広人が料亭の中へ入ってからも、杏奈はしばらくその場を動くことができなかった。

今さら遅いことはわかっている。
取り返しがつかないことはわかっている。
それなのに。

(私、広人さんのことが好きなんだ。。。)

気付いた気持ちは遅すぎて、後悔だけが杏奈を襲う。

なぜあのとき断ってしまったのか。
なぜもっと素直になれなかったのか。

戻れるものならあの時に戻りたい。

いくら願ってもそれは叶うはずもなく、これからも杏奈と広人は別々の道を歩んでいくのだ。
それは自分が望んでしまったことなのだ。


なかなか店内へ入ってこない杏奈にしびれを切らして、母親が顔を出す。

「杏奈、早く来なさい。」

母に促されながら重い足取りで中へ入る。

同じ店で同じ時間に別々のお見合いをするんだと思うと杏奈の気はますます重くなり、足枷でも付いているのではないかと思うほど足が動かない。

そうだ、今回も断ればいい。
おばあちゃんのために来ただけなのだ。
仕事だと思えばいい。
簡単なことじゃないか。

和室の障子の前でため息ひとつ、杏奈は母に続いて「失礼します」と一言、中に入った。