私は魔王様に持たせるわけにはいかないと断ったけれど、レオさんは半ば強引に私の手から重箱を奪ってしまった。

「早く行こうか。少し遠いんだ」

 レオさんの先導に私とエミリアちゃんが続く。魔王城の後ろに広がる真っ黒な森の中に、グラフィラ様のお墓があるらしい。黒い森の中はやっぱり暗くて、少しだけ怖かった。それはエミリアちゃんも同じだったようで、私の手をぎゅっと握って離れない。

 しばらく歩いていくと、もう少し行った先に、この森には似つかわしくない明るく開けた場所が見えてきた。レオさんは「もうすぐだ」と振り返ってそう告げた。きっとあそこが、目的の場所なのだろう。歩きすぎて少しくたびれた様子だったエミリアちゃんも、目的地が見えたことで元気を取り戻したみたいだ。

 だんだん近づいてくる明るい場所、その奥に高くそびえる塔のようなものが見えてきた。たどり着いて、すぐに分かった。真っ黒の森の中にあるとは思えないくらい色とりどりの花に囲まれるそれは、グラフィラ様のお墓だった。刻まれている文字は読めないけれど、レオさんのまなざしがそう語っていた。

「……ここが、おかあさまのお墓?」
「そうだよ。エミリアは初めてだったな、お母様にご挨拶しておいで」
「さきにお花つんできてもいい?」
「そうだな、お母様もきっとよろこぶだろう。私とコユキはあっちで待っているよ」

 レオさんが、花畑の端っこにある東屋を指さした。エミリア様は頷き、走って行ってしまう。少し遠く離れたところでしゃがみ込み、花を選び始めている。私はその姿をレオさんと一緒に東屋の中で見つめていた。

「レオさんは、お墓参りしなくてもいいんですか?」

 ここまで来て、レオさんは頑なに動こうとしなかった。私がそう尋ねると、レオさんは首を横に振る。

「私はいい。……その資格はない」
「資格?」

 思わず聞き返してしまう。レオさんは一瞬気まずそうな顔をしたが、意を決したのか、ゆっくりと話を始めた。その声は、耳をすまさないと聞こえないくらい小さくて、きっとエミリアちゃんに聞かれたくないのだろうと私は思った。

「……この国には時折、【魔王】を倒そうとする【勇者】と呼ばれる一団がやってくる。
 魔国は周辺諸国からはとても嫌われていて――それも当然だな、何前年に渡って侵略と強制的な支配を行ってきたのだから――、皆、魔王さえ殺すことができれば、世界を変えることができると信じているのだろう。
 しかしながら、魔王には、魔国の暮らしや守らなければいけない国民がいる。決して勇者に屈してはならぬ……我々は、勇者が来るたびにその脅威を打ち払ってきた」

 レオさんはそこで言葉を区切った。まなざしは、エミリアちゃんの方をまっすぐ見つめている。

「勇者は、数百年ほど来なかったが……エミリアが生まれてすぐの頃、ある日突然やってきた。私たちは圧倒的な武力で勇者たちを倒すことができたのだが……魔術師が最期に、呪いを放ってきた。自分が死ぬときに、呪いをかけた相手を道連れにする。そういった類のものだった。私も疲弊していて、それに気づくのが遅れてしまった。呪いは眼前に迫っていた」

 彼はその時の事を思い出すように、目を閉じた。次にその瞼が開いた時、その目にはわずかに潤んでいるかのようにも見える。

「……気づいた時には、グラフィラが私の目の前で、呪いに立ちはだかっていた。そしてそのまま、直撃して……グラフィラは、私をかばったのだ」

 その後、二人がどうなったのか。レオさんが語らなくても、私にはもう十分に分かった。最愛の奥さんを喪った彼の痛みが伝わってくる。

 涼しい風が東屋に吹き込んでくる。漂ってくる花の香りはいつもなら幸せなものなのに、今はどうしても、悲しくて仕方ない匂いだった。

「エミリアには、悪い事をした。あの子から母を奪ったのは、私にも責任がある」
「そんな事は! 悪いのはその魔術師ですよ!」
「……いや、私に隙が生まれたのは事実だ。その自責の念からか、どうしてもエミリアを甘やかしてしまった。望むものをすべて与え、嫌がるものは遠ざけた。……その結果が、あの偏食だ。エミリアの将来を考えた時に、それだけはどうにかしなければと思い、コユキに依頼したのだ」

 そこで、ようやっとレオさんは笑みを浮かべる。しかし、その笑い方も悲しさを湛えているようなものだった。

「……君をこの世界に呼んだのは、占いに従ったからだけではない。君が、エミリアと同じ境遇だったからだ」

 レオさんの真っ黒な瞳に私が映りこむ。彼は何だか申し訳なさそうに私の事を見つめていた。

「コユキの事は、召喚する前に色々調べさせてもらった。その時に分かったんだ……君は、母君を亡くしているね」

 私は頷く。
 うすうすだけど、そんな気がしていた。私がこの世界に呼ばれた理由に、お母さんのことが関係しているんじゃないかって。

「母を亡くす痛みを知っている君ならば、きっとエミリアの悲しみや寂しさに寄り添ってくれる。私はそう考えて、コユキに来てもらったんだ。君には、本当に悪い事をしたと思っている」

 レオさんは再び、エミリアちゃんの方を向いた。お花を摘み終えた彼女は、グラフィラ様のお墓に手を合わせている。

 レオさんは、私がエミリアちゃんの寂しさに寄り添えると言ったけれど……きっとあの子と私の寂しさの質は違う。エミリアちゃんには、こうやって一番に考えてくれるお父さんがいるけれど、私の父は正反対だった。我が子を顧みることがなかった父に、私はこんな風に優しく見つめられたことはなかった。

 それが、私にとって羨ましく思う。

 お墓参りを終えたエミリアちゃんは、東屋に駆け寄ってくる。

「はぁ、おなかペコペコ!」
「もういい時間だな。お弁当にしようか、エミリア」