「ねえ、もし私の故郷に引っ越したいって言ったらどうする?」
食事に手をつけて間もなく、そんなことを聞かれた。
「え、それって岐阜ってこと?」
「そうよ」
驚きはあった。だけど同時にとうとう言われたなという感覚もある。
「旭の喘息のこともあるし、ここよりも空気が綺麗な場所に住んだほうがいいんじゃないかって、もうずいぶん前から考えていたことよ」
母さんは以前からテレビなどで田舎の風景が映ると『いいわね』と羨ましそうにぼやいていた。俺はそのたびに母さんの心が岐阜に向いていることにも気づいていた。
「……俺はべつにこのままでもいいって思ってるけど」
ぽつりと呟くと、母さんの視線が襖のほう流れた。
俺の体のことを心配してるのは嘘ではない。でも、その他にも母さんには遠くに行きたい理由がある。
おそらく父さんの残像が残るこの家は母さんにとって苦しいものに違いない。
時間が解決してくれるなんてよく言うけれど、うちの場合は時間が過ぎていくほどに『なんで』という気持ちが増してくる。
「心機一転ってわけじゃないんだけど、すべてのことを整理して一から始めてみたいって気持ちが今は強いのよ」
「………」
「少しずつでいいから前向きに考えてみてくれない?」
相談してきたということは、母さんの気持ちはほぼ固まっている。けれど、俺が嫌だと言ったら無理強いすることはしないし、意見も尊重してくれるだろうけど、母さんが父さんのことで苦しんでいる姿はもう見たくない。
それが母さんのためになるのなら。
前を向くひとつのきっかけになるのなら俺は……。
「うん。わかった。考えてみる」
そう返事をすると、母さんは安心したような顔をしていた。