夜。
ご飯食べて風呂に入って、それから自室のベッドでスマホを開いた。
見てみようか、でも見たらショックを受けちゃうんだろうなと、ずっとジレンマが続いていたが、結局やっぱりひとの目が気になる。
みんなが盛り上がっているのを自分だけ知らないのは嫌だっていう――こういうのなんだったかな、『facebook症候群』とか呼ぶんだっけ? ま あ、ログインしたのは別のSNSなんだけど。
画面上に表示されたやりとりは、承認されたアカウントでしかログインできない演劇部メンバー限定のグループ。
当然今日の放課後にあった次回公演作品決定の話題で持ちきりだろう。
みんな僕のこと、なんて言ってるのかな。
怖いもの見たさと、どうせ僕のことバカにしてるんだろという悪趣味な自虐思考が交互にやってくる。
そんな中、おそるおそるログインボタンを押した。
つい数分前のコメントから始まり、スクロールしていくと多くの書き込みがあった。
明日から始まる段取りについての打ち合わせや、どんな音楽をつけたら面白そうか、とか。この辺りはおもに、部長や副部長、それから今日の審査会で司会をしていた眼鏡女子のやりとりだろう。
そしてその下、時系列的にはみんなの帰宅直後くらいか。一、二年生たちのコメントが連なる。
一年生部員が初めての応募で採用されたことに対して、同じ一年生たちはキャッキャキャッキャとハイテンションな会話を重ね、僕と同じ二年生たちは上品に感心していた。
――で、僕のことはなんて言ってる?
ゆっくりとスクロールしていくが、見当たらない。
ほぼすべて、採用された下級生のことばかりだ。
ネットでの誹謗中傷とか、社会問題になることも多いってのに、ここはなんてしっかりしてるんだろう。まあ、アカウント名から誰が誰なのか部内で特定されているため不用意な発言はできないし、僕がここを見るだろうこともみんな予測しているはずなので、あからさまなことは書けないのかもしれない。
でもさ……それでも、なんかあるでしょうに。
コウ先輩の脚本、きっと面白いんじゃないのかな、なんていう後輩のひと言とか。
僕はコウに期待してる、っていう同輩のエールとか。
いや、ないか。
そもそも応募作は審査員の五名しか読んでいない。自分から進んでほかの部員に見せることは問題ないのだが、僕は誰にも見せていなかった。
審査前に感想を聞くのが怖かったのもあるし、正式に採用されればどうせみんな読むんだしといううぬぼれもあった。
さらにスクロールしていくと、あるコメントに目が留まった。
『明日の講評が楽しみ。』
その書き込みに対してみんな、そだね、そだねと同意していた。
講評は明日顧問から一斉に行われる。
講評内容も気になるが、注目したい点はほかにあった。
審査員五名で、四対一と票が割れた。
つまり、一年生の採用作品よりも、僕のホンのほうがよかった、面白かったという審査員がいるという点だ。
たった五名の主観に委ねれば、審査する人間の趣味嗜好や境遇によって結果が左右されることもあるだろう。今回の五名では四対一だったものが、広く社会に問えばひょっとしたら逆転しているかもしれない。テレビの視聴率は六百世帯のサンプルでも正確な数値は出せないと言われているくらいだ。五人じゃお話にならない。
…………。
ここまで考えて、自己嫌悪に陥る。
楓が言った通り、病みまくってる……。出た結果を受け止めずに、僕はどれだけ毒を吐いてるんだ。
部内のみんなだって、一年生の初出品作と僕の三度目の応募作でどんな違いがあったのか、興味はあるだろう。でも、思っていながらあえて口にしないのかもしれない。それだけひとのことを思いやることができる人間力の高いメンバーなんだ。
ここは素直に現実を受け入れよう。
僕は敗れた。
そうだ。
そうなんだ。
でもね、
そう、――でも。
ひとりは僕の作品のほうが優れているとジャッジしたのも事実であり現実だ。
誰が誰に入れたかが発表される予定はないものの……。
もしも、そのひとりが一穂だったら?
審査員の中で紅一点。部内でもひと際存在感を放ち、次回作でも当然ヒロイン候補の彼女だけは僕の脚本を選んでいたら?
それはもう、僕にとっては百万票に等しい。
今回見る目のなかった顧問や先輩たちのことも赦し、採用された一年生を称えようじゃないか。
審査員か誰か、僕に投じられた一票について『におわせ』でもコメントしていないか気になり、そのままスクロールし続けていった。
すると――。
ここまでの会話でまだ登場していなかった人物のアカウント名を初めて目にした。
時系列でいうと、発表されて三十分後くらいのかなり初期の段階で一度きり書き込んだということになる。
そのアカウント名は、『ichiho』。
疑いようもない。一穂だ。
彼女がその名で書き込みしているのはこれまで部室なんかでも見かけたことがある。
で、そのコメント内容だが、採用された後輩の作品名を挙げて、
すごく好きな世界観。優しさが溢れてた。この物語の大ファンだよ。
と書かれていた。
三連の文、すべてがプラス評価。
脚本の部分的にどこ、ではなく、全部。丸ごといい。そんな感じか。
しかも、
――大ファン。
大ファンだってさ。
ほう。
もし仮に、一穂が僕に一票投じていたとしたら、そんな表現を使うだろうか。
んんん……彼女がよほどの超腹黒女じゃないかぎり考えにくい。
いや逆に、その超腹黒女ではないと言い切れる根拠は?
と、考えてはっとする。では、実際超腹黒女だったとして、そんな彼女の一票を百万票の価値があると言った僕はなんなんだ?
…………。
「はぁ……」
深いため息をついて、SNSからログアウトした。
またしても僕はひどい自己嫌悪に陥る。
きっとコンプレックスのせいだ。
一穂とは過去に苦い思い出がある。そのときのことがずっと忘れられずに脳裏にへばりついているのだ。時間を巻き戻せるなら高校入学直後に戻りたい。そしてもう一度やり直してみたい。
……。
――いや、違う。
巻き戻したいんじゃない。
だって巻き戻してもきっと同じ失敗をしでかす気がする。
あのことを、幸い一穂が表立って誰かに話した様子はなかったが、それはきっと彼女にとっての黒歴史だからだろう。
一穂のことはもう忘れたんだ。
そう自分に言い聞かせたじゃないか。
いや、忘れるどころか、もともと彼女とは何もなかった。何も始まってないし終わってもない。ただの同級生で、たまたま同じ演劇部員として在籍しているんだ。僕は彼女のことなどなんとも思ってない。
僕がほんとに好きなのはゆずきだけ。
スマホのウェブアプリを起動させると、僕は小説エディタを開いた。
縦書きの原稿用モードに切り替える。
真っ白な画面の右上にカーソルが点滅している。
『コウ、小説とか書いたら?』
べつに、楓に勧められたからじゃない。
僕はいままさに、僕の意志で書こうと思ったんだ。
ここ最近、頻繁に僕の夢の中に登場する女の子。
僕が名付けたわけじゃない。彼女は自分からゆずきと名乗った。
昔観た映画で、仮想現実空間を舞台に人類とコンピュータの戦いを描いたSFアクションシリーズがあった。現実だと思っていた世界はコンピュータが作り出した仮想現実で、本当の現実世界は別にあったというやつだ。ラノベ界隈でも異世界ファンタジーモノではこの映画に影響を受けた設定が腐るほどある。
たしか映画の主人公も、起きているのに夢を見ているような感覚に悩まされていた。
いま生きているこの世界は、もしかしたら夢なんじゃないかって。
僕も同じだ。
夢で見た世界が本当の現実世界だったらどんなに良かったか。
もちろん、そんなの高二にもなって情けない厨二病だってのはわかってる。
――でも、小説の中なら僕の自由だろ?
こういうことを話すと女子はきっとキモいとか言ってくるんだろうけど、男だけが妄想してるわけじゃない。彼女たちのなかにだって、イケメンで家庭的な王子様を待ち焦がれてる子はいるはずだ。ドラマも映画も漫画も小説も、昔もいまもその需要が尽きることはない。
『俺もみんなも同じだよ。理想を描いて生きてるのは』
楓、その言葉だけは手放しで賛同するよ。
理想。
僕にもある。
だから僕は僕の世界を描く。
主人公は僕。
ヒロインは『ゆずき』。
彼女は僕にとって、理想の女の子だ。
ご飯食べて風呂に入って、それから自室のベッドでスマホを開いた。
見てみようか、でも見たらショックを受けちゃうんだろうなと、ずっとジレンマが続いていたが、結局やっぱりひとの目が気になる。
みんなが盛り上がっているのを自分だけ知らないのは嫌だっていう――こういうのなんだったかな、『facebook症候群』とか呼ぶんだっけ? ま あ、ログインしたのは別のSNSなんだけど。
画面上に表示されたやりとりは、承認されたアカウントでしかログインできない演劇部メンバー限定のグループ。
当然今日の放課後にあった次回公演作品決定の話題で持ちきりだろう。
みんな僕のこと、なんて言ってるのかな。
怖いもの見たさと、どうせ僕のことバカにしてるんだろという悪趣味な自虐思考が交互にやってくる。
そんな中、おそるおそるログインボタンを押した。
つい数分前のコメントから始まり、スクロールしていくと多くの書き込みがあった。
明日から始まる段取りについての打ち合わせや、どんな音楽をつけたら面白そうか、とか。この辺りはおもに、部長や副部長、それから今日の審査会で司会をしていた眼鏡女子のやりとりだろう。
そしてその下、時系列的にはみんなの帰宅直後くらいか。一、二年生たちのコメントが連なる。
一年生部員が初めての応募で採用されたことに対して、同じ一年生たちはキャッキャキャッキャとハイテンションな会話を重ね、僕と同じ二年生たちは上品に感心していた。
――で、僕のことはなんて言ってる?
ゆっくりとスクロールしていくが、見当たらない。
ほぼすべて、採用された下級生のことばかりだ。
ネットでの誹謗中傷とか、社会問題になることも多いってのに、ここはなんてしっかりしてるんだろう。まあ、アカウント名から誰が誰なのか部内で特定されているため不用意な発言はできないし、僕がここを見るだろうこともみんな予測しているはずなので、あからさまなことは書けないのかもしれない。
でもさ……それでも、なんかあるでしょうに。
コウ先輩の脚本、きっと面白いんじゃないのかな、なんていう後輩のひと言とか。
僕はコウに期待してる、っていう同輩のエールとか。
いや、ないか。
そもそも応募作は審査員の五名しか読んでいない。自分から進んでほかの部員に見せることは問題ないのだが、僕は誰にも見せていなかった。
審査前に感想を聞くのが怖かったのもあるし、正式に採用されればどうせみんな読むんだしといううぬぼれもあった。
さらにスクロールしていくと、あるコメントに目が留まった。
『明日の講評が楽しみ。』
その書き込みに対してみんな、そだね、そだねと同意していた。
講評は明日顧問から一斉に行われる。
講評内容も気になるが、注目したい点はほかにあった。
審査員五名で、四対一と票が割れた。
つまり、一年生の採用作品よりも、僕のホンのほうがよかった、面白かったという審査員がいるという点だ。
たった五名の主観に委ねれば、審査する人間の趣味嗜好や境遇によって結果が左右されることもあるだろう。今回の五名では四対一だったものが、広く社会に問えばひょっとしたら逆転しているかもしれない。テレビの視聴率は六百世帯のサンプルでも正確な数値は出せないと言われているくらいだ。五人じゃお話にならない。
…………。
ここまで考えて、自己嫌悪に陥る。
楓が言った通り、病みまくってる……。出た結果を受け止めずに、僕はどれだけ毒を吐いてるんだ。
部内のみんなだって、一年生の初出品作と僕の三度目の応募作でどんな違いがあったのか、興味はあるだろう。でも、思っていながらあえて口にしないのかもしれない。それだけひとのことを思いやることができる人間力の高いメンバーなんだ。
ここは素直に現実を受け入れよう。
僕は敗れた。
そうだ。
そうなんだ。
でもね、
そう、――でも。
ひとりは僕の作品のほうが優れているとジャッジしたのも事実であり現実だ。
誰が誰に入れたかが発表される予定はないものの……。
もしも、そのひとりが一穂だったら?
審査員の中で紅一点。部内でもひと際存在感を放ち、次回作でも当然ヒロイン候補の彼女だけは僕の脚本を選んでいたら?
それはもう、僕にとっては百万票に等しい。
今回見る目のなかった顧問や先輩たちのことも赦し、採用された一年生を称えようじゃないか。
審査員か誰か、僕に投じられた一票について『におわせ』でもコメントしていないか気になり、そのままスクロールし続けていった。
すると――。
ここまでの会話でまだ登場していなかった人物のアカウント名を初めて目にした。
時系列でいうと、発表されて三十分後くらいのかなり初期の段階で一度きり書き込んだということになる。
そのアカウント名は、『ichiho』。
疑いようもない。一穂だ。
彼女がその名で書き込みしているのはこれまで部室なんかでも見かけたことがある。
で、そのコメント内容だが、採用された後輩の作品名を挙げて、
すごく好きな世界観。優しさが溢れてた。この物語の大ファンだよ。
と書かれていた。
三連の文、すべてがプラス評価。
脚本の部分的にどこ、ではなく、全部。丸ごといい。そんな感じか。
しかも、
――大ファン。
大ファンだってさ。
ほう。
もし仮に、一穂が僕に一票投じていたとしたら、そんな表現を使うだろうか。
んんん……彼女がよほどの超腹黒女じゃないかぎり考えにくい。
いや逆に、その超腹黒女ではないと言い切れる根拠は?
と、考えてはっとする。では、実際超腹黒女だったとして、そんな彼女の一票を百万票の価値があると言った僕はなんなんだ?
…………。
「はぁ……」
深いため息をついて、SNSからログアウトした。
またしても僕はひどい自己嫌悪に陥る。
きっとコンプレックスのせいだ。
一穂とは過去に苦い思い出がある。そのときのことがずっと忘れられずに脳裏にへばりついているのだ。時間を巻き戻せるなら高校入学直後に戻りたい。そしてもう一度やり直してみたい。
……。
――いや、違う。
巻き戻したいんじゃない。
だって巻き戻してもきっと同じ失敗をしでかす気がする。
あのことを、幸い一穂が表立って誰かに話した様子はなかったが、それはきっと彼女にとっての黒歴史だからだろう。
一穂のことはもう忘れたんだ。
そう自分に言い聞かせたじゃないか。
いや、忘れるどころか、もともと彼女とは何もなかった。何も始まってないし終わってもない。ただの同級生で、たまたま同じ演劇部員として在籍しているんだ。僕は彼女のことなどなんとも思ってない。
僕がほんとに好きなのはゆずきだけ。
スマホのウェブアプリを起動させると、僕は小説エディタを開いた。
縦書きの原稿用モードに切り替える。
真っ白な画面の右上にカーソルが点滅している。
『コウ、小説とか書いたら?』
べつに、楓に勧められたからじゃない。
僕はいままさに、僕の意志で書こうと思ったんだ。
ここ最近、頻繁に僕の夢の中に登場する女の子。
僕が名付けたわけじゃない。彼女は自分からゆずきと名乗った。
昔観た映画で、仮想現実空間を舞台に人類とコンピュータの戦いを描いたSFアクションシリーズがあった。現実だと思っていた世界はコンピュータが作り出した仮想現実で、本当の現実世界は別にあったというやつだ。ラノベ界隈でも異世界ファンタジーモノではこの映画に影響を受けた設定が腐るほどある。
たしか映画の主人公も、起きているのに夢を見ているような感覚に悩まされていた。
いま生きているこの世界は、もしかしたら夢なんじゃないかって。
僕も同じだ。
夢で見た世界が本当の現実世界だったらどんなに良かったか。
もちろん、そんなの高二にもなって情けない厨二病だってのはわかってる。
――でも、小説の中なら僕の自由だろ?
こういうことを話すと女子はきっとキモいとか言ってくるんだろうけど、男だけが妄想してるわけじゃない。彼女たちのなかにだって、イケメンで家庭的な王子様を待ち焦がれてる子はいるはずだ。ドラマも映画も漫画も小説も、昔もいまもその需要が尽きることはない。
『俺もみんなも同じだよ。理想を描いて生きてるのは』
楓、その言葉だけは手放しで賛同するよ。
理想。
僕にもある。
だから僕は僕の世界を描く。
主人公は僕。
ヒロインは『ゆずき』。
彼女は僕にとって、理想の女の子だ。