肺は誰でもふたつあるので片肺になったとしても生きられる。でも俺の場合は少し違った。
元々、喘息持ちで気管が弱かったこともあり、右肺を切除してしまうとその後の生活に必要な呼吸機能の回復が見込めない可能性があると告げられたのだ。
つまり俺は手術を受けたとしても呼吸ができずに生きられないかもしれないということであり、逆に手術を受けなければ、肺が壊されていくのをただ待つのみということだ。
手術を望むのであればすぐに手配できると言われたけれど、俺は首を縦には振らずに、母さんも同じだった。
呼吸機能の回復が危ういと告げられているのに手術を受けるなんて、そんな一か八かみたいな賭けはできない。けれど放っておけば肺はどんどん悪くなっていく。
実際に息苦しさを感じることも多くなっていて、そういう危機感が恐怖に変わってきたからこそ、俺は自分の都合だけで響に連絡をとった。
空白の二年間、彼女へと繋がる番号を見つめては何度も躊躇してきた。
響から連絡がないのは元気にやってる証拠だから、俺が邪魔をしたらいけない。
生と死で言えば後者に近いからこそ、今の響の世界に入ってはいけないと思っていた。
……思っていたけれど、どうしても声が聞きたくて。一度でいいからまた話したくて、電話を繋いでしまった。
俺はポケットからスマホを取り出して画面を開く。
響から送られてきた神社のしだれ桜の写真。二年前と変わらずに綺麗だったけれど、彼女があの場所にいると思うと会いたくてたまらない気持ちになる。
響から遠ざかったのは、俺のほうだというのに。