「いいんですか?掛け直さなくて」


何がいいのか、悪いのか。誰が正しくて、誰が間違っていたのか。それが分かればよかった。それさえ分かればきっと、なにもかもに諦めがついた。


「もしどうすればいいのか分からないなら」


もうずっとその状態でいる俺を見透かしたような言葉だった。引き寄せられるように、視線が彼女に向く。


「ばかになればいいと思います」


にっこりと笑った羽賀ちゃんは冗談めいた音色で「奪っちゃえばいいのに」と、呟いた。


「菜穂ちゃんってね、旦那さんの話し、ぜんぜんしないんです。いつもさびしそうに笑うんです。笑って、はぐらかすんです」

「…」

「頼れる人、いるのかなあって心配してたんで、ちょっと安心してます」


ふふ、と茶目っ気たっぷりの笑顔を見せた羽賀ちゃんは、俺の腕を軽く小突いた。



「私と、ばかになる前でよかったですね」


年甲斐もなく、泣きたくなった。こんな情けない男がもらっていい優しさじゃないと思う。だからこそ、こう成るべきだったのかもしれない。この先がなくて、よかったのかもしれない。


「早く行ってあげてください」


どうせ、どんなに抗ってもこの足がそこへ向ってしまうのを分かっているかのような口ぶりだった。俺が分かりやすいのか、それとも彼女の洞察力が人一倍優れているのか。

どちらなのか分からないまま、情けない声で「ごめん」と呟く。


踵を返した足は、当たり前のように駆け出していた。