「えっ……?」

「入ってけよ。どーせ同じ方向なんだから」

何食わぬ顔で晴人が私を傘の中に誘う。
けれどそれは一般的に相合傘と呼ばれるもので、付き合ってもいない高校生がやるには少しハードルが高い行為だ。
晴人もそれを知らないわけではないだろうに。

「いや、ダメだよ」

「何がダメなんだよ。俺がいいって言ってるのに」

「だってもし誰かに見られたら私と噂されるよ。そんなの困るでしょ」

「別にそんなことで困ったりなんかしない」

「それより雨に濡れたら風邪ひくぞ」と有無を言わせないような強さで腕を掴まれ、傘の中へと引っ張り込まれる。
困ったりしないと断言されれば、それ以上言い募ることなんてできなかった。
いつのまにか私よりもずっと背丈が伸びていた晴人を見上げる。
彼は昔から無邪気でのんびりな少年だったはずだ。
だからこんなふうに堂々とかっこよく振る舞うことができるだなんて知らなかった。
「晴人のくせに生意気だ」と八つ当たりじみたことを考えて、緊張や動揺が悟られないよう、意を決して彼の隣を歩く。
狭い傘の中でたまに触れる肩はとても熱くて、その温度を感じる度に私の鼓動を速めた。

「すげー雨の匂い」

私の気持ちを知らずに、晴人がいつもの間延びした声で呟く。
会話がないのも気まずかったため、私はすぐに「だね」と相槌を打った。

「ちょっと埃っぽいけど、不思議と嫌じゃないのってなんでなのかな」

「なー。そういえば知ってるか? この匂いってペトリコールっていうらしいぜ」

「ぺとりこーる?」

「雨そのものじゃなくて、雨によって地面からわき上がる匂いなんだって、今日の国語の授業で言ってた。たしかどっかの国の言葉で、なんとかって意味らしいんだけど」

「なにそれ。ぜんぜん覚えてないじゃん」

曖昧な晴人の話に笑って、それから私は肺いっぱいに空気を吸い込んだ。
少し埃っぽくて湿度のある、懐かしい匂いがする。

「ペトリコールかぁ」

雨はまだ止まない。
けれど煩わしく思っていたはずの雨の景色を、今度はどこか嬉しく思いながら眺めた。
この先大人になって、たとえ晴人とも離れ離れになったとしても、きっとこの匂いを感じるたび、私は今日のことを思い出すだろう。
陰鬱な雨の中で香るペトリコールのように、最悪な一日の最後に起こった、清く懐かしい記憶として。

なんだか、そんな予感がする。



「みーお」

高校時代の記憶を思い出していると、聞き慣れた声で名前を呼ばれた。
振り向けば、恋人が申し訳なさそうな顔で駆け寄ってくる。

「わりー、待たせた?」

「ううん。私もさっき来たとこ」

「そっか、よかった」

ホッとした様子で襟足をかく恋人は、それから私の顔をまじまじと見つめた。
何かついているだろうかと不思議に思えば、「なんかいいことでもあった?」と問われる。

「どうして?」

「嬉しそうな顔してるから」

「ううん、違うの――」

雲間から差した光が私たちを照らす。

「――ちょっと昔のことを思い出してたんだ」

街を濡らしていた通り雨は、いつのまにか上がっていたようだった。