俺の家に向かうまでの間、菜穂は離婚に至るまでの経緯を簡潔に話してくれた。
「分かったって、一言。もうほんと、それだけ」
そんなにあっさりと手放せてしまうんだろうか。俺には理解できなかった。きっとどんなに懇願されても、俺は手放せない。
「むしろ、もっと早くにそう言ってくると思ってたって。私が切り出すまで、待ってたみたい」
少しさびしそうな笑顔を浮かべて、足元に視線を落とす横顔をただ無言で見つめた。
「あの人なりに家族になろうと、寄り添おうと、努力してくれた時も、あったの」
「……」
「でも、きっと私が、その思いに応えられなかったんだと思う」
「……」
「どうしても、私…」
「菜穂、」
泣きそうな声を遮れば、菜穂は我に返ったように顔を上げた。「ついた」と淡白にそう言えば、もっと泣きそうな顔になった。その頬を優しく撫でながら、宥めるように声を紡いだ。
「もういい。もう十分、分かったから」
諭すようにそう言った俺に、菜穂はきゅっと下唇を噛み締めた。きっと手放しで喜べられるほど、子供じゃなくなってしまった。いろんな感情が今でも雪崩のようにその心に溢れているのだろう。
「無理、だったの」
ドアに鍵を差し込んだところで、菜穂の声が背後に降りかかった。
「どうしても私、あっくんのこと、忘れられなかった」
俺の心を苦しくさせるのには十分すぎるほどの言葉だったと思う。
振り返れば、想像通り涙を流す菜穂が居た。震えるその手を取って、優しく引き寄せる。
「もう俺、離してやれない」
きっとこの中に入ってしまえば、どんなに泣き喚かれようがどんなに懇願されようが離せなくなるだろう。今度こそ縛り付けて、閉じ込めて、一生傍に置いておくかもしれない。
「思い直すなら、今しかねえよ」
念を押すように、涙を流すその瞳を見つめた。震える指先が、俺のそれに絡まりつく。「離さないで」と呟いた声が、耳に木霊する。
「そばにいて」
そのあたたかさに何度も殺されそうになって、何度も救われてきた。