~旭side~
こんなことを言ったら響は笑うかもしれないけれど、人生で一番良かった時を選べと言われたら、俺は迷わずに中学二年生を挙げるだろう。
響が隣にいてくれた時間はいつだって、時計の針が止まればいいと思っていた。
そのぐらい、ふたりでいた日々は、俺にとって色濃いものだったんだ。
山に囲まれているこの町では空気を濁すものがなくて、天気の匂いも敏感に感じ取れる。
早い地域では梅雨入りが発表されていて、こっちでは来週末辺りには梅雨前線が近づくとニュースで流れていた。
「あら、卵が切れてるわ」
休日の昼下がり。リビングでのんびり過ごしていると、母さんの声が聞こえてきた。
「なんかに使うの?」
「今すぐってわけじゃないんだけど、晩ごはんは親子丼にしようと思ってたのよ」
「じゃあ、俺が買ってくるよ。ちょうど稲田商店に用あるし」
俺はソファから腰を上げる。どうせ近所だからと格好はTシャツにスウェットのままで行くことにした。卵のお金を渡される際に、「お昼の薬は忘れずに飲んだわよね?」と、母さんから確認された。
「うん。飲んだよ」
「自転車もあまり飛ばさないで行ってね」
「大丈夫。歩いていくから」
そう言って外に出た。北から吹いてくる風が生暖かくて湿っている。
今は田植え時期であり、乗用型の田植え機の音があちこちで響いていた。
「おお、旭。買い物かい?」
「気をつけて行くんだよ」
道を歩けば、俺のことを孫のように扱ってくれる人たちがたくさんいる。この町は高齢者が半数を占めているけれど、畦道の端に座り、長閑に長話してる姿を見ると、なんだかほっこりしてしまう。