泰明が真名にICレコーダーやメモの準備を促す。真名は少し気持ちがほぐれたが、ここからは緊張の時間だった。
しかし「今日が初めての取材です」というような、新人だという内容は絶対口にしないように泰明からきつく言われていた。
「目の前にいる取材対象者にはきみしかいない。たいていの人にとって取材なんて一生に一度の出来事。それを新人だから許してくれなんて甘い心で臨むなよ」というのが理由だ。
その他にもいろいろ取材の心得を教えてもらった。真名は背筋を伸ばす。
「それでは、よろしくお願いします」
と真名が頭を下げると、亜紀も頭を下げた。
「こちらこそ、よろしくお願いします。いまみたいなネットの発達した時代、メールのやりとりだけで終わるのかと思ってました。そうしたら、事前に簡単な質問だけメールですませて、きちんと会って取材するんですね」
「やっぱり会って話を伺わないと分からない雰囲気ってあるじゃないですか」と真名が笑顔で言う。「お写真も撮りますし。あ、でも個人が特定されるような形では撮りませんから」
横で泰明が室内にあるインテリアの写真を撮っている。もちろん、一言ことわってからだ。
「取材料は――その変なすすり泣きが聞こえなくなるようにしてくれる、お祓いしてくれるってことでしたけど……」
「はい。任せてください」
と泰明がカメラを下ろして営業スマイルで言った。この百分の一でもいいから指導上のドSぶりを減らしていただけないかと思うのは贅沢だろうか……。
取材する代わりに、対象者が悩んでいる霊障事案を調伏する。これも「月刊陰陽師」のルールだそうだ。
取材は順調に進んだ。
亜紀の話によると、女性のすすり泣きや呻き声に似た声が聞こえるようになったのは、春にこのアパートに引っ越して間もなくのことだそうだ。時間はだいたい日が暮れてから寝るまでのどこかで、これといって決まった時間はない。
なお、ここは新築のアパートだが、アパートが建つまえに墓地だったなどと言うことはないらしい。その辺はすでに亜紀も調べていた。
親族に不幸ななくなり方をした女性はいないし、そういう友人知人もいないという。
「最初は空耳だろうと思ったんですけど、徐々にはっきり聞こえるようになって」
「怖いですね」と真名が眉根を寄せた。自分にも経験があるからだ。「聞こえる場所は決まっているんですか?」
亜紀が首をかしげ、竜太を見ながら答える。
「リビングとか寝室とか?」
いまいるリビングから聞こえるのか。軽く上を見るとおしゃれな照明が目に入った。
「俺に言われても分からねえよ」
「彼氏さんには聞こえないんですよね?」
真名が確認すると、竜太が顎を突き出すように答えた。
「そっすね。……おかしいっすよね、コイツ」
「竜太の方こそ、絶対おかしいって。聞こえるって」
まあまあ、と泰明が止める。こういうのも本当なら一人で対処しなければいけないのかと真名は胃が痛くなってきた。
「あの、ちなみにその声は、どんなふうに聞こえるんですか」と真名。
すると、亜紀が麦茶を飲みながら何かを思い出す顔になり、それから答えた。
「こう、上から降ってくる感じ?」
「上から?」真名は泰明と顔を見合わせた。亜紀に確認する。「耳元から聞こえてくるような感じではなくて?」
ええ、と亜紀が頷く。竜太が馬鹿馬鹿しいと言いたげにしていた。「タバコ吸っていいっすか」という竜太に、真名がどうぞと答える。
竜太のタバコの煙がリビングに揺れた。
そのときだった。
真名の見鬼の才が〝繫がった〟。
タバコの煙のように黒い靄が亜紀と竜太の身体に巻き付いている。だが、特定の悪霊やあやかしが姿を見せてこなかった。肝心の〝すすり泣き〟もまだ真名には聞こえない。そんなに深く隠れているのだろうか。
真名はあれこれ質問をしながら話を延ばすが――それ以上の見鬼の深まりがない。
だんだん聞く内容もなくなってきた。
「この辺りのアパートって、やっぱりお家賃高いんですか」
真名としては素朴な疑問だったのだが、竜太の方が急にむっとする。
「ああ?」竜太が柄の悪い声を発した。
「竜太! まあ、この辺は結構家賃が高いですね。私、まだ学生なので家からの仕送りと私のバイトで」
「そうなのですか」
相づちを打つものの、竜太に睨まれて真名の耳にあまり言葉が入ってこない。
「彼、音楽を作るのにいろいろお金がかかるし、ライブとかでもまだ入ってくるお金よりも出ていくお金の方が多いから、食費なんかも私ががんばってるんですよ? ふふふ」
「なるほど……」
真名が頷いていると、竜太が口を挟んだ。
「こいつには苦労かけてるけど、そのうち自分、ちゃんと売れてビッグになるんで」