「なら、うちらの名前わかる?」

「え、も、もちろん」

「じゃあ、呼んでみて」

「………」

「なんで呼べないの?」

こんなこと理解されないかもしれないけれど、呼んでしまったら、そこに繋がりが生まれる。

そしたらきっと愛着も湧く。

もしかしたらそのうち私のことが嫌になって離れていくかもしれない。

だから名前を呼ばなければひとりに戻っても、そのぐらいの関係だったと割りきれる。

私はそうやって最初から、終わりを想像していた。

「響が考えてる友達って、けっこう重いよね。ぶっちゃけ、うちらだって一生一緒にいるなんて思って付き合ってないよ。もちろんずっと仲良くできたらいいけど、そんなのどうなるかわかんないし」

「………」

「なんとなく一緒にいて、なんとなく離れてもそれはその時だし、友達ってもっと自由なものじゃないの?」

それは私が思っていたことと真逆だった。

友達はロープと同じで、なってしまったら縛ったり、縛られたりするものだと考えてきた。

「私たちは響のこと友達だと思ってるけれど、うちらといて窮屈に感じることがあるならそれは違うと思うし、響が友達になりたいって思う人と友達になるべきだよ」

うんうん、とみんなが同意するように頷いている。

私はこの人たちと一緒にいても許されるような、相応(ふさわ)しい人になろうとしていた。

でもそれって、誰が決めるんだろう。

相応しいって、どういう基準?

楽しいはずがない。そんなことばかり考えてるうちは。

窮屈に思うのは当然だ。だって私が自由な考えを持とうとしてなかったから。

〝なんだ、傷つくのが怖かっただけか〟

旭の声が聞こえた気がした。