それはどの自動販売機でも売っているような、よくある商品だ。
彼に恋をしなければ、きっと一生興味を持つこともなかったであろう、そんなミネラルウォーターのボタンにそっと指を伸ばす。
もしかしたら彼も、このボタンを押したことがあるかもしれない。
そんな馬鹿げたことが頭の中に過ぎり、緊張から指先が震えた。
わずかでも彼に近づけたような気分になりながら、ようやくボタンを押し終えると、すぐさまごとりと鈍い音が響いた。
その音を聞き、おそるおそる取り出し口に手を入れれば、ひやりとしたプラスチックに触れる。
ペットボトルの容赦ない冷たさが手のひらの体温を容赦なく奪い、その感触で我に返った私は、高揚していた気分が唐突に冷めていくのを感じた。
……馬鹿げたというより、本当に馬鹿みたいだ。
これが一体何になるというのだろう。
こんなことをしていたって、彼に近づけるわけでもないのに。
遠くから見つめるだけで、私は結局、自分からは何もしていない。
このまま彼の世界に存在することも叶わず、いつか私の恋は終わるのだろうか。
それはなんて寂しく、虚しいことなのだろう。
自分の臆病さを今さらながらに苦々しく思いながら、ミネラルウォーターを抱えて踵を返す。
すると振り向きざま、いつの間にか後ろに並んでいた人にぶつかってしまった。
「悪い」
頭上から低い声が降る。
ぶつかってきたのはこちらの方だと、慌てて顔を上げながら謝ったものの、そこに立っていた予想外の人物に、私は思わず目を見開いた。
そう、ずっと見つめ続けていた彼が、なぜか私の目の前に佇んでいたのだ。
「…………」
どうして。
どうして、あなたがここに。
いつも遠くにいるはずの彼が、至近距離で私を見下ろしている。
それだけで顔は燃えるように熱くなるのに、体は氷のように固まってしまっていた。
ちょうど陸上部は休憩時間に入ったらしく、辺りには他の部員もいて、どうやら彼も自動販売機に飲み物を買いにきたようだった。
「それ」
驚きと緊張に固まったままでいると、彼は突然、私が抱えていたミネラルウォーターを指差した。
「ここの自販機でその水買ってるの、俺だけだと思ってた」
目を細めながら、可笑しそうに彼が言う。
その何気ない言葉に、初めて彼を見た日と同じく、のどの奥が熱くなるような心地がした。
あの、いつも青空を映している瞳。
その瞳で、彼が私を見ている。
彼の世界に私がいる。
嘘みたい、嘘みたい、信じられない。
夢のような光景を前にして、自分の心臓が悲鳴を上げるように、その鼓動を早めていくのが分かる。
「……これ、差し上げます」
「えっ?」
熱に浮かされた私は、勇気を振り絞って、買ったばかりのミネラルウォーターを彼に押しつけた。
受け取った彼は、驚きと困惑の混じった表情をしている。
「無理、しないでくださいね。応援してます」
たったそれだけを口にして、彼からの返事を待たずに、私は逃げるようにしてその場を走り去った。
これ以上彼に見つめられたら、本気で心臓が壊れてしまうと思った。
先ほど下りてきたばかりの階段を、勢いよく三階まで駆け上がる。
苦しいくらいに息が上がったまま、涙が溢れてくるのを止められない。
きっと彼には変な女だと思われただろう。
しかし、そのことが悲しいわけではなかった。
むしろこれは、嬉し涙だったのだ。
彼に、応援してると言えた。
それはずっと密かに募らせていた気持ちの内の、ほんの1パーセントにすぎないかもしれない。
けれども自分の想いを、初めて彼自身に伝えることができたのだ。
それだけで、私は十分幸せだった。
踊り場の窓から射し込んだ光が、私の背中を照らす。
いつもと違う夏が、もうそこまで来ていた。
彼に恋をしなければ、きっと一生興味を持つこともなかったであろう、そんなミネラルウォーターのボタンにそっと指を伸ばす。
もしかしたら彼も、このボタンを押したことがあるかもしれない。
そんな馬鹿げたことが頭の中に過ぎり、緊張から指先が震えた。
わずかでも彼に近づけたような気分になりながら、ようやくボタンを押し終えると、すぐさまごとりと鈍い音が響いた。
その音を聞き、おそるおそる取り出し口に手を入れれば、ひやりとしたプラスチックに触れる。
ペットボトルの容赦ない冷たさが手のひらの体温を容赦なく奪い、その感触で我に返った私は、高揚していた気分が唐突に冷めていくのを感じた。
……馬鹿げたというより、本当に馬鹿みたいだ。
これが一体何になるというのだろう。
こんなことをしていたって、彼に近づけるわけでもないのに。
遠くから見つめるだけで、私は結局、自分からは何もしていない。
このまま彼の世界に存在することも叶わず、いつか私の恋は終わるのだろうか。
それはなんて寂しく、虚しいことなのだろう。
自分の臆病さを今さらながらに苦々しく思いながら、ミネラルウォーターを抱えて踵を返す。
すると振り向きざま、いつの間にか後ろに並んでいた人にぶつかってしまった。
「悪い」
頭上から低い声が降る。
ぶつかってきたのはこちらの方だと、慌てて顔を上げながら謝ったものの、そこに立っていた予想外の人物に、私は思わず目を見開いた。
そう、ずっと見つめ続けていた彼が、なぜか私の目の前に佇んでいたのだ。
「…………」
どうして。
どうして、あなたがここに。
いつも遠くにいるはずの彼が、至近距離で私を見下ろしている。
それだけで顔は燃えるように熱くなるのに、体は氷のように固まってしまっていた。
ちょうど陸上部は休憩時間に入ったらしく、辺りには他の部員もいて、どうやら彼も自動販売機に飲み物を買いにきたようだった。
「それ」
驚きと緊張に固まったままでいると、彼は突然、私が抱えていたミネラルウォーターを指差した。
「ここの自販機でその水買ってるの、俺だけだと思ってた」
目を細めながら、可笑しそうに彼が言う。
その何気ない言葉に、初めて彼を見た日と同じく、のどの奥が熱くなるような心地がした。
あの、いつも青空を映している瞳。
その瞳で、彼が私を見ている。
彼の世界に私がいる。
嘘みたい、嘘みたい、信じられない。
夢のような光景を前にして、自分の心臓が悲鳴を上げるように、その鼓動を早めていくのが分かる。
「……これ、差し上げます」
「えっ?」
熱に浮かされた私は、勇気を振り絞って、買ったばかりのミネラルウォーターを彼に押しつけた。
受け取った彼は、驚きと困惑の混じった表情をしている。
「無理、しないでくださいね。応援してます」
たったそれだけを口にして、彼からの返事を待たずに、私は逃げるようにしてその場を走り去った。
これ以上彼に見つめられたら、本気で心臓が壊れてしまうと思った。
先ほど下りてきたばかりの階段を、勢いよく三階まで駆け上がる。
苦しいくらいに息が上がったまま、涙が溢れてくるのを止められない。
きっと彼には変な女だと思われただろう。
しかし、そのことが悲しいわけではなかった。
むしろこれは、嬉し涙だったのだ。
彼に、応援してると言えた。
それはずっと密かに募らせていた気持ちの内の、ほんの1パーセントにすぎないかもしれない。
けれども自分の想いを、初めて彼自身に伝えることができたのだ。
それだけで、私は十分幸せだった。
踊り場の窓から射し込んだ光が、私の背中を照らす。
いつもと違う夏が、もうそこまで来ていた。