子のことを妹のようにかわいがっていて、彼女の方も泰明くんを兄のように慕っていた」
「はあ――」
そのようなあり方は、何千年もの人間の出会い方と関わり方にはよくある話だろう。
けれども、自分の隣の席の人物の話となると、真名は――先ほどのぺんぎんのぬいぐるみよりも遥かに――重大な覗き見をしているような気持ちになった。
同時に妙な落ち着きのなさを感じる――。
「うんうん。いまから六年前かな。まだ泰明くんが大学生だった頃に、その女の子が強烈なあやかしに攻撃をされてね」
「え……?」
「倉橋家の一員だったから、としか言いようがない。うん。彼女にはまったく非がないのに、百鬼夜行並の総攻撃を受けて、心を壊されて倒れた」
あやかしや魔の世界は凶暴だ。
弱いところ、ここだけは失いたくないところを、一点集中で総攻撃してくる。
そうすることで、将来の有力陰陽師、偉大な霊能者を未熟なうちに潰そうとしてくるのだった。
「そんなことが……」
「うんうん。狙いは泰明くんだったのは明確なんだよ。彼は小さい頃から才能があった。倉橋家の中興の祖になれるのではないかと期待されていた。うん。だからこそ、泰明くんが陰陽師の修行を断念してしまうように、彼の身近な人を狙ったんだ」
真名は、最初の出会いで〝倉橋家〟のレッテルをひどく嫌っていた泰明を思い出す。
「泰明さん、つらかったでしょうね」
昭五が小さく何度も頷き、下にずれたメガネを直した。
「うんうん。彼もいろいろ悩んだと思う。彼の心を揺らすために、従兄妹の女の子の容体も一進一退を繰り返した。けれども最後、泰明くんは陰陽師として生きることを選んだ」
「……それで、その従兄妹さんはどうなったんですか?」
昭五が、らしくもなく重いため息をつく。
「うん。……その女の子が狙われたのは、泰明くんに陰陽師の修行に専念してほしくなかったからだ。ところが泰明くんは陰陽師の修行に決定してしまった。あやかしどもにとってはその子は用なしであり,目的を果たせなかった〝役立たず〟の駒」
もう一度、あやかしの総攻撃を受けて狂い死に近い自殺をしたという。
「そんな……」
「かすかに元気になって泰明くんに希望を持たせ、すぐに悪化しては絶望させ、を繰り返していたが。うん。最後はやはり見せしめとして取り殺したんだよ」
「…………」
あまりにも重く、救いのない話の終わりに、真名は言葉が見つからない。
「だから、泰明くんは自分に厳しい。彼女を救えなかった自分を許せないんだよ」
「そんなのって……」
真名の目頭が熱くなった。
「陰陽師ってそんなもんなんだよ。救えた人のことより、救えなかった人の魂の声がいつまでも心に残る。私たちはそれを背負って生きていく。いまの泰明くんだったら、あのあやかしにも勝てたかもしれない。あのときでは無理だったんだ。ただ、自分がもっともっとすぐれた陰陽師となって、これから出会う人たちを救えれば――彼女の死は無駄にならない」
そうやって生きるしか、ないじゃないか――昭五はメガネを外して、目元を拭う。
パソコン島で律樹がキーボードを打つ音だけがしていた。