こんな優しい父親の声音を、私は未だかつて聞いたことはなかった。
***
「はい、今日のお弁当です!」
私は風呂敷をほどき、重箱の蓋を開ける。その瞬間、「うわ」というエミリアちゃんの声が聞こえたので、私はとっさに彼女の襟首をつかんだ。
「魚! 魚入ってる! いや!」
「エミリアちゃん、逃げないの!」
エミリアちゃんの目に入ったのは、小魚のフリット。魚の形がそのまま残っているからエミリアちゃんはすぐに気づいて逃げようとしたけれど、私は先手を打って彼女を捕まえる。
「ひとくち、ひとくちでいいから食べてみて! お願い!」
「いや!!」
私たちがその攻防を繰り広げているうちに、レオさんはその小魚のフリットを摘まみ、口にぽんっと放り込んだ。
「相変わらず、コユキの作る物は旨いな。これはなんというのだ?」
「小魚のフリットっていう、から揚げみたいなものです。小魚に小麦粉の衣をつけて、それを油で揚げたんです」
「それに、代わった味がする」
「食べやすいようにカレースパイスで下味をつけたので」
「そうか。エミリアも食べなさい、ほら、あーん」
レオさんはもう一匹摘まみ上げて、エミリアちゃんの口元に差し出す。
「いーーやーー!」
「お母様に頑張っている姿を見てもらおう、せっかく近くまで来たのだから」
暴れていたエミリアちゃんは、優し気にほほ笑みながらそう話す父親に対して何も言えなくなってしまったのか、おずおずと口を開ける。レオさんは、その小さな口にフリットを入れた。
エミリアちゃんは最初、やっぱり無理!と言わんばかりの顔をしたけれど、噛んでいるうちに……表情を少しだけやわらげた。
「どう? 美味しい?」
私がそう聞くと、ふんっ!と鼻を鳴らす。
「ま、わるくないんじゃない?」
「ふふ、良かった。他のも食べてね」
今日のメニューは、
・小魚のフリット
・ほうれん草とトマトのキッシュ
・かぼちゃのきんぴら
・にんじんしりしり
・サラダと卵焼きの巻き寿司
・ブロッコリーと鮭のおにぎり
これでもかと言うくらい、野菜と魚で攻めてみた。最近食べられるようになったカボチャも忘れずに。
キッシュにはケチャップをかけたら、思っていた以上にエミリアちゃんは食べてくれた。一口サイズに切ったから、野菜が入っていることに気づいていないのかもしれない。けれど、私はその姿を見て、小さくガッツポーズをする。している瞬間をレオさんに見られて、ちょっとだけ恥ずかしかった。
ただ、サラダと卵焼きの巻き寿司のサラダ部分はレオさんにバレないように取り除いていたし、ブロッコリーと鮭のおにぎりも、大きなブロッコリーと鮭の塊を指でつまんで取っていたから、まだまだ先が長そうだ。
レオさんは、どれも美味しいといって食べてくれた。彼はいつの間にかおにぎりが好物になっていたみたいで、パクパクと食べていってしまう。その勢いを見ていると、私もお腹が空いてきてしまい、つい食べ過ぎてしまった。たくさん作り過ぎてしまったと思ったお弁当だったけれど、気づけばすっかり空になってしまっていた。
すっかりお腹いっぱいに私は吹き抜ける涼しい風を浴びながら、大きく息を吐く。甘い花の香りが漂ってくる。どこからだろうと思ったら、グラフィラ様の墓標からだった。
「あの、私もグラフィラ様にご挨拶してきてもいいですか?」
私がそう聞くと、レオさんは頷く。私は重箱を片づけて、お墓に向かう。
お墓には、エミリアちゃんが積んできたお花がお供えされていた。
「ねえ!」
「うわ、びっくりした!」
いつの間にかエミリアちゃんが背後に迫っていた。
「おかあさまに、エミリアはちゃんとがんばってますって伝えて!」
「はいはい」
私は手を合わせる。
「エミリアちゃんのお母さん、エミリアちゃんは、今日は頑張ってお魚を食べました」
「うんうん、他には?」
「あと、ほうれん草とトマトのキッシュも食べました」
「え? そんなものあったっけ?」
「やっぱり気づいてなかったんだね。良く食べて偉かったよ、エミリアちゃん」
つやつやの黒髪を撫でると、彼女は嬉しそうに笑った。私はもう一度手を合わせ、心の中でグラフィラ様にこう語りかける。
――エミリアちゃんが色んなものが食べられるように、どうか見守っていてください。
エミリアちゃんがいろんなものを食べられるように工夫をする、それはグラフィラ様がやりたかったことに違いない。それを今、私が代わりにやっている。私も頑張るから、どうかエミリアちゃんの事を見守って、困ったときは導いてあげてほしい。その願いは、心の中でふっと溶けて行った。