「出席番号」
今日から君は名字が変わる。
◇
中学時代、私はこっぴどくいじめられていた。
キッカケは些細なものだった。スクールカースト上位の不良と肩がぶつかったときに私が謝らなかったとかで、
私は毎日、クラスメイトから授業中にゴミを投げられ、罵詈雑言を浴びていた。
教室ではいつも孤立し、この窓から身を投げることが出来たらどれだけ楽だろうかと妄想を膨らませて、休み時間を過ごした3年間。
しかし私は、そんな日々と決別するべく、朝から晩までどんなに陰キャラと蔑まれようが猛勉強に励んだ。その末に、地元から随分と遠い高校を受験し、どうにか合格したのだ。
ここから人生をやり直す。
そう決めたものの、高校の入学式の日、私は大きな正門の前で立ちすくんでいた。震える足が動かない。
耳に刺したイヤホンからは、受験中に好きになったブルーハーツが、私にだけガンバレを叫んでいる。
私はあの日々と決別するんだ。
私は震える身体を無視して、イヤホンを外し、大きな門を潜り抜けた。
◇
入学式が行われる体育館に入ると、緑色のパイプ椅子がクラス毎に並べられている。
私はクラス表に記されていた出席番号順に座り、震える手をどうにか抑えつけていた。
ここにはもう私をいじめた人たちはいない、大丈夫、と自分に言い聞かせる。新しい友達を作るんだ。
入学式の開式時刻が迫ると、新入生たちがゾロゾロとやってきた。早くもグループを作って戯れている女の子たちも多く、私は置いてきぼりを食らったように感じる。またいじめられたらどうしよう、という不安が頭によぎる。
私は、目を瞑り、冷や汗を掻きながら手の震えを抑えていると、誰かに肩をトンと叩かれた。
私は「うおっ」と素っ頓狂な声をあげる。
振り返ると、黒髪を長く伸ばした肌の白い女の子が、私をじっと見つめていた。
一重でまつ毛が黒く長いので、大和撫子な印象を受ける。唇は淡く桃色が滲んでいて、白い肌によく映えている。
その唇の口角を少し上げながら、彼女は穏やかに私に話しかけた。
「ね、イヤホンから、ずっと音漏れしてるよ。」
私はどうやら、スマートフォンの停止ボタンを押さずに、イヤホンをポケットに押し込んでいたようだ。
シャカシャカと音が漏れている。
「あ、ごめん!止めるね。…教えてくれてありがとう。」
私はスマートフォンを取り出し音楽を止めると、甲本ヒロトが歌うのをやめる。
すると、私の画面を覗き見た彼女が嬉しそうに声をあげる。
「やっぱり!ブルーハーツのハンマーだ!」
「あ、うん…ブルーハーツ好きで…」
すると、彼女はまるで、砂漠で水を見つけた旅人のように、一重の目を大きく見開いた。
「最高かよ…あのね、私マーシーに憧れて、最近貯めてたお年玉でベース買ったの!!」
「…マーシーって、ブルーハーツのギターの人だよね?マーシーに憧れたのに、ベース買ったの?」
「うん。なんか四弦の方が簡単な気がしたから。でも全然弾けないから部屋のオブジェと化してる。」
勿体無いよ、と私が笑うと、彼女はケタケタ笑い返す。そして、私に手を差し出した。
「なんか仲良くなれそう。私は上野。上野詩音。よろしくね。」
私は緊張しながら、彼女の手を取る。
「私は五十嵐。五十嵐春。よろしくね。」
人と握手するなんて何年ぶりだろうか。それは思っていたより湿っぽくて、暖かい。怖いはずなのに、彼女の手の暖かさに触れた瞬間、私の手の震えは、笑ってしまうくらいあっさりと収まっていた。
◇
クラスの座席は、出席番号順に並べられていたので、上野と私は前後の席だった。その甲斐もあり、上野と私は早々に打ち解け、あっという間に親しくなった。
上野はバンドとアニメに詳しく、休憩時間はいつも今期のおすすめアニメやバンドを私に教えてくれる。
上野とバンドの話をしていると、私はバンドを始めたくなり、まんまとギターを買い、軽音楽部に入部した。
私は上野に、一緒に軽音楽部に入ろうと誘ったが、上野は、ベースはあくまで部屋のオブジェであることを強調し、美術部に入部した。そして、驚くほどすぐに辞めた。
休憩時間、上野は美術部への愚痴をこぼす。
「私、ベースを青く塗り直したくてさ。
美術室にベースと青いペンキ持っていって、一人で色塗ってたの。
でも皆鉛筆でデッサンしてるから、もうペンキ臭いのなんの。めちゃくちゃ白い目で見られたから、部活辞めちゃった。」
「上野がイレギュラーすぎるでしょそれは…」
「まだペンキ乾いてないから、また美術室に取りに行かないとなー。でもベース、可愛く色塗れたよ。今度見せるね。」
ニッコリ笑う上野は無邪気だ。突飛なことをする子だけど、なんだか憎めない。私は上野の真っ直ぐな破天荒さに惹かれていた。
◇
それから1ヶ月が経って、私は最初こそ軽音楽部で浮いていたものの、練習を重ねる内に、部員たちと打ち解けていった。
特に、私は同じ一年の、ドラムの沢田ありすという女の子と親しくなった。
いつも一人で黙々と練習している私に、ありすが気兼ねなく声をかけてくれたおかげで、私は軽音楽部の同期たちと話す機会が増えたのだ。
ありすはいつも、部室で茶髪ロングを盛大に揺らしながらドラムを叩く。小ぶりの目が笑うとタレ目になるのが魅力的だ。
背は低いが声は大きく活発な性格で、いつも部員を笑わせてる、部内のムードメーカーだ。
ありすがいつも通りのハツラツした声で、私に言う。
「春!練習終わったら皆でクレープ食べにいこうよ。」
「え、行きたい!」
暗かった私が、部活の友達とクレープを食べに行くようになるなんて。思い描いていた青春って感じがして嬉しい。
私がわかりやすく浮き足立っていると、スマートフォンが鳴った。上野から電話だ。
「もしもし」
「春お疲れー。今日部活終わった後、暇だったらアニメイト行かない?銀魂の新しいくじが出ててさ」
「ごめん…今日は部活の子たちと遊ぶんだ。」
「あ、じゃあそっち優先してー!また誘うわ!」
上野の声は少し落胆が見えたものの穏やかで、私は内心ホッとした。
しかし、そんなことが数回続いて、私はクラスでも上野と話す回数が少しずつ減っていった。
私は休み時間でも、隣のクラスのありすと行動することが増えた。上野はありすのハツラツとした性格が苦手なようで、ありすが教室に入ってくると、いつも居心地が悪そうだ。
上野は、同じアニメ好きの真波という女の子とよく一緒にいるようになり、席が前後であるにも関わらず、私たちは疎遠となっていった。
◇
軽音楽部の部員と打ち解けていく内に、私はギターの伊藤優太という男の子に心惹かれていった。
彼は私と同じ一年生で、ギターを中学から弾いているらしい。切れ長一重で、筋の通った鼻、笑うとガタガタの歯が口の隙間から覗き、それがなんだか可愛らしかった。
彼は初心者の私に根気良くギターを教えてくれて、二人の距離は縮まり、私と優太は晴れて付き合うこととなった。私にとって、初めての彼氏だ。
ありすは私たちをよく冷やかした。
「いいなー、仲良さそうで羨ましい。」
「でも、ありすも他校に彼氏いるんじゃなかった?」
「そうなんだけどさ…、最近彼が忙しいって言って。あんまり連絡取れてないんだよね。」
ありすは少し寂しそうな顔をした。いつも元気なありすには珍しく、しおらしい。私は言葉にあぐねた結果、なんとも薄っぺらく無責任な励ましを送った。
「…落ち着いたらまた会えるよ、大丈夫だよ。電話とか、してみたら?」
「うん、そうだね、ありがとう。今日電話してみる。」
ありすは私の根拠のないアドバイスに、引きつった笑顔を作ってくれた。
いつも明るいありすなら、恋愛の苦難も上手く乗り切るだろう。私が男なら、ありすのように朗らかで陽気な女の子を手離したりしない。
しかし翌日、ありすは予想に反して、真っ赤に腫らした目で私のいる教室に入ってきた。いつも綺麗にアイロンで伸ばしているツヤツヤの茶髪は、今日は随分とボサボサで、別人のようにやつれた顔をしている。
「ありす…どうしたの?」
「あの後、彼氏に電話したら、別れようって。」
私は言葉に息詰まる。気の利いた言葉が何も浮かばない。
「…大丈夫?私にできることは言ってね。」
そう言うと、ありすは暗いトーンで私に提案する。
「じゃあ、今日、私と一緒に早退してくれない?」
「え、それはちょっと…。部活もあるし…」
「なんで?できることは言って、って今言ったもん。」
「今日は優太と練習する約束したから…」
ありすは分かりやすく不機嫌になり、低い声で呟いた。
「私より彼氏優先するんだ。」
「そうじゃなくて、先に約束したからさ。」
「そもそも、私は昨日、春が電話したら?って言うから電話したんだよ?電話なんてしなきゃ、別れなかったかもしれないのに。なんとも思わないの?」
「え…」
そう言われると、確かに私にも責任があるような気がして、言葉を失ってしまう。そんな私を見て、ありすは苛ついた様子で鞄を手に取り、机の上にバン、とわざと大きな音を立てるようにして置いた。
「私一人で早退するわ。保健室行ってくる。」
ありすはそのまま、本当に早退してしまい、私は休み時間を一人で過ごした。
クラスメイトたちの喧騒がぼんやりと耳に入る。
私は、ありすとばかり過ごして、このクラスで友達を全然作ってこなかったことに少し後悔した。
私の脳裏に、もしかしたら上野が一緒に休み時間を過ごしてくれるかも…と都合の良い考えがよぎる。
しかし上野の方に目をやると、真波とアニメ談義に白熱していて、どうにも入っていけない。
暇を持て余した私は、ツイッターのタイムラインを眺めた。数時間前のありすのツイートが目に飛び込む。
[幸せなやつに同情されるのが一番ムカつく]
私は少し、スマートフォンを持つ手が震えた。
しばらく出ていなかった、私の震え癖。
私のことだろうか。そう思うとブルブルと指が震えてくる。考えすぎだと自分に言い聞かせながら、私は久々に自分の手を抑えつけた。
◇
次の日、ありすは私のいる教室に来なかった。
嫌な予感に胃を痛めながらも、私はどうにかその日の授業をやり過ごし、放課後、何事もないことを祈りながら、部室に足を運んだ。
ありすは他の部員たちと談笑していた。笑顔のありすを見て、私は少し胸を撫で下ろす。
私は精一杯の笑顔を繕って、ありすに声をかけた。
「ありす、元気になった?」
ありすは私を一瞥してから、特に返事をせずに目を逸らした。周りの部員たちも、なんだか私に対してよそよそしい。
ジメジメとした陰鬱な空気が辺りに充満していく。中学のときに何度も吸い込んでいた空気だ。懐かしいような気すらして、私は呆然とする。
私は気にしない素振りで、優太とギターを練習し始めた。
しかし、ありすと、その取り巻きの部員たちが、私を見てコソコソと笑っているのが手に取るように分かる。
私を嘲笑しているように思えて、ギターの練習に集中できない。
優太は、この部室の陰鬱な空気に気付いていないようだ。いつもより曲の覚えが遅い私に、優太は少し困った顔をしていた。
帰り道、私はぼんやりと歩きながら、今日一日を振り返る。ありすはやはり、相当怒っているのだろう。
私は、悪い予感が外れていることを祈りながらツイッターを開いた。数回、スクロールすると、ポンという音と共に、ありすのツイートがタイムラインに何件も表示される。
[彼氏と一緒にいるとこ見せつけて、当て付けなのかな。]
[平然と声かけてきて、信じられない。]
[もう部活に来ないでほしい]
そしてそのツイートに、他の軽音部員たちが同意しているリプライがぶらさがる。
青い画面をスクロールする手が震える。私は息苦しさを覚えて、ツイッターアプリをそっと閉じた。
◇
次の日、私は仮病を使い、学校を休んだ。
お腹が痛いと言う私を、母はあっさりと信じて、学校に電話を入れてくれた。
私は布団にくるまりながら、グルグルと心に渦巻く自己嫌悪に浸る。
きっと私には人を苛立たせる才能があるのだろう。中学でも高校でも孤立して。
もう二度とこんな想いはしたくなかったのに。きっと私には生きる才能がないんだ。
私は、部屋の中にいると気が狂いそうで、胃薬を買ってくると母に嘘をついて、繁華街に出た。
ブルーハーツの「青空」を聴きながら街中を歩くと自然と涙が滲んでくる。
気晴らしでもしようと本屋に入ると、同じ高校の制服の女の子が、アニメ雑誌を一心不乱に立ち読みしていた。
「ああ、尊い…」と小さく独り言を漏らしていて、少し気味が悪い。ふうっと息をつき、満足気に本を閉じたその子の顔を見て、私は驚いた。
上野だ。
「上野…?」
上野は驚いて振り返る。黒髪がサラッと揺れ、甘いシャンプーの香りが私の鼻を掠めた。
「え!五十嵐?なんでいるの?学校は?」
「体調不良で休んで…仮病だけどね。上野は?」
上野は少し顔を赤らめながら私に言った。
「いや…あの…推しアニメのグッズ販売が今日のお昼からでして…学校はズル休みをしまして…」
思わず吹き出した私を見て、上野は暖かく微笑しながら言った。
「五十嵐、ちょっと付き合ってよ。」
私は上野とアニメイトに行くことになった。
沢山のアニメグッズがびっちりと棚に並べられており、煌びやかな二次元のキャラたちが、三次元で疲れた心を少し和らげてくれる。
上野は、アニメのくじを2万円ぶん引いて私を驚かせた。
「え!?そんなに使うの!?」
「全部当てないと気い済まないからさー。あと、実はバイト始めたんだ。雑貨屋さん。楽しいよ。」
「そうなんだ…上野はちゃんと進んでるんだね。私は最近、全然上手くいってないから、もう上野とバイトしようかな。」
「なんかあったの?」
私は上野に一部始終を説明した。彼氏が出来たこと、ありすが冷たくなったこと、軽音楽部で孤立してること。
ずっと黙って私の話を聞いてくれた後、上野は少し沈黙してから、口を開いた。
「単純に、五十嵐に嫉妬して、八つ当たりしてるんじゃないの。そんなの気にすんなよって言いたいところだけど、気にしないとか無理だよね。」
「…気にする」
「五十嵐は大丈夫だよ。軽音もし辞めてもさ、外でバンド組んだらいいじゃん。それで日頃のストレスをぶつけた曲書いてさ、鬱憤晴らしたらいいんじゃない。」
マイペースに生きている上野らしいアドバイスが、今日の私には突き刺さる。
「…ありがとう。曲かあ、いつか書いてみたいなあ。」
「うん、書け書け。そんで有名になって、マーシーのサインもらってきて。」
いつかバンドを組んで、ライブハウスで演奏する日を思い描く。すると、なんだか根拠のない勇気が湧いてくる。
「…明日、ありすと話してみるよ。」
「え?話すの?大丈夫?あいつに話通じるかなあ。」
「うん、このままじゃモヤモヤするし。軽音楽部辞めるのも嫌だから。」
「…わかった。変なことされたら教えてね。」
「ありがとう。」
◇
次の日、私はブルーハーツの「人に優しく」を聴きながら、部室へ向かった。
入学式の日のように、部室前で足が震える。
イヤホンを耳から外し、震える足を抑えつけて、部室のドアを開いた。ガンバレ、私。
部室に入ると、ありすは他の部員たちと騒いでいたが、私を見つけてバツの悪そうな顔をした。
私はありすの顔をはっきり見据える。
「二人で話したいんだけど、いいかな。」
空いていた練習室を一つ借りて、私はありすと二人きりで対面した。ありすは不機嫌そうに腕を組む。
「なんか用?」
私は少しうろたえたが、ブルーハーツの歌詞を、そして上野の助言を思い出して、口を開いた。
思っていたよりずっと、大きな声が出た。
「あのさ、ネットで悪口言うぐらいだったら、直接言えばいいじゃん。」
ありすは黙っている。
「ツイッターに書いてるの、全部、私のことでしょ?分かってるよ。」
ありすはずっと下を向いていた。怒っているような仏頂面で、分かりやすく口をつぐんでいる。
「…なんか言ってよ?」
すると、驚いたことに、ありすはポロポロと泣き出した。
「彼氏にフラれてから、辛かった。ずっとイライラしてた。自分の感情素直にぶつけられるの、春しか居なくて…。寂しかったの。」
私を嘲笑っていたネットの中の彼女と、今、目の前で粛々と泣いている現実の彼女が、まるで別人のように思えてくる。
私は、まるで自分がありすを一方的に責め立てている身勝手な人間に思えた。
茶髪を揺らしながらハツラツとドラムを叩くありすが好きだったことを思い出す。入部当初、私に優しく声を掛けてくれたありす。
しかし、私を嘲笑っていたありすも、間違いなくありすなのだ。
私は、彼女を許すべきなのか、許さないべきなのか迷って立ち尽くした。
私が決断に迷っていると、突如、練習室のドアがバーン!と激しい音を立てて開いた。
私の、感情崩壊音。
ドアの向こうには、上野が立っていた。
走ってきたのか、汗をかいて息を切らしている。
呆気に取られていると、上野が声を張った。
「こんにちは!入部志望者です!上野と言います!担当は、ベースです!」
ポカンとしている私とありすをよそに、上野は話し続ける。
「私、五十嵐さんとバンド組みたくて!ベースも持ってきました!よかったら今から一緒に練習しませんか!!」
たしかに上野の手には、部屋のオブジェであるはずの青いベースが握られている。青いペンキを乱雑に塗られたベースは、想像以上にイカしていた。
私は戸惑いながらも一応の返事をする。
「えっと…じゃあ…喜んで…」
「では、ドラムの方すみませんが、今から二人で練習しますので…ご退室願えましたら…」
ありすは、呆気に取られて「え?ああ、はい…」とだけ言い残して、練習室を出た。
パタン、とドアが閉まると同時に、上野が笑い出す。
「ちょっと上野、一体なんなの?」
「私、ベースを青く塗ったって言ってたじゃん。ずっと美術室に放置しててさ。ペンキもそろそろ乾いたかなと思って、今日取りにいったら、急にベース弾きたくなったんよねー。」
「しらじらしい…」
その後、私と上野は、部活終了時刻の18時まで、練習室でブルーハーツを歌い倒した。
上野は弾けないベースを出鱈目に弾いて、私は喉が枯れるまで笑った。
「上野、今日はありがとう。楽しかった。」
「いやー、遊んだね、盛大に。」
「私さ、やっぱりバンドしたいし、軽音楽部も辞めない。ありすとは距離を置くよ。新しいメンバー、部内で探してみる。」
「いいじゃん。私もベース、ハマりそうかも。練習室のカギって、借りてていいのかな?私アンプ持ってないからさ。明日、朝早めに来て練習するわ。」
私は急にベースのやる気を出した上野を嬉しく思う。
「じゃあ、顧問の先生に言っとくよ。また明日ね。」
私はまた上野と音を鳴らす日を楽しみに、帰路についた。
◇
次の日、学校に行くと上野は居なかった。
上野にラインしても返事はなく、結局、上野は6時間目の授業まで来ることはなかった。
きっとまた、アニメイトにでも行っているのだろう。
そう思い、私は心配していなかったが、帰りのホームルームで担任から思わぬ事実を告げられる。
「上野は一週間の停学処分だ。皆もより一層引き締めて勉学に励むように。」
私は青ざめる。
昨日あんなに楽しそうにしていた上野が?
停学なんて、上野に一体何があったんだろう。
私を昨日助けてくれた上野。私は上野の異変に何も気付けなかった自分を少し情けなく思った。
ホームルーム後、担任に私は問い詰める。
「先生、上野はなんで停学なんですか?」
担任は怪訝な顔で話し始める。
「五十嵐は、たしか軽音楽部だよな?今日の朝方、軽音楽部の部室に青いペンキをブチ撒けたやつがいてな。特にドラムなんてベタベタでもう使えたもんじゃないよ。」
私は思わず無言になる。
「そのペンキの缶が美術部の部室から見つかってな。美術部員に事情聴取したら、あのペンキは上野の私物だって言うから。上野に聞いたらアッサリ認めたよ。何してんだろなアイツは。」
「…何してんでしょうねほんとに」
私はそう言いながら、口角が上がるのを必死に押さえ込んでいた。口が思わず震える。それは、手の震えを抑え込むより難易度が高く、私は息を漏らしながら笑いを堪えていた。
◇
あれから時は経ち、十年後の春。
私はあの後、上野の助言通りバンド活動に励んで、曲を書くようになった。
そして、いじめられていたときのことを曲にして、バンドに少し火がつき、そのまま続けて今に至る。
上野とは今でも、月に1回は食事に行く仲だ。
上野はあの一週間の停学後、親に泣かれたとかで、真面目になることを決意したらしい。
高校のときにバイトしていた雑貨屋を継続して、昇格して正社員をしている。
バンドを続けている私よりもずっと、破天荒ではない、まともな生活だ。
ある日、上野からラインが届いた。
「入籍します!結婚式をするのでよかったら来てください。」
婚姻届を手にする二人の写真と共に、結婚式場の案内が記されている。
あの頃より大人っぽくなった上野。黒かった髪も茶色く染めて垢抜けている。
喜ばしいことのはずなのに、私は心に穴がぽっかりと空いたような気持ちだ。
上野は、入籍して藤本という名字になるらしい。
上野ってこれからも呼んでいいのかな。
上野と出会った入学式を思い出す。ブルーハーツが好きだと言った上野。青いペンキをブチ撒けられたベースと部室。まるであの頃の上野とは別人のようだ。
新しい名字じゃ、出席番号、離れるじゃん。
席、前と後ろじゃなくなるじゃん。
私は拗ねながらも、おめでとう、とシンプルなメッセージを送ると、上野から電話が入った。
「五十嵐!元気?結婚式来てよね。」
「いくよ、そりゃ。」
「なんか、元気ない?どうした?」
上野の優しい声。なんだか泣き出しそうだ。
「上野。上野は、上野じゃなくなるの?」
「そうだよ。でも何も変わんないよー。上野って呼んでいいし。」
「変わんないけど、変わるじゃん。」
変わらないようで変わっていくのが悲しかった。
あの日の私たちじゃなくなるのが、悲しかった。
◇
結婚式はとても暖かい、良い式だった。
ブルーハーツの「キスしてほしい」を入場曲に、上野は白いウェディングドレスを着て現れた。
上野の上司が祝辞を述べ、サプライズ動画がスクリーンに映し出され、ブーケトスは女子たちの戦争で、私は上野に曲を作って唄い、お母さんへの手紙を上野が読んだときは、その場にいる皆が涙した。
中でも盛り上がったのがお色直しのときだ。
ブルーハーツの「1000のバイオリン」が流れる中、上野は目を見張るような、真っ青なグラデーションのドレスで登場した。
夏の海のような、暑い日の空のような濃度の強い青色が、上野の白い肌によく映えていて、白いウェディングドレス姿よりも感動してしまったほどだ。
上野が真夏のお姫様だとしたら、タキシードを着た新郎は、姫を連れ去る魔物のように思えてくる。
あの頃の上野を、私の上野を、どうか連れ去らないで。
◇
結婚式の後、上野にラインしようとしたが、上野の名前が見当たらない。
しばらく探したが見つからず、ハ行までスクロールしたところで気付いた。
上野はすでにラインの名前を藤本に変えていたことに気付く。
私のラインの中にもう上野の名前はない。
今日から君は名字が変わるんだ。
さよなら、上野詩音。さよなら、あの日の私たち。
すると上野から、いや、藤本詩音から着信が鳴った。
電話を取ると、結婚式を無事終えて少し興奮気味の上野の声が飛び込んでくる。
「春!来てくれてありがとう。二次会の場所わかる?」
「大丈夫だよ。それよりさ、凄く良い式だった。ウェディングドレスもだけど、披露宴の青いドレス、凄く綺麗だったよ。真夏のお姫様みたいだった。」
私がドレスを褒め称えると、上野はふふ、と満足げに笑う。
「ありがとう。あれね、実は自分で染めたの!」
「え!?そうなの?」
「うん、お母さんのお古のウェディングドレスがあってね。着たかったんだけど経年劣化で色がくすんでて。着れないよりは良いと思って、青色に染めたの。藍染めって言うんだけど、意外と簡単だよ。まあお母さんは驚いて悲鳴あげてたけど。」
「…また思い切ったねえ。」
上野は、打ち明けるような声で話す。
「白いドレスを青い染料にブチ込んだときさ、軽音楽部の部室にペンキ撒いたときのこと思い出したよ。覚えてる?」
「覚えてるに決まってるでしょ…事件だよ。」
「あのとき、白い壁やらドラムセットやらが青く染まっていって、やけに爽快だったんだ。停学になっても、なんてことなかった。青いのが弾け飛ぶ瞬間見れたから。
ねえ、マーシーもあんな気持ちかな?
ギター弾くのってあんな感じ?青いのが弾け飛ぶ感じ?」
「うん。その通りだよ。」
上野は何も変わっていなかった。名字が変わっても、上野は上野だ。
結婚しようが、名字が変わろうが関係ない。
常軌を逸して、常識を打破して、青いのを弾け飛ばしながら生きている。
みるきーうぇい「出席番号」Music Video
https://www.youtube.com/watch?v=Q864njnyGqA&feature=youtu.be
ライナーノーツはこちらから↓↓
「出席番号」
http://milkyway-music.com/?p=17427
【リリース情報 / Release Information】
発売日:2020/9/30(水)
商品タイトル:3rd mini AL「僕らの感情崩壊音」
収録曲:全6曲収録
価格・品番:1800円(税別)UMCK-1658
収録曲
M1:「ドンガラガッシャンバーン」
M2:「大阪路地裏少年」
M3:「汚れた手」
M4:「出席番号」
M5: 9/16(水)00:00解禁
M6:???????
商品予約はこちらから↓↓
UNIVERSAL MUSIC STORE
https://store.universal-music.co.jp/product/umck1658/
【DOWNLOAD / STREAMING】
M1「ドンガラガッシャンバーン」
https://milkyway.lnk.to/dongaragasshanbaan
M2「大阪路地裏少年」
https://milkyway.lnk.to/Osaka_Rojiurashonen
M3「汚れた手」
https://milkyway.lnk.to/Yogoretate
M4「出席番号」
https://Milkyway.lnk.to/ShussekibangoMB
【みるきーうぇいプロフィール】
#アッパー系メンヘラ、伊集院香織による
一人バンドプロジェクト「みるきーうぇい」。
本人の実体験から生み出される痛々しい魂の叫びが同じような経験のある若い世代を中心に絶大な支持を受けている。
自身が体験した”いじめ”を題材にしたMV「カセットテープとカッターナイフ」が
SNSを通じて紹介したことも起因し、大きな話題を呼ぶ。
2016年、1st single『カセットテープとカッターナイフ』を前代未聞のCDではなくカセットテープで初全国流通。
インディーズウィークリーランキング第5位となり、完全自主レーベルのインディーズバンドにして快挙の数字を叩き出す。
2019年には自身の楽曲をモチーフに、半自伝小説「放課後爆音少女」を執筆。
伊集院香織名義にて、小説投稿サイト「LINEノベル」に投下すると、月間ランキングにて1位を獲得。
自身でショートストーリーを描き、それに主題歌を付け発信する
新しい“音楽と小説の融合”を生み出すアーティスト。
・オフィシャルHP
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・Twitter
https://twitter.com/kaori__milkyway
・Instagram
https://www.instagram.com/kaorimilkyway9/
・note
https://note.com/milkywaykaori/followings
今日から君は名字が変わる。
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中学時代、私はこっぴどくいじめられていた。
キッカケは些細なものだった。スクールカースト上位の不良と肩がぶつかったときに私が謝らなかったとかで、
私は毎日、クラスメイトから授業中にゴミを投げられ、罵詈雑言を浴びていた。
教室ではいつも孤立し、この窓から身を投げることが出来たらどれだけ楽だろうかと妄想を膨らませて、休み時間を過ごした3年間。
しかし私は、そんな日々と決別するべく、朝から晩までどんなに陰キャラと蔑まれようが猛勉強に励んだ。その末に、地元から随分と遠い高校を受験し、どうにか合格したのだ。
ここから人生をやり直す。
そう決めたものの、高校の入学式の日、私は大きな正門の前で立ちすくんでいた。震える足が動かない。
耳に刺したイヤホンからは、受験中に好きになったブルーハーツが、私にだけガンバレを叫んでいる。
私はあの日々と決別するんだ。
私は震える身体を無視して、イヤホンを外し、大きな門を潜り抜けた。
◇
入学式が行われる体育館に入ると、緑色のパイプ椅子がクラス毎に並べられている。
私はクラス表に記されていた出席番号順に座り、震える手をどうにか抑えつけていた。
ここにはもう私をいじめた人たちはいない、大丈夫、と自分に言い聞かせる。新しい友達を作るんだ。
入学式の開式時刻が迫ると、新入生たちがゾロゾロとやってきた。早くもグループを作って戯れている女の子たちも多く、私は置いてきぼりを食らったように感じる。またいじめられたらどうしよう、という不安が頭によぎる。
私は、目を瞑り、冷や汗を掻きながら手の震えを抑えていると、誰かに肩をトンと叩かれた。
私は「うおっ」と素っ頓狂な声をあげる。
振り返ると、黒髪を長く伸ばした肌の白い女の子が、私をじっと見つめていた。
一重でまつ毛が黒く長いので、大和撫子な印象を受ける。唇は淡く桃色が滲んでいて、白い肌によく映えている。
その唇の口角を少し上げながら、彼女は穏やかに私に話しかけた。
「ね、イヤホンから、ずっと音漏れしてるよ。」
私はどうやら、スマートフォンの停止ボタンを押さずに、イヤホンをポケットに押し込んでいたようだ。
シャカシャカと音が漏れている。
「あ、ごめん!止めるね。…教えてくれてありがとう。」
私はスマートフォンを取り出し音楽を止めると、甲本ヒロトが歌うのをやめる。
すると、私の画面を覗き見た彼女が嬉しそうに声をあげる。
「やっぱり!ブルーハーツのハンマーだ!」
「あ、うん…ブルーハーツ好きで…」
すると、彼女はまるで、砂漠で水を見つけた旅人のように、一重の目を大きく見開いた。
「最高かよ…あのね、私マーシーに憧れて、最近貯めてたお年玉でベース買ったの!!」
「…マーシーって、ブルーハーツのギターの人だよね?マーシーに憧れたのに、ベース買ったの?」
「うん。なんか四弦の方が簡単な気がしたから。でも全然弾けないから部屋のオブジェと化してる。」
勿体無いよ、と私が笑うと、彼女はケタケタ笑い返す。そして、私に手を差し出した。
「なんか仲良くなれそう。私は上野。上野詩音。よろしくね。」
私は緊張しながら、彼女の手を取る。
「私は五十嵐。五十嵐春。よろしくね。」
人と握手するなんて何年ぶりだろうか。それは思っていたより湿っぽくて、暖かい。怖いはずなのに、彼女の手の暖かさに触れた瞬間、私の手の震えは、笑ってしまうくらいあっさりと収まっていた。
◇
クラスの座席は、出席番号順に並べられていたので、上野と私は前後の席だった。その甲斐もあり、上野と私は早々に打ち解け、あっという間に親しくなった。
上野はバンドとアニメに詳しく、休憩時間はいつも今期のおすすめアニメやバンドを私に教えてくれる。
上野とバンドの話をしていると、私はバンドを始めたくなり、まんまとギターを買い、軽音楽部に入部した。
私は上野に、一緒に軽音楽部に入ろうと誘ったが、上野は、ベースはあくまで部屋のオブジェであることを強調し、美術部に入部した。そして、驚くほどすぐに辞めた。
休憩時間、上野は美術部への愚痴をこぼす。
「私、ベースを青く塗り直したくてさ。
美術室にベースと青いペンキ持っていって、一人で色塗ってたの。
でも皆鉛筆でデッサンしてるから、もうペンキ臭いのなんの。めちゃくちゃ白い目で見られたから、部活辞めちゃった。」
「上野がイレギュラーすぎるでしょそれは…」
「まだペンキ乾いてないから、また美術室に取りに行かないとなー。でもベース、可愛く色塗れたよ。今度見せるね。」
ニッコリ笑う上野は無邪気だ。突飛なことをする子だけど、なんだか憎めない。私は上野の真っ直ぐな破天荒さに惹かれていた。
◇
それから1ヶ月が経って、私は最初こそ軽音楽部で浮いていたものの、練習を重ねる内に、部員たちと打ち解けていった。
特に、私は同じ一年の、ドラムの沢田ありすという女の子と親しくなった。
いつも一人で黙々と練習している私に、ありすが気兼ねなく声をかけてくれたおかげで、私は軽音楽部の同期たちと話す機会が増えたのだ。
ありすはいつも、部室で茶髪ロングを盛大に揺らしながらドラムを叩く。小ぶりの目が笑うとタレ目になるのが魅力的だ。
背は低いが声は大きく活発な性格で、いつも部員を笑わせてる、部内のムードメーカーだ。
ありすがいつも通りのハツラツした声で、私に言う。
「春!練習終わったら皆でクレープ食べにいこうよ。」
「え、行きたい!」
暗かった私が、部活の友達とクレープを食べに行くようになるなんて。思い描いていた青春って感じがして嬉しい。
私がわかりやすく浮き足立っていると、スマートフォンが鳴った。上野から電話だ。
「もしもし」
「春お疲れー。今日部活終わった後、暇だったらアニメイト行かない?銀魂の新しいくじが出ててさ」
「ごめん…今日は部活の子たちと遊ぶんだ。」
「あ、じゃあそっち優先してー!また誘うわ!」
上野の声は少し落胆が見えたものの穏やかで、私は内心ホッとした。
しかし、そんなことが数回続いて、私はクラスでも上野と話す回数が少しずつ減っていった。
私は休み時間でも、隣のクラスのありすと行動することが増えた。上野はありすのハツラツとした性格が苦手なようで、ありすが教室に入ってくると、いつも居心地が悪そうだ。
上野は、同じアニメ好きの真波という女の子とよく一緒にいるようになり、席が前後であるにも関わらず、私たちは疎遠となっていった。
◇
軽音楽部の部員と打ち解けていく内に、私はギターの伊藤優太という男の子に心惹かれていった。
彼は私と同じ一年生で、ギターを中学から弾いているらしい。切れ長一重で、筋の通った鼻、笑うとガタガタの歯が口の隙間から覗き、それがなんだか可愛らしかった。
彼は初心者の私に根気良くギターを教えてくれて、二人の距離は縮まり、私と優太は晴れて付き合うこととなった。私にとって、初めての彼氏だ。
ありすは私たちをよく冷やかした。
「いいなー、仲良さそうで羨ましい。」
「でも、ありすも他校に彼氏いるんじゃなかった?」
「そうなんだけどさ…、最近彼が忙しいって言って。あんまり連絡取れてないんだよね。」
ありすは少し寂しそうな顔をした。いつも元気なありすには珍しく、しおらしい。私は言葉にあぐねた結果、なんとも薄っぺらく無責任な励ましを送った。
「…落ち着いたらまた会えるよ、大丈夫だよ。電話とか、してみたら?」
「うん、そうだね、ありがとう。今日電話してみる。」
ありすは私の根拠のないアドバイスに、引きつった笑顔を作ってくれた。
いつも明るいありすなら、恋愛の苦難も上手く乗り切るだろう。私が男なら、ありすのように朗らかで陽気な女の子を手離したりしない。
しかし翌日、ありすは予想に反して、真っ赤に腫らした目で私のいる教室に入ってきた。いつも綺麗にアイロンで伸ばしているツヤツヤの茶髪は、今日は随分とボサボサで、別人のようにやつれた顔をしている。
「ありす…どうしたの?」
「あの後、彼氏に電話したら、別れようって。」
私は言葉に息詰まる。気の利いた言葉が何も浮かばない。
「…大丈夫?私にできることは言ってね。」
そう言うと、ありすは暗いトーンで私に提案する。
「じゃあ、今日、私と一緒に早退してくれない?」
「え、それはちょっと…。部活もあるし…」
「なんで?できることは言って、って今言ったもん。」
「今日は優太と練習する約束したから…」
ありすは分かりやすく不機嫌になり、低い声で呟いた。
「私より彼氏優先するんだ。」
「そうじゃなくて、先に約束したからさ。」
「そもそも、私は昨日、春が電話したら?って言うから電話したんだよ?電話なんてしなきゃ、別れなかったかもしれないのに。なんとも思わないの?」
「え…」
そう言われると、確かに私にも責任があるような気がして、言葉を失ってしまう。そんな私を見て、ありすは苛ついた様子で鞄を手に取り、机の上にバン、とわざと大きな音を立てるようにして置いた。
「私一人で早退するわ。保健室行ってくる。」
ありすはそのまま、本当に早退してしまい、私は休み時間を一人で過ごした。
クラスメイトたちの喧騒がぼんやりと耳に入る。
私は、ありすとばかり過ごして、このクラスで友達を全然作ってこなかったことに少し後悔した。
私の脳裏に、もしかしたら上野が一緒に休み時間を過ごしてくれるかも…と都合の良い考えがよぎる。
しかし上野の方に目をやると、真波とアニメ談義に白熱していて、どうにも入っていけない。
暇を持て余した私は、ツイッターのタイムラインを眺めた。数時間前のありすのツイートが目に飛び込む。
[幸せなやつに同情されるのが一番ムカつく]
私は少し、スマートフォンを持つ手が震えた。
しばらく出ていなかった、私の震え癖。
私のことだろうか。そう思うとブルブルと指が震えてくる。考えすぎだと自分に言い聞かせながら、私は久々に自分の手を抑えつけた。
◇
次の日、ありすは私のいる教室に来なかった。
嫌な予感に胃を痛めながらも、私はどうにかその日の授業をやり過ごし、放課後、何事もないことを祈りながら、部室に足を運んだ。
ありすは他の部員たちと談笑していた。笑顔のありすを見て、私は少し胸を撫で下ろす。
私は精一杯の笑顔を繕って、ありすに声をかけた。
「ありす、元気になった?」
ありすは私を一瞥してから、特に返事をせずに目を逸らした。周りの部員たちも、なんだか私に対してよそよそしい。
ジメジメとした陰鬱な空気が辺りに充満していく。中学のときに何度も吸い込んでいた空気だ。懐かしいような気すらして、私は呆然とする。
私は気にしない素振りで、優太とギターを練習し始めた。
しかし、ありすと、その取り巻きの部員たちが、私を見てコソコソと笑っているのが手に取るように分かる。
私を嘲笑しているように思えて、ギターの練習に集中できない。
優太は、この部室の陰鬱な空気に気付いていないようだ。いつもより曲の覚えが遅い私に、優太は少し困った顔をしていた。
帰り道、私はぼんやりと歩きながら、今日一日を振り返る。ありすはやはり、相当怒っているのだろう。
私は、悪い予感が外れていることを祈りながらツイッターを開いた。数回、スクロールすると、ポンという音と共に、ありすのツイートがタイムラインに何件も表示される。
[彼氏と一緒にいるとこ見せつけて、当て付けなのかな。]
[平然と声かけてきて、信じられない。]
[もう部活に来ないでほしい]
そしてそのツイートに、他の軽音部員たちが同意しているリプライがぶらさがる。
青い画面をスクロールする手が震える。私は息苦しさを覚えて、ツイッターアプリをそっと閉じた。
◇
次の日、私は仮病を使い、学校を休んだ。
お腹が痛いと言う私を、母はあっさりと信じて、学校に電話を入れてくれた。
私は布団にくるまりながら、グルグルと心に渦巻く自己嫌悪に浸る。
きっと私には人を苛立たせる才能があるのだろう。中学でも高校でも孤立して。
もう二度とこんな想いはしたくなかったのに。きっと私には生きる才能がないんだ。
私は、部屋の中にいると気が狂いそうで、胃薬を買ってくると母に嘘をついて、繁華街に出た。
ブルーハーツの「青空」を聴きながら街中を歩くと自然と涙が滲んでくる。
気晴らしでもしようと本屋に入ると、同じ高校の制服の女の子が、アニメ雑誌を一心不乱に立ち読みしていた。
「ああ、尊い…」と小さく独り言を漏らしていて、少し気味が悪い。ふうっと息をつき、満足気に本を閉じたその子の顔を見て、私は驚いた。
上野だ。
「上野…?」
上野は驚いて振り返る。黒髪がサラッと揺れ、甘いシャンプーの香りが私の鼻を掠めた。
「え!五十嵐?なんでいるの?学校は?」
「体調不良で休んで…仮病だけどね。上野は?」
上野は少し顔を赤らめながら私に言った。
「いや…あの…推しアニメのグッズ販売が今日のお昼からでして…学校はズル休みをしまして…」
思わず吹き出した私を見て、上野は暖かく微笑しながら言った。
「五十嵐、ちょっと付き合ってよ。」
私は上野とアニメイトに行くことになった。
沢山のアニメグッズがびっちりと棚に並べられており、煌びやかな二次元のキャラたちが、三次元で疲れた心を少し和らげてくれる。
上野は、アニメのくじを2万円ぶん引いて私を驚かせた。
「え!?そんなに使うの!?」
「全部当てないと気い済まないからさー。あと、実はバイト始めたんだ。雑貨屋さん。楽しいよ。」
「そうなんだ…上野はちゃんと進んでるんだね。私は最近、全然上手くいってないから、もう上野とバイトしようかな。」
「なんかあったの?」
私は上野に一部始終を説明した。彼氏が出来たこと、ありすが冷たくなったこと、軽音楽部で孤立してること。
ずっと黙って私の話を聞いてくれた後、上野は少し沈黙してから、口を開いた。
「単純に、五十嵐に嫉妬して、八つ当たりしてるんじゃないの。そんなの気にすんなよって言いたいところだけど、気にしないとか無理だよね。」
「…気にする」
「五十嵐は大丈夫だよ。軽音もし辞めてもさ、外でバンド組んだらいいじゃん。それで日頃のストレスをぶつけた曲書いてさ、鬱憤晴らしたらいいんじゃない。」
マイペースに生きている上野らしいアドバイスが、今日の私には突き刺さる。
「…ありがとう。曲かあ、いつか書いてみたいなあ。」
「うん、書け書け。そんで有名になって、マーシーのサインもらってきて。」
いつかバンドを組んで、ライブハウスで演奏する日を思い描く。すると、なんだか根拠のない勇気が湧いてくる。
「…明日、ありすと話してみるよ。」
「え?話すの?大丈夫?あいつに話通じるかなあ。」
「うん、このままじゃモヤモヤするし。軽音楽部辞めるのも嫌だから。」
「…わかった。変なことされたら教えてね。」
「ありがとう。」
◇
次の日、私はブルーハーツの「人に優しく」を聴きながら、部室へ向かった。
入学式の日のように、部室前で足が震える。
イヤホンを耳から外し、震える足を抑えつけて、部室のドアを開いた。ガンバレ、私。
部室に入ると、ありすは他の部員たちと騒いでいたが、私を見つけてバツの悪そうな顔をした。
私はありすの顔をはっきり見据える。
「二人で話したいんだけど、いいかな。」
空いていた練習室を一つ借りて、私はありすと二人きりで対面した。ありすは不機嫌そうに腕を組む。
「なんか用?」
私は少しうろたえたが、ブルーハーツの歌詞を、そして上野の助言を思い出して、口を開いた。
思っていたよりずっと、大きな声が出た。
「あのさ、ネットで悪口言うぐらいだったら、直接言えばいいじゃん。」
ありすは黙っている。
「ツイッターに書いてるの、全部、私のことでしょ?分かってるよ。」
ありすはずっと下を向いていた。怒っているような仏頂面で、分かりやすく口をつぐんでいる。
「…なんか言ってよ?」
すると、驚いたことに、ありすはポロポロと泣き出した。
「彼氏にフラれてから、辛かった。ずっとイライラしてた。自分の感情素直にぶつけられるの、春しか居なくて…。寂しかったの。」
私を嘲笑っていたネットの中の彼女と、今、目の前で粛々と泣いている現実の彼女が、まるで別人のように思えてくる。
私は、まるで自分がありすを一方的に責め立てている身勝手な人間に思えた。
茶髪を揺らしながらハツラツとドラムを叩くありすが好きだったことを思い出す。入部当初、私に優しく声を掛けてくれたありす。
しかし、私を嘲笑っていたありすも、間違いなくありすなのだ。
私は、彼女を許すべきなのか、許さないべきなのか迷って立ち尽くした。
私が決断に迷っていると、突如、練習室のドアがバーン!と激しい音を立てて開いた。
私の、感情崩壊音。
ドアの向こうには、上野が立っていた。
走ってきたのか、汗をかいて息を切らしている。
呆気に取られていると、上野が声を張った。
「こんにちは!入部志望者です!上野と言います!担当は、ベースです!」
ポカンとしている私とありすをよそに、上野は話し続ける。
「私、五十嵐さんとバンド組みたくて!ベースも持ってきました!よかったら今から一緒に練習しませんか!!」
たしかに上野の手には、部屋のオブジェであるはずの青いベースが握られている。青いペンキを乱雑に塗られたベースは、想像以上にイカしていた。
私は戸惑いながらも一応の返事をする。
「えっと…じゃあ…喜んで…」
「では、ドラムの方すみませんが、今から二人で練習しますので…ご退室願えましたら…」
ありすは、呆気に取られて「え?ああ、はい…」とだけ言い残して、練習室を出た。
パタン、とドアが閉まると同時に、上野が笑い出す。
「ちょっと上野、一体なんなの?」
「私、ベースを青く塗ったって言ってたじゃん。ずっと美術室に放置しててさ。ペンキもそろそろ乾いたかなと思って、今日取りにいったら、急にベース弾きたくなったんよねー。」
「しらじらしい…」
その後、私と上野は、部活終了時刻の18時まで、練習室でブルーハーツを歌い倒した。
上野は弾けないベースを出鱈目に弾いて、私は喉が枯れるまで笑った。
「上野、今日はありがとう。楽しかった。」
「いやー、遊んだね、盛大に。」
「私さ、やっぱりバンドしたいし、軽音楽部も辞めない。ありすとは距離を置くよ。新しいメンバー、部内で探してみる。」
「いいじゃん。私もベース、ハマりそうかも。練習室のカギって、借りてていいのかな?私アンプ持ってないからさ。明日、朝早めに来て練習するわ。」
私は急にベースのやる気を出した上野を嬉しく思う。
「じゃあ、顧問の先生に言っとくよ。また明日ね。」
私はまた上野と音を鳴らす日を楽しみに、帰路についた。
◇
次の日、学校に行くと上野は居なかった。
上野にラインしても返事はなく、結局、上野は6時間目の授業まで来ることはなかった。
きっとまた、アニメイトにでも行っているのだろう。
そう思い、私は心配していなかったが、帰りのホームルームで担任から思わぬ事実を告げられる。
「上野は一週間の停学処分だ。皆もより一層引き締めて勉学に励むように。」
私は青ざめる。
昨日あんなに楽しそうにしていた上野が?
停学なんて、上野に一体何があったんだろう。
私を昨日助けてくれた上野。私は上野の異変に何も気付けなかった自分を少し情けなく思った。
ホームルーム後、担任に私は問い詰める。
「先生、上野はなんで停学なんですか?」
担任は怪訝な顔で話し始める。
「五十嵐は、たしか軽音楽部だよな?今日の朝方、軽音楽部の部室に青いペンキをブチ撒けたやつがいてな。特にドラムなんてベタベタでもう使えたもんじゃないよ。」
私は思わず無言になる。
「そのペンキの缶が美術部の部室から見つかってな。美術部員に事情聴取したら、あのペンキは上野の私物だって言うから。上野に聞いたらアッサリ認めたよ。何してんだろなアイツは。」
「…何してんでしょうねほんとに」
私はそう言いながら、口角が上がるのを必死に押さえ込んでいた。口が思わず震える。それは、手の震えを抑え込むより難易度が高く、私は息を漏らしながら笑いを堪えていた。
◇
あれから時は経ち、十年後の春。
私はあの後、上野の助言通りバンド活動に励んで、曲を書くようになった。
そして、いじめられていたときのことを曲にして、バンドに少し火がつき、そのまま続けて今に至る。
上野とは今でも、月に1回は食事に行く仲だ。
上野はあの一週間の停学後、親に泣かれたとかで、真面目になることを決意したらしい。
高校のときにバイトしていた雑貨屋を継続して、昇格して正社員をしている。
バンドを続けている私よりもずっと、破天荒ではない、まともな生活だ。
ある日、上野からラインが届いた。
「入籍します!結婚式をするのでよかったら来てください。」
婚姻届を手にする二人の写真と共に、結婚式場の案内が記されている。
あの頃より大人っぽくなった上野。黒かった髪も茶色く染めて垢抜けている。
喜ばしいことのはずなのに、私は心に穴がぽっかりと空いたような気持ちだ。
上野は、入籍して藤本という名字になるらしい。
上野ってこれからも呼んでいいのかな。
上野と出会った入学式を思い出す。ブルーハーツが好きだと言った上野。青いペンキをブチ撒けられたベースと部室。まるであの頃の上野とは別人のようだ。
新しい名字じゃ、出席番号、離れるじゃん。
席、前と後ろじゃなくなるじゃん。
私は拗ねながらも、おめでとう、とシンプルなメッセージを送ると、上野から電話が入った。
「五十嵐!元気?結婚式来てよね。」
「いくよ、そりゃ。」
「なんか、元気ない?どうした?」
上野の優しい声。なんだか泣き出しそうだ。
「上野。上野は、上野じゃなくなるの?」
「そうだよ。でも何も変わんないよー。上野って呼んでいいし。」
「変わんないけど、変わるじゃん。」
変わらないようで変わっていくのが悲しかった。
あの日の私たちじゃなくなるのが、悲しかった。
◇
結婚式はとても暖かい、良い式だった。
ブルーハーツの「キスしてほしい」を入場曲に、上野は白いウェディングドレスを着て現れた。
上野の上司が祝辞を述べ、サプライズ動画がスクリーンに映し出され、ブーケトスは女子たちの戦争で、私は上野に曲を作って唄い、お母さんへの手紙を上野が読んだときは、その場にいる皆が涙した。
中でも盛り上がったのがお色直しのときだ。
ブルーハーツの「1000のバイオリン」が流れる中、上野は目を見張るような、真っ青なグラデーションのドレスで登場した。
夏の海のような、暑い日の空のような濃度の強い青色が、上野の白い肌によく映えていて、白いウェディングドレス姿よりも感動してしまったほどだ。
上野が真夏のお姫様だとしたら、タキシードを着た新郎は、姫を連れ去る魔物のように思えてくる。
あの頃の上野を、私の上野を、どうか連れ去らないで。
◇
結婚式の後、上野にラインしようとしたが、上野の名前が見当たらない。
しばらく探したが見つからず、ハ行までスクロールしたところで気付いた。
上野はすでにラインの名前を藤本に変えていたことに気付く。
私のラインの中にもう上野の名前はない。
今日から君は名字が変わるんだ。
さよなら、上野詩音。さよなら、あの日の私たち。
すると上野から、いや、藤本詩音から着信が鳴った。
電話を取ると、結婚式を無事終えて少し興奮気味の上野の声が飛び込んでくる。
「春!来てくれてありがとう。二次会の場所わかる?」
「大丈夫だよ。それよりさ、凄く良い式だった。ウェディングドレスもだけど、披露宴の青いドレス、凄く綺麗だったよ。真夏のお姫様みたいだった。」
私がドレスを褒め称えると、上野はふふ、と満足げに笑う。
「ありがとう。あれね、実は自分で染めたの!」
「え!?そうなの?」
「うん、お母さんのお古のウェディングドレスがあってね。着たかったんだけど経年劣化で色がくすんでて。着れないよりは良いと思って、青色に染めたの。藍染めって言うんだけど、意外と簡単だよ。まあお母さんは驚いて悲鳴あげてたけど。」
「…また思い切ったねえ。」
上野は、打ち明けるような声で話す。
「白いドレスを青い染料にブチ込んだときさ、軽音楽部の部室にペンキ撒いたときのこと思い出したよ。覚えてる?」
「覚えてるに決まってるでしょ…事件だよ。」
「あのとき、白い壁やらドラムセットやらが青く染まっていって、やけに爽快だったんだ。停学になっても、なんてことなかった。青いのが弾け飛ぶ瞬間見れたから。
ねえ、マーシーもあんな気持ちかな?
ギター弾くのってあんな感じ?青いのが弾け飛ぶ感じ?」
「うん。その通りだよ。」
上野は何も変わっていなかった。名字が変わっても、上野は上野だ。
結婚しようが、名字が変わろうが関係ない。
常軌を逸して、常識を打破して、青いのを弾け飛ばしながら生きている。
みるきーうぇい「出席番号」Music Video
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「出席番号」
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【リリース情報 / Release Information】
発売日:2020/9/30(水)
商品タイトル:3rd mini AL「僕らの感情崩壊音」
収録曲:全6曲収録
価格・品番:1800円(税別)UMCK-1658
収録曲
M1:「ドンガラガッシャンバーン」
M2:「大阪路地裏少年」
M3:「汚れた手」
M4:「出席番号」
M5: 9/16(水)00:00解禁
M6:???????
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【みるきーうぇいプロフィール】
#アッパー系メンヘラ、伊集院香織による
一人バンドプロジェクト「みるきーうぇい」。
本人の実体験から生み出される痛々しい魂の叫びが同じような経験のある若い世代を中心に絶大な支持を受けている。
自身が体験した”いじめ”を題材にしたMV「カセットテープとカッターナイフ」が
SNSを通じて紹介したことも起因し、大きな話題を呼ぶ。
2016年、1st single『カセットテープとカッターナイフ』を前代未聞のCDではなくカセットテープで初全国流通。
インディーズウィークリーランキング第5位となり、完全自主レーベルのインディーズバンドにして快挙の数字を叩き出す。
2019年には自身の楽曲をモチーフに、半自伝小説「放課後爆音少女」を執筆。
伊集院香織名義にて、小説投稿サイト「LINEノベル」に投下すると、月間ランキングにて1位を獲得。
自身でショートストーリーを描き、それに主題歌を付け発信する
新しい“音楽と小説の融合”を生み出すアーティスト。
・オフィシャルHP
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