(繭香がパートナーにするっていったら、やっぱり貴人よね……いったいどうやって頼むんだろう?)
 その瞬間を想像しては、まるで自分のことのようにドキドキした私の思いは、まったくの無駄だった。

 特別棟を出るところで偶然貴人と出会った繭香は、彼に唐突に人差し指をつきつけた。
「貴人! 私のパートナーはお前だからな!」
「うん、わかった。でも意外だな……繭香、参加するの? ……ダンスは嫌いじゃなかった?」
 繭香の尊大な態度にも驚きだったが、貴人のあまりの迷いのなさにも驚いた。
 本当に時間にして二秒。
 まさしく阿吽の呼吸には脱帽だ。

「うるさい! 私にも事情というものがあるのだ!」
 腕組みしたまま胸を反らす繭香を見下ろして、貴人はどこか楽しそうに笑う。
「事情ね……あとで教えてもらえるのかな?」
 ハッと息を呑む私をふり返って、繭香は燃えるように激しい視線を貴人に向けた。
「教えぬ! 女性陣だけの秘密だ!」
「そう」

 あっさりと頷いて私たちとすれ違う瞬間、貴人がふと私に目を向ける。
「何?」
 ドキリとしながら問いかけたら、耳元で小さく囁かれた。
「琴美は俺を誘ってはくれないの?」
「…………!」
 真っ赤になって絶句した私を見て、貴人はそれはそれは満足そうに笑う。
「と言っても……俺はもう繭香にOK出したあとなんだけどね……」
 ハハハッと声に出して笑いながら去って行く貴人の真意がわからない。

(からかってるの……? なに……?)
 立ち止まったまま、後ろ姿の貴人を見送っていたら、繭香に呼ばれた。
「早く来い、琴美! 時間がないんだぞ!」
 刻一刻と近づいてくる自分の順番を思い出して、冷や汗をかくような気持ちで、私はみんなのあとを追った。


「こんな時にお願いする相手は昔っから決まってるの」と笑った美千瑠ちゃんが、パートナーに選ぶ相手は、はたして誰なのか――。
 それは少なくとも私にとっては、予想もしていなかった相手だった。

 真っ直ぐに運動場へと向かった美千瑠ちゃんは、目の上に手で庇を作って、懸命に誰かを探しているようだ。
「えっと……」
 しばらくキョロキョロと視線をさまよわせたあとで、ニッコリ笑ってパチンと手を叩く。
「あっ、いた! 剛毅ー!」
 大きく手を振りながら、可愛らしい声で呼ばれた名前を聞いて、私は思わず全力で美千瑠ちゃんをふり返ってしまった。

「は? なに? 剛毅!?」
 運動場の遥か向こうから、ラグビーのユニフォーム姿の大きな男が、こちらに向かって全力ダッシュして来る。
「どうした? 何があった?」
 強面の顔をますます険しくして、凄みのある声で尋ねるから、私は思わず身を引いてしまったのに、美千瑠ちゃんはまったく動じない。
 それどころかニッコリと微笑んで、可愛らしく小首を傾げる。

「ごめんね。何かあったわけじゃないの……交流会のパートナーの欄、剛毅の名前を書いていい?」
「……? ああ、いいけど……?」
 さも当然とばかりに返事したあとも、剛毅は美千瑠ちゃんの次の言葉を待っている。
 どうやら本当に、それだけの用件でわざわざ呼ばれたとは思っていないようだ。

(それぐらい……剛毅にとっては美千瑠ちゃんのパートナーになるって、当然のことなの?)
 まるで理由のわからない私は、とうとう我慢できずに口を開いた。
「ねえ……二人はどういう関係? 恋人同士じゃないわよね……?」
 以前美千瑠ちゃんの家に行った時に、彼女といいムードだった蒼衣さんのことを思い出しながら、恐る恐る尋ねてみる。

「違うわよ」と美千瑠ちゃんはコロコロと無邪気に笑い、
「そんなわけあるか!」と剛毅には、目を剥いて怒鳴られた。
 思わず2、3歩飛び退ざった私の肩を、ちょいちょいと夏姫がつつく。

「やっぱり知らなかったんだ……本当に、琴美の他人に対する興味の無さは、表彰ものだわ……」
 とても褒められているとは思えないその表現に、私はちょっとムッとした。
「なによ! ……何の話よ……?」
「美千瑠と剛毅の関係だ!」
 繭香の怒鳴り声には背筋がピンと伸びた。
 繭香は小柄な体を精一杯大きく見せようとでもするかのように、ふんぞり返って腕組みをして、私の前に立った。
「剛毅は美千瑠のボディガードだ。事件や事故から守る為と、悪い虫がつかないようにする為、両方の意味合いを兼ねて、美千瑠を守る為だけにこの学園に通っている。……本当に知らなかったのか?」

 何か悪いことをしたわけでもないのに、繭香の咎めるような口調に、そしてまったくの初耳の話に、ついついうな垂れてしまう。
「知らなかった……」
 ハアアッと大きなため息をついて、剛毅は私の肩をポンと叩いた。
「琴美……諒だけじゃない、お前もやっぱり、もうちょっと勉強以外のこともやったほうがいいぞ?」
 もっともだと思う。
 うんと頷いた私を励ますようにもう一度肩を叩き、剛毅は運動場の向こうへと帰って行った。

「もう少ししたら、帰るからねー」
 美千瑠ちゃんが手を振りながら叫んでいるところを見ると、今日は一緒に帰るのだろうか。
「それはやっぱり、剛毅にとっては仕事なわけ?」
 尋ねてみたら、どうとでも取れるような笑顔で美千瑠ちゃんに笑われた。
「……どうかな? 私にとっては、剛毅は小さな頃からずっと傍にいてくれる友達なんだけど……」
「そっか……」
 はたして剛毅のほうは、どう思っているのか。
 珍しく今頃好奇心が沸いてきたが、射るように投げかけられている背後からの視線のほうが、今はもう無視できない状況だった。

「じゃあ次! 行くぞ、夏姫!」
 繭香の声に、夏姫が飛び上がる。
「ほ、本当に? 本当に行くの?」
「往生際が悪いぞ!」
「はい……」
 がっくりとうな垂れた夏姫を叱咤しながら、サッカー部の練習場所へと追い立てていく繭香が、私の目から見たら妙に嬉しそうだった。


 実際には両想いなのに、今でも片想いと変わらないような扱いを受けている玲二君を、私だって気の毒だとは思う。
「もう少し優しくしたら」とか「もっと素直になったら」とか、夏姫に言いたいことは山ほどあるが、その言葉はそのまま自分にも当てはまるものだから、私には何も言えない。

 だが、どうやら私と同じく繭香だって、美千瑠ちゃんだって、たまには玲二君にいい思いをさせてあげようと考えたらしかった。
 呼びつけられて、練習を抜けて来た玲二君と夏姫を二人きりにして、私たちは少し離れた場所から見守る。
 真っ赤になった夏姫と、それにも負けないくらい赤くなった玲二君が、どんな会話をしているのかは聞き取れないが、上手くいってはいるようだ。
 見ているこちらが恥ずかしくなるほど、二人からは甘い雰囲気が漂っている。

「いいな……」
 思わず声に出てしまった。
 意地っ張りの夏姫が自分から誘うのをいくら嫌がったって、玲二君の答えは最初からわかっているのだ。
 話を切り出すのは、私よりは格段に楽なはずだ。

(それにひきかえ私は……)
 玉砕覚悟の上で、敢えて申し込まなければならない。
 決心を固めるにはきっかけが必要だと思って、自分から三人に話を持ちかけはしたが、確かにこの集団告白(?)。
 貧乏くじを引いたのは私のようだ。

「ねえ……やっぱり……」
 いつの間にかなんだかいいムードの夏姫と玲二君を遠くに見ながら、怖気づいて口を開きかけたら、繭香に睨まれた。
「今さら辞退など受つ付けん! みんな琴美の為に、時間を割いたんだ!」
「だよね……」
 それでもこれからの事を思うと、憂鬱にならずにはいられなかった。


 諒は今日は可憐さんに付き添って、宝泉学園での打ち合わせに参加していた。
 女の子四人に剛毅まで加わったメンバーで、他校の校門前に立っていると、目立って目立ってしょうがない。
「いっそのこと呼び出してもらって、さっさと片づけるか?」
「無理! 絶対にそれは無理だから!!」
 繭香の無情な提案に、大慌てで抗議して、ようやくそれだけは勘弁してもらった。

 しかし、時間だけが過ぎて行く中、赤い煉瓦の塀に寄りかかるようにして立っていると、ため息ばかりが出てくる。
(なんでこんなことになっちゃったんだろう……よく考えたら、拒否されそうなのって、最初から私だけだったんじゃない!)
 みんなが難なくパートナーを得たところで、私だけが断わられるなんて、そんなの悲し過ぎる。

(でも可憐さんとは組めないわけだからひょっとして……?)
 かすかに希望を繋げる思いと、
(だからって、私となんて組むかな……?)
 やっぱり無理だと思う気持ちが、代わる代わるに湧き上がって、とてもじっとしてなどいられない。

 そわそわと落ち着かない私を、みんなは笑って見ている。
「意味もなく動き回るな!」
「……しゃがみ込んでも意味ないって……」
「琴美ちゃん、落ち着いて……ね?」
 三人から一斉に声をかけられた瞬間、一人だけ塀の上から顔が出ていた剛毅が、校舎のほうを見ながら呟いた。
「来たぞ、諒……」
 ドキンと跳ね上がった心臓を制服の上から押さえつけて息を整える。

「もう少しだ。あと二十メートル……十メートル……」
 剛毅の言葉で、諒との距離をより鮮明にイメージする為に、私は目を瞑る。
「三、二、一!」
 合図に従って門から飛び出した私は、ぎゅっと目を瞑ったまま、諒に向かって言った。
「話があるんだけど! ちょっと来て!」
 言い終わってから目を開けてみてギョッとなった。
 私の目の前に立っていたのは、諒ではなくて可憐さんで、驚いたように長い睫毛の目を見開いている。
 可憐さんの半歩後ろにいた諒は、「なんでお前がここにいるんだ?」とでも言うように、ビックリした顔でポカンと私の顔を見ていた。

(剛毅!!)
 心の中では、曖昧な合図をくれた剛毅に怒り狂っていたが、今はそんな場合ではない。
 たっぷり十秒ぐらい固まっていた可憐さんは、突然物陰から飛び出してきて自分に声をかけたのが私だと見て取ると、ホッとしたように微笑んだ。
「なんだ。びっくりしちゃった! 琴美ちゃんじゃない! ……何? 話って……」
「ええっと……」
「間違えました。用があるのは諒です」なんて、とても言えない。
 諒だって可憐さんの前で、意味深に私に呼び出されるなんてあまりいい気はしないだろう。

(どうしよう……)
 悩む私の目の前で、可憐さんが何かに驚いたようにビクリと肩を揺らした。
 大きく見開かれている目の見つめる先を辿って、一台の車にたどり着く。
 流線型のフォルムの白いスポーツカー。

(可憐さんの彼氏だ!)
 私がそう思うと同時に、可憐さんは車の進行方向とは別のほうへ駆けだした。
「可憐!」
 以前と同じように、諒が走る彼女を追いかけていく。
(ああまただ……)
 ガックリと脱力した思いでそう考えた時、私の中で何かが切り替わった。

(あんなに悩んで……それでもなけなしの勇気をかき集めて……ようやく決心をつけてここまで来たのに、また諦めてしまうなんて……そんなの、もう嫌だ!)
 そう思ったら、私の足も走りだしていた。

「諒! 待って!」
 声の限りに叫んだら、諒が本当に足を止めてくれる。
 それから可憐さんの背中と、彼氏さんの白い車と、私を交互に見て、私に向かって手をさし伸べた。
「しょうがないな……ほら! 行くぞ!」
 思ってもいなかった反応にとまどいながらも、私はしっかりとその手を掴んだ。

(繭香の言うとおり! うだうだ悩んでるなんて私らしくない! こうなったらもう、絶対に言ってやる! どうなったって構うもんか!)
 それはかなりやけっぱちの。
 けれど私にとっては、ようやくたどり着いた、実に私らしい決断だった。