『俺が引っ越したあと、暗室に入った?』
彼が遠くにいくとわかってから、私たちはいくつかの約束事をした。その中に写真部を続けるということも入っている。
たしかに私は写真部を辞めることはなかった。フィルムカメラの撮り方も写真の焼き方も教えてもらった。
けれど私は籍だけを置いて、結局卒業まで部室に入ることさえしなかった。
だって、ドアを開けても、きみはいない。
それを強く感じてしまうことに耐えられる自信がなかったのだ。
「うん。入ったよ。何回か教えてもらったとおりに写真も焼いた」
嘘がペラペラと口を衝いて出てきた。なにひとつ約束を守らなかったのに、彼にそういうやつだって思われたくない。
『じゃあ、暗室になにか置いてなかった?』
「なにかって……?」
『え、い、いや。置いてなかったらいいんだ』
旭は不自然に早口になっていた。そんな話をしてるうちに、街がさらに夕焼け色に染まっていく。
彼から送られてきた町の夕日には敵わない。けれど、私の沈んだ気持ちとは裏腹に、この街の夕日も優しい色味をしていた。
叶うなら、十四歳の頃に戻りたい。
私が私らしくいられて、旭が傍にいてくれたあの時に戻りたい。
耳と喉の奥がきゅっと締まって、視界がぼんやりと滲んできた。
ダメ。今はダメ。旭にバレてしまう。
『響、どうした?』
無言になった私を心配する彼の声が聞こえた。
「……ご、ごめん。なんか電波が悪いみたいだから、またあとでかけるね」
一方的に電話を切ったあと、私はその場にしゃがみ込んだ。
「……ううっ……」
どこでスイッチが入ってしまったのか、涙がとまらない。
ねえ、旭。
弱音も吐けない。勇気も出せない。
今の私にはなんにもないっていうのに、涙だけはまだこんなにあふれてくるよ。
もう色んなことが限界で苦しい。
どこか遠くにいってしまいたい。
明日なんて、来なくてもいい。
そんなことを思ってるって言ったら、旭はどうする?
どういう顔をする?
私はやっぱり……今の私をきみには知られたくないよ。