『朝だよ、紺子』

甘く低い声が耳元で響く。うっすら瞼を開けた私は、優しく微笑む端麗な瞳をまだ夢うつつにぼんやりと見つめ返した。

道行く女性の誰もが振り返るイケメンで、とびきりのエリートで、めちゃくちゃもてるのに私しか眼中にない、私の理想の旦那様。

『まだ眠い? ごめんね。ゆうべ僕が熱くなりすぎたから』

恥ずかしい話題に頬を染め、そっとシーツを引き上げる。

『ほら、朝食だよ』

サイドテーブルに置かれたトレーには薫り高いコーヒーに、焼き立てのクロックムッシュ。そう、彼は私をお姫様みたいに大切にしてくれるのだ。

『美味しそう……ありがとう』

身を起こした私は彼に微笑みかけ、腕を伸ばした。いつもの〝おはようのキス〟のおねだりだ。
でも、どこか遠くから耳障りなベルの音が聞こえてくる。

『あれは何の音?』

そう尋ねながら彼に手を伸ばすのに、なぜか彼は身をかわした。

『あなたがかけたアラームです。ふやけたことをやっていないでさっさと身支度してください』

『へ』

『ただし朝食はきちんと食べてください。仕事の集中力が低下します』

『ど、どうして急にそんな口調に……』

『あとお忘れではないでしょうが、今日は人事面談があります。十一時二十分、時間厳守ですので』


「え? あ……あれ……?」

目覚めた私ががっしりと抱き締めているのは理想の旦那様……ではなく、枕だった。視界に広がるのはタワマンの豪華な寝室ではなく、いつもの自分の一DK。ベッド脇の床では目覚まし時計代わりのスマホが震動しながら盛大な音を立てている。
(なんだ、夢か……)
ていうか、あのスパルタ口調、どこかで……。

「うわ、スヌーズになってる! 起きなきゃ」

ベッドから飛び出すジャージ姿の干物女子、二十八歳。
吉か凶か、運命が転がり始めるまであと五時間。