店の中に戻り中央にある薄茶色のロッキングチェアに腰をかける。
近くの本を手に取り表紙を撫でた。
読み込みすぎて題名が消えてしまっている本。だけど、ホコリは一切被ってなくキレイだ。
僕は対して楽でもないのに足を組んで本を開き片手で持った。
規則正しく並べられた細かな文字をざっと流し読みをする。
ここにある本の内容は全て覚えた。
だけど、この本だけはなぜか何度読んでも覚えられない。

1ページ捲り数秒するとパタンっと音を立てて本を閉じる。

面白いけどやっぱりまだ覚えれなさそう……

僕は近くの積まれた本の1番上にその本を置いた。
そのタイミングで扉の軋む音が店の中に響く。

「主(ぬし)様!!」
「琥珀!」

入ってきたのは小学生くらいの子供。この子こそこの店の唯一の従業員。名前は琥珀。ちなみに主様は僕の愛称。
肩まで伸びた絹のような白髪(はくはつ)に磨かれた金貨のような金色の瞳。そして、陶器のような白い肌にリンゴのような赤い唇の目に入れても痛くないほど愛らしい少女。

僕が立ち上がると駆け足で向かって懐に抱きついてきた。
僕はそんな琥珀の頭をガラスに触れるかのように優しく丁寧に撫でる。

「昨日はなんで来なかったの? なんかあった?」
優しく聞くと琥珀は僕から離れ穢れのない笑みを浮かべた。

「あのね! 昨日ね! お昼の時に公園にいたら子供達が居たの!」
「ほう。それで一緒に遊んでたの?」
まるで我が子の1日の出来事を聞いてるかのような気分で笑顔で聞き返す。
琥珀はさっきまで僕が座っていた椅子に腰をかけ地面につかない足をパタパタとさせた。

「ううん! その時狐で居てね! みんなみたいに人間になったら逃げられちゃった!」

僕は笑顔のまま凍りついたように固まった。
サラッとなんでもない事のように発言する琥珀だが、人間からしたら狐がいきなり少女に変わるなど寒心に堪えないだろう。
実の所、この子は妖狐。今の見た目こそ幼く可愛げがある姿だが妖力もかなり強く、琥珀曰く魂を見つけるのが得意らしい。

いつまでも動かない僕に琥珀が上目遣いで袖を揺すってくる。

「主様主様? どうしたの?」
「あ、いや。大丈夫だよ」
琥珀は妖の中ではまだ幼い故に危機管理能力がまだない。
狐の妖怪など、人間にはいい思い入れがないだろう。そのため陰陽師にでも見つかったらすぐ退治されてしまう。
ここは大人である僕が注意せねば。

ゴホンっと1度咳払いし、口を開こうとすると琥珀の方が先に声を出した。

「あとね! あとね! 子供達がいなくなってつまんなかったからブランコ乗ったの! そしたら、隣に頭が光ってるおじちゃんが座ったの!」
「おじちゃんが?」
「うん! どよよーんってしてて、辛そうなお顔だった!」

…………絶対リストラされたサラリーマンじゃん!

昼間の公園で暗い面持ちでブランコに座ってるおじさん。
偏見でしかないが鮮明に思い浮かぶ。スーツ姿で目に見えない何十キロもの重荷を背負って項垂れてるおじさんが。

「『どうしたの?』って聞いたら『息子がグレたんだ。全部私のせいだ……どうすればいいんだ……』って言ってた!」
「それを幼子に相談すな!」

そんな面倒くさそうな人に関わる琥珀も琥珀だが、重たい事をこんな幼い子供に相談するというなんとも身勝手な行動に思わずツッコミを入れてしまった。
リストラではなさそうだけど、身内の悩みほどめんどくさいことは無い。
言葉選びに困るし。本があればまた別だけど……

「琥珀ね、グレるの意味がわからなかったから取り敢えず『頑張れ!』って言ってあげた!」

満足気に鼻を擦る琥珀に思わず表情が緩む。
そっか。これからそうやって返せばいいのか。
心の中の僕が「おぉ」と感嘆の声を上げている。
僕は琥珀の頭を優しく撫でた。

「お利口さんだね」

これは俗に言う親バカというものだろう。だが、琥珀は実の子供ではない。
それに、この子にはちゃんと親がいるしあくまで従業員だ。
それでもこうやっていると本物の親子になった気がして心の奥底が愛情でいっぱいになる。

「ところで、グレるってなぁに?」

キョトンとした表情と好奇心溢れる眼差しで問われ、思わず顎に手をあてて深く考える。
既存の単語をいざ小学生くらいの子供に説明するというのはかなり難しい。
なるべくわかりやすく、的確な言葉を見つけなくてはならない。
うーん。と唸っていると扉が軋む音がして、反射的に振り向いた。

お客様かな?

入ってきたのはひとりの青年。針山のように尖った金髪頭にピアスがいくつも空いた耳。つり上がった目付きに下唇の右側にはリングのピアスが着いていた。
まさに、今琥珀が聞いてきた言葉が実体化して登場したような人だ。

「琥珀、グレるっていうのはこういう事だよ?」

僕が彼の方に歩み寄り、肩に手を置くと彼は鋭い目付きをさらに鋭くさせて睨んでくる。

「てめぇ、初対面で喧嘩売ってんのか?」

低いが若さの張りのある声で言われ僕はすぐに手を離した。
琥珀がトテトテと僕達に近づいてきて彼の方を指差す。

「頭ピカピカのおじさん!」

うん。確かに色合いはピカピカだけど髪の毛がない人を指すような言葉に聞こえるし、おじさんは完全に煽りに来てる。

「おい。この店は客の気分を害する店員しかいねぇのか?」
案の定、青年は抑えきれない怒りを滲み出しながら口元をヒクヒクさせていて僕は慌てて琥珀の口を塞ぎ指を下げさせた。

「申し訳ありません。この子はまだ幼いもので」
「てめぇもそうだわボケが」

苛立ちを隠そうともしない青年はふてぶてしい態度で店の中に入り少しだけ仰ぎみるように店全体を見ると僕の椅子に腰をかけた。

「ところで、どういった本をお探しで?」

僕は聞きながら椅子の近くに置いてある本を軽く隅によける。
青年は慣れた感じで足を組みふんぞり返るように後ろに体重をかけた。
その姿にどこか懐かしいものを覚えたが思い出すのをなんとなくやめといた。

「ここは願いを叶えてくれる本屋なんだろ?」
「願いは叶えることは出来ませんが、相談には乗らせて頂いてます」

どこからの情報なのか、たまにこういう勘違いした人がやって来ることもある。
まぁ、悩みは聞くことはたくさんあるけどここは至極普通の本屋だし。
変わってることと言えば従業員が人間じゃないことくらい。
……“ことくらい”で済ませていいのかは疑問だけど。

青年は「あー」と呟いて僕と琥珀を交互に見て、表情を歪ませて下唇についているピアスを舐めた。
雰囲気からしてかなり追い詰められてそう。

青年は意を決したかのような真剣な表情になり僕を見た。

「わかった。話だけでも聞いてくれ」
「はい。できる限り力になりましょう」