煉瓦造りの正門から会場まで、真っ直ぐに敷かれているのは真紅の絨毯。
 大きな窓を隠すように垂れ下がるのは、ドレープたっぷりのベルベットのカーテンと色とりどりの生花。
 極めつけは、天井から釣り下がったいくつもの大きなシャンデリア。

「ここ……体育館よね……?」
 主催者側に属する私でさえ思わず首を捻ってしまうほどに、交流会当日、ダンスパーティー会場となった宝泉学園の体育館は普段とはまるで違うビックリ空間になっていた。
 
 しかもそぞろ歩いている生徒たちの服装まで、どこの結婚式場から逃げ出して来た花嫁と花婿なのかと思ってしまうくらい、見事に正装なのである。
「ありえない……!」
 どうせ裏方なのだからと制服のままで来てしまった私の背後に、まるでお姫さまのように着飾った可憐さんが、いつの間にか音も立てずに近づいていた。

「ありえないのは、琴美ちゃんよ! どうして制服なの!」
 ガシッと両肩をつかまれ、そのままどこかに連れて行かれる。
「えっ? ちょっ……私、今から受け付けをやんなくちゃいけないんだけど?」
 会場の入り口付近の、長テーブルにクロスを掛けた私の持ち場には、可憐さんにも負けないくらいの華やかなドレスに身を包んだ美千瑠ちゃんとうららが、さっさと入ってしまう。

「ここはいいから、行ってらっしゃーい」
「……がんばれ……琴美……」
 体育館の片隅に設けられた『女子支度室』という名の更衣室からは、ちょうど夏姫と繭香が出て来たところだった。
 普段はジャージばかりの夏姫も、ドレスよりは着物が似合いそうな繭香も、ふんわり膨らんだドレスに身を包んで、ほんのりとメイクなんかもされちゃって全然イメージが違う。

「わっ……可愛い……!」
 思わず呟いたら、真っ赤になって怒られた。
「なんで私までこんな格好しなくちゃいけないのよ?」
「そうだ! 主催者なのだから、当日の雑務に相応しい格好というものがあるだろう!」
「主催者だからこそです!!」
 繭香も口をつぐんでしまうほどの勢いで、可憐さんが私の背後で叫んだ。

 彼女がどんな表情なのかは私からは見えないが、あきらかに硬直してしまった夏姫と、いつものような傲慢な返事をできない繭香の様子を見ていると、よっぽどの状態なのはよくわかる。
「いくら服装は自由だからって……根本的にはダンスパーティーなのに! ……正装するのは当然です! 私たちが率先して手本を示さなくてどうするの……!」

 不本意そうに表情は崩しながらも、夏姫も繭香も可憐さんに反論しない。
 そのまま大人しく、美千瑠ちゃんたちが待っている受付へと行ってしまう。
 そのうしろ姿を見送りながら、満足そうにフフと笑う声が背後から聞こえた。

「さあ……後は琴美ちゃんだけよ」
 実に嬉しそうに私の手を引いて、支度室へと向かう可憐さんは、これまでのどんな時よりも活き活きとしている。
「みんなのドレスも全部私が見立てたの! 琴美ちゃんのも……きっと似合うと思うわ!」
 まるで檻にでも放りこまれるかのように、無理やり押し込まれた支度室には、可憐さんとそっくりな三人の女の人が、私を待ち構えていた。

「?????」
 呆気にとられて入り口で立ち止まった私の背中を、可憐さんがドンと押す。
「ママ! お姉ちゃんたち! この子で終わりよ! 腕によりをかけて、よろしくね!」
「まかせておいて!!」
 ニコニコしながら近づいてきた可憐さん似の女の人たちに、私はワッと取り囲まれて、制服を脱がされる。
「なっ! なにすんですかっ!!」
「なにって……もちろんお着替えよ!」
 私の悲鳴は、支度室という名の狭い更衣室ばかりではなく、体育館全体にまで響いていたと、あとでみんなが教えてくれた。
 
 
 鏡に映るのは紛れもなく自分のはずなのに――。
(なるほど! 馬子にも衣裳というのは、こういう状態のことを言うのか……!)
 すでに誰もいなくなった支度室で、私は自分に対する虚しい評価を笑顔で下していた。

 可憐さんのお母さんとお姉さんたちも、もう体育館へと出て行ってしまった。
 交流会の開始時間も間近に迫り、私も早く行かなければならないのはわかっているが、なかなか踏ん切りがつかない。
 淡い朱色のドレスを着て、長い髪を結い上げた私は、自分の目から見てもかなり気合いが入っている。

 特にこのダンスパーティーに思い入れがあったわけでもないのに、みんなの目にはどう映るだろうと、ついつい思ってしまう。
 特に、成り行きでパートナーになってしまった諒の反応は――。

(やっぱり制服に着替えようかな……? もともと踊るつもりなんてないんだし、だったらこの格好ってやっぱりおかしいよね……?)
 しかし、どこからどう脱いだらいいのかわからないドレスに、私が手をかけた瞬間、まるで心の声が聞こえたかのように、入り口のドアがガチャリと開いた。

「琴美ちゃん、まだ? ……ってあれ? もうできてるじゃない!」
 いつもより二倍増しぐらいの睫毛に覆われた目を細めて、可憐さんが実に嬉しそうに笑う。
「いい! いいわ! とっても可愛い!」
 ここに連れて来た時と同じように私の手をむんずとつかむと、さっさと歩き出す。
「早く! もうみんな集まってるから!」

 決して普段から着慣れているわけではないのに、歩き出せば、ドレスの裾を踏み付けてしまわないようにちょっと持ち上げる自分が恥ずかしい。
 照れ臭くてたまらないのに、綺麗に着飾って、「可愛い」と言われて、やっぱり嬉しい気持ちも確かにある。

 でも他人の目から見たらはたしてどうなのか。
 可憐さんに手を引かれて歩きながら、私は誰の視線もまともに受け止めることはできず、ずっと俯いたままだった。
 なのにそんな私を、可憐さんは無情にも、迷うことなくその人の前へ連れて行く。
「諒ちゃん! 琴美ちゃん、できたわよ!」
 弾むような声で呼ばれた名前に、心臓が口から飛び出しそうなくらいに跳ねた。
 
 
(いくら私たちがドレスを着たって、男の子たちが普段着だったらおかしいんじゃない?)
 可憐さんのお母さんとお姉さんたちに支度してもらいながら、私が心の中でこっそりと心配していたことはまったくの杞憂だった。
 体育館のステージの前に、ズラリと並んだ我が『HEAVEN』の男子たちと、宝泉学園の役員の皆さんは、全員見事に正装していた。
 たとえ何を着ていたって、普段から王子さま然としている貴人はもちろん、剛毅も玲二君も、順平君も智史君も、――そしてもちろん諒も。

 女の子のように可愛い顔をしている諒に、キラキラとした装飾の付いたゴージャスな王子服はよく似合っていて、目が離せない。
 ついつい食い入るように見つめてしまって、
「なんだよ? なんか文句でもあるのか?」
 と不機嫌にさせてしまう。
 慌てて「何も」と首を横に振った私は、視線を自分のつま先に向けて、そしたらもう顔を上げることさえ難しくなった。

「へえ、よく似あってんじゃん!」
 今日は他校生の彼女をわざわざ招待しているという順平君には、「そんなことないよ!」としかめっ面を向けることができる。
「ほう、馬子にも衣装だな」
 自分でもさっき思ったことを、口に出して言ってくれた剛毅には、「なんですって!」とこぶしをふり上げることもできる。

 でもダメだ。
 肝心の諒には、なんと言って声をかけていいのかすらわからない。

 困り果てて俯く私の目の前に、白い手袋をしたままの手がぬっとさし出された。
 首を傾げるようにして、私の顔を覗きこんだのは貴人だった。
「あとで一曲お願いしてもいいですか?」
 スマートな動作で優雅に手袋を脱いで、そっと私の手を下からすくい取る。
 完璧なお姫様扱いに恥ずかしくなりながらも、私は頷いた。

「ははは、はい!」
 慌てたあまりにどもってしまったら、諒にブッと吹き出された。
 それでなんだか肩の力が抜けた。
 何を着てたって私はいつもの私だし、諒はいつもの諒なのに、いったい何をそんなに気にしてたんだろう。

「……失礼ね! 最初のエスコートはパートナーがやるって、ちゃんとわかってるんでしょうね?」
 普段の調子で尋ねたら、諒はなんだか嬉しそうに目を輝かせた。
「もちろんわかってるよ! 男ども全員、可憐にさんざん仕込まれたんだからな!」
 私の手を引いて、突如として体育館に現われた巨大なダンスホールの中央に向かって、さっさと歩き出す。
 ちょっとでも動けば隣の人にぶつかりそうなほどの大人数の中、私の手を取って最初の位置取りをした諒の姿には、やっぱりドキドキした。

(なんか……成り行きでこうなっちゃったけど、やっぱり嬉しい……これは柏木にお礼を言うべきかしら?)
 音楽が始まると同時に、滑るように踊りだした姿にも、不覚にも惚れ惚れとする。
 だけど――。

「足踏むな! ヨロヨロすんな! 顔はこっち!」
 耳元近くで囁かれる言葉は、およそロマンチックなムードとはほど遠い。
「わかってるわ! そっちこそ、右と左をまちがえんじゃないわよ!」
 でもこれでいいと思った。
 お互いに言いたいことを言いあって、それでも手を離さずに、ダンスという未知の領域でも共に戦っていけるんなら、私はそれで本望だ。
「絶対……絶対、この一曲を踊り終えたら、俺はもういなくなるからな……!」
「私だって……!」
 心に秘めた決意さえ、今はまったく同じなことが嬉しかった。
 
 
 日頃が運動不足な体には、いくら曲がスローなテンポとはいえ、続けて踊るのは3曲が限界だ。
 最初の誓いも虚しく、一曲目で体育館から逃げそびれた私と諒は、ようやく音楽が途切れた三曲目で顔を見あわせた。

 周りの人たちがせわしく動き回っているところを見ると、どうやらここでパートナーを変えるタイミングでもあるらしい。
「お前さあ……」
 ちょっと息を切らしながら突然話しかけられるので、思わず緊張する。
「な、なに……?」
 ここからは他の奴と踊れとでも言われるのかと身構えた私を、しげしげと見ながら、諒は次の言葉を出しあぐねている。
「ほら……あれだよ……あれ……」
「…………?」
 相手が何を言いたいんだか見当もつかず、首を捻る私を見ながら、諒はなんだか困ったように視線をさまよわせる。

 その目が、私の背後に何かを発見したらしく、みるみるうちに表情が険しくなった。
「あいつ……! こんなもの参加するかって言ってたくせに……やっぱりそうかよ!」
「…………?」
 諒の視線をたどって、私が自分のうしろをふり返ろうとした瞬間、諒は私の腕をガシッとつかんだ。
「ちょっと来い!」
 言うなり、私の手を引いて駆け出す。
「え? なに? どうしたの?」

 周りの人にぶつからないように気をつけるのが精一杯で、背後の確認もできない私に、諒は何の説明もしてくれない。
「いいから、ちょっと黙ってろ!」
 偉そうに命令されて、強引に手を引かれて、それでも全然嫌じゃない自分が、なんだか可笑しかった。
 
 
 交流会がおこなわれている体育館からは遠く離れた建物の陰で、諒はようやく足を止め、私の手を離した。
「いったいどうしたのよ?」
 はあはあと肩で大きく息をしている私の顔を、諒は同じように息を切らしながら、膝に両手をついた体勢から見上げる。
「お前……柏木と踊ってもよかったか?」

「は?」
 思いもかけない名前の登場に思わず目が点になったが、次の瞬間には、私は声を大にして叫んでいた。
「いいわけないじゃない! 誰が……あんな天敵と!」
「だろ? だから逃げて来たんだよ……!」
 思わず息をのんだ。
 それはつまり、柏木が私と踊ろうとしていたということだろうか。

 一歩後退った私を見て、諒は大きくため息をつき、忌々しげに前髪をかき上げた。
「真っ直ぐお前に向かって歩いて来てたぞ。俺が気がつかなかったら、まあ……今頃はまちがいなく捕まってたな……」
「…………!」
 想像しただけでゾッとした。

(この間のパートナー欄のことといい……なんなの? ……私に精神的ダメージを与えるための新しい嫌がらせ……?)
 何はともあれ、諒のおかげで、そんな酷い目にあわずにすんだわけだ。
「助かったわ!」
 両手を握りあわせて叫んだら、思いがけない反応をされた。
 きっと偉そうに自分の手柄を述べ立てられるとばかり思っていたのに、諒はちょっと顔を赤らめて俯いた。
「ああ……」
 その態度に、精一杯普通に接しようとしていた私の心が、大きくかき乱される。

 思いがけずこんなところで二人きりになってしまったことに、今さらながらにドキドキしてきた。
 これ以上何を話したらいいのかわからず、息が詰まりそうなほどに緊張した私を、再び混乱させたのは諒の唐突な言葉だった。
「それ……結構似あってるぞ……」
「え?」
 こちらに目を向けないままに言われたので、一瞬何のことだかわからなかった。

 でもすぐに、はたと思い当って、私は自分が着ているドレスを握り締めて真っ赤になった。
 諒は、そんな私にも負けないくらい赤くなった。
「あ、彰人兄ちゃんが……パートナーになった子には、開口一番そう言うのが礼儀だって何度も念を押したから! ……だから言ったんだからな! 他意はないぞ!」
 早口でまくし立てる間にも、諒の横顔はどんどん赤くなっていく。
「わ、わかった! 社交辞令ってやつね、きっと! ……そうか、ダンスパーティーってそんなことにも気を遣わなくちゃいけないんだ……やっぱ私には向いてないわ、ハハハ……」
 大慌ててそう結論付けて、無理やり乾いた笑いを出したら、諒も同じように笑った。

「俺もだ、ハハハ……」
 キラキラの王子服も気にしないで、脱力したようにその場に座りこむから、私もドレスの裾をちょっとたくし上げて、その隣に座る。
「おい、いいのかよ? 俺はもうここにいるけど、お前は少し経ったらあそこに戻るんだろ? ……貴人と踊る約束してただろ?」
 そういえばそうだったと思いながらも、私は思い切ってそのままドレスを地面に下ろした。

「いいの。貴人と踊りたい人なら、きっと今頃はもう行列を作ってるわ。私が戻らなくたってなんの問題もないわよ……」
「そうか。じゃあまあ、勝手にしろよ……」
 呆れたように言い放ちながらも、諒が心持ち自分の隣に場所を空けてくれたから、私はその場所に収まった。

 ようやく落ち着いて、ゆっくり出来る時間と場所を手に入れた気がして、ため息が漏れる。
「ああ、疲れた……」
「ほんとに……」
 思わず呟いたら、心底疲れきった声で諒も返事するから、ちょっと笑いが込み上げる。
 ――その瞬間、クシュンとくしゃみが出た。

(ああ、そっか……肩が大きく空いたこんな服のまま、真冬の室外にいるのは自殺行為かな……?)
 そんなことを考えた瞬間、諒が自分の上着を脱いで、私の肩に掛けた。
 まるで当たり前のようなその行為に、思わず泣きそうになった。
(そうだ……もういったい何度、こんなふうに諒に助けてもらっただろう……! そのたびにきっと、どんどん好きになっていった……)

 私を慰める為。
 元気付ける為。
 みんなの目から守る為。
 何度も貸してもらった諒の制服の上着と今日の王子服の上着は違うけれど、やっぱり同じように諒の匂いがする。
 
 自分の中でどんどん大きくなった想いを告げるなんて――そんなことは、まだとてもできそうにないけど、この間からずっと言いたくて言えなかったことが、今なら言えるような気がした。

「諒……いろいろとありがとう……」
 肩に乗った上着を襟元で合わせながら、そっと呟いたら、
「おう」
 私の顔は見ずに、諒が軽く右手を上げた。
 その頬がちょっと赤くなっていて、私はもっと真っ赤になる。

(風が冷たいから……だから赤くなったんでしょ?)
 そうであって欲しいような。
 欲しくないような。
 よくわからない感情を抱えたまま、私はずっと諒の隣にいた。
 今はただ、その場所に居られることが嬉しかった。