「あと五分です」
 僕と同じ二年生で、ふだんは会計兼音楽を担当しているメガネ女子が、正面に掛かっている時計を見上げて言った。彼女はもっぱらこういうときの司会役だ。
 放課後、僕たち演劇部員は稽古場を兼ねた部室に集合していた。
 前方の長机には、五名の審査員がパイプ椅子に掛けている。
 左端には髭を蓄えた恰幅のいい顧問。
 業界人っぽさを醸し出す五十代男性で、このひとはとにかく渋い声を出す。
 その隣には部長兼演出家を務める男子の先輩。
 このひとは世の中の一般人が演出家という職業に抱く堅物なイメージ(って偏見だよな)とは対極に位置する、物腰柔らかなひとだ。
 それから中央には副部長兼演出補佐である女子の先輩。
 逆にこちらはチャキチャキとしていて、手際よく動く。たいていの指示出しは部長ではなく副部長が行っていた。
 あとの二席には次期部長と副部長が内定している二年生男子と女子がひとりずつ。
 僕は向かって右端に座る彼女を見た。
 同級生の一穂(いちほ)だ。
 黒髪のショートで色白の肌。
 ぱっちりとした目に長いまつげ、そしてきりりとした眉。
 一穂は一年生の頃からヒロインを演じることが多かった。顧問や先輩たちからの信頼は厚く、後輩からも慕われている。さらに生徒会役員でもある。
 容姿端麗、頭脳明晰、演技が達者で人望も厚い。
 そんな完璧女子、実在するわけないだろ!(怒)と毒づきたくもなる、演劇部の、いや、僕らの高校のマドンナ的存在。
 彼女は涼しげな顔で机の上に並んだ台本をぺらぺらとめくっていた。
 あれはどっちだ?
 もう、決めているのだろうか。
 一方の顧問や先輩たちは口を真一文字に結んでいたり、目を閉じて思案したり、タイムアップギリギリまで悩もうとしているようだ。
 そんな長机の審査役を、床に座った一、二年生たちが見守る。
 今朝見た夢の中でのバーベキューは盛り上がっていたが、あの光景が嘘のように(まあ、夢だからね)いまは静まり返っている。
 いまここでは、審査会が行われていた。
 審査員たちが審査しているのは、演劇部の次回公演脚本だ。
 うちの部は代々オリジナル脚本を作るという伝統がある。
 そしてその脚本は部員が手掛ける。
 それはどの部員が書いてもよく、基本的には部内で審査される。
 審査員は五名。
 もしも複数の応募があればコンペティション――コンペになる。
 で、いまはまさにそのコンペが行われているのだ。
 今回の応募は二作。
 どちらかのホン(僕たちは脚本のことを『ホン』と呼ぶ)が選ばれるか、どちらも選ばれないか。
 どちらも選ばれることはない。
 体育座りをしていた僕は、握っていた拳の中がべったりと汗ばんでいることに気づいた。
 ――ケセラセラ、ケセラセラ。
 ここに来る前に、『緊張しなくなることで有名なおまじない』を何度も唱えてきたというのに……。
 めちゃくちゃ緊張しまくってる!
 なぜって、そりゃそうだ。二作のうちの一作は僕が書いた脚本で、もう一作は初めて応募してきた一年生のなんだから。
 よりによって、僕と後輩の一騎打ち。
 ちなみに僕は、今回が三度目の挑戦だ。入部してからこれまで、ずっと大道具・小道具制作兼照明担当をしてきた僕の、三度目の挑戦。
「三度目の正直になるといいね」
 ほかの二年生部員からはそう励まされたが、常につきまとうのは、
 ――二度あることは、三度ある。
 呪いのようなこの言葉。
「時間です」
 司会である会計兼音楽担当のメガネ女子の合図で、みんなが一斉に顔を上げた。
「それでは審査員の皆さん、お手元の投票用紙に選んだ脚本のタイトルをお書きください」
 まっさきに記入したのは一穂だ。彼女は書き終わるなり用紙を四つ折りにした。
 少し間をおいてからほかの四名もペンを執る。
 全員が記載し終わったところで司会の女子がそれぞれの用紙を順に集めて回った。
 部の慣例で、結果はすぐに発表される。どの審査員がだれに投票したのかは明かされず、選評も次回の集まりのときに顧問からまとめて伝えられる。
 僕はなるべく表情を変えないよう努めた。
 目を閉じれば祈っているように見えるだろうから、目は開いている。
 うつむいたり天を仰いだりしたら祈っているように見えるだろうから、正面を見ている。
 手を合わせたり拳を合わせたりしたら祈っているように見えるだろうから、 手は開いたまま、自然な形で体育座りの膝の上に置いている。
 歯を食いしばったり口を固く閉じたりしたら祈っているように見えるだろうから、少し開いた状態でいる。
 ――って、僕はいったい誰を意識しまくってるんだよ!
 たとえ自分のホンが選ばれなくても、せめて後輩のもダメであってほしい。
『今回は残念ながら、両名いずれの脚本も次回公演で上演できるレベルに達していませんでした』
 そう言われたのなら、まだマシだ。
 僕は中学のとき、県の文芸コンクール小説部門で、ほんとのほんとにまぐれで賞なんかをとってしまった。
 他に取り柄を見いだせないコウ少年は、なにを勘違いしたのかそれ以来、物語を書くことだけに誇りをもって生きてきて、趣味で小説を書きつつ高校の部活動は演劇部に決めたのだ。
 自分の思い描く世界を今度は生身の人間に演じさせたい。
 そんな願望からだったのだろう。
 それなのに――過去二回の応募作は、いずれもコンペに敗れている。
 まあ、あえて言わせてもらえるのなら、いずれも相手が上級生で、採用経験豊富な常連たちだったから、あの敗戦はしかたない。
 これまではそう自分を慰めることができた。
 でも、今回のホンには自信があるし、さすがに後輩になんて負ける気がしない。
「――というわけで、次回作は××さんの作品、『××××』に決定しました」
 部室に拍手が鳴り響いた。

 ……ん?

 あれ、もしかして……結果発表終わってる?
 祈ってると思われないよう無理やりフラットな状態を意識してたら、逆に目の前の出来事から意識が遠のいていた。
 長机の奥のホワイトボードを見る。
 そこには僕と後輩、それぞれの応募した脚本の作品名が書かれていて、僕に『1』、後輩に『4』と記されていた。
 あれたぶん得票数なんだよな、なんてことをぼんやりと考えた瞬間、急に拍手の音が遠のいた。
 みんなの声も聞こえなくなった。
 一穂は自分の周りに集まった後輩女子たちと談笑している。

 選ばれたのは後輩の脚本だった。