「痛ッ……痛たたッ! ……お前なあ……もうちょっと気を遣って、優しくは出来ないのかよ?」
怒りに頬を紅潮させて、諒がふり返りざまに私を睨み上げる。
間近で煌く大きな黒い瞳に内心ドキリとしながらも、私は彼が痛いと言っている背中を、敢えてバチンと力いっぱい叩いた。
「うるさい! なんで私が優しくしなきゃならないの? ……手が届かないって言うから、仕方なく背中に湿布貼ってあげてるだけなのに……!」
「誰のせいで俺が、背中なんて変な所が筋肉痛になったと思ってるんだよ!」
「自分でしょ? 普通にダンス踊ればよかったのに、相手の女の子たちから常に逃げ腰になってたから、背中なんて妙な所が痛くなるんじゃない……!」
ああ言えばこう言うの言葉の応酬は、いつまでも終りそうにはない。
放課後の『HEAVEN』。
珍しく諒と二人きりで、部屋の空気はこの上なく険悪なムードになった。
諒はハアッと大きなため息をついて、首まで捲り上げていたTシャツを下ろす。
目の前にあった裸の背中が見えなくなって、実は私は内心ホッとした。
「もういい……! いくら待っても誰も来ないからって、お前に頼んだ俺がバカだった……あとはもう次に来る奴に頼む……!」
「ああそうですか!」
座っていた椅子から立ち上がった諒が、「痛っ」と小さくうめいてバランスを崩しながらも、私から離れようとする。
「大丈夫?」と本当は手を伸ばして助けたかったのに、それは出来なかった。
どうにも強情で意地っ張りな自分が、自分で嫌になる。
諒が遠くの席にギクシャクと腰を下ろした途端――。
「あーあ……やっぱり琴美と諒じゃ、そっからいいムードになったりはしないか……」
ガラッと突然扉が開くと同時に、さっさと部屋に入って来る順平君の姿に、私は唖然とする。
「だから言ったじゃない……このまま二人きりにしてたって喧嘩になるだけだって……」
順平君の後ろからは可憐さん。
それから剛毅と美千瑠ちゃんも現われた。
「だいたい……ちょっとダンス踊っただけで筋肉痛って……どんだけ運動不足なんだよ、諒?」
「うるせっ! いいからこれ! 貼ってくれ!」
すぐさま歩み寄って来た剛毅に、諒は投げつけるようにして湿布の入った袋を渡している。
そうしておいてからあからさまに、私の方をチラッと睨んだ。
「勝浦君と踊りたい人は列を作って並んでくださーい。はい順番にーって、誰かさんに大安売りされたんだから仕方ないだろ?」
クワッと目を見開いて、すかさず私も睨み返してやった。
「あの場はああするしかなかったでしょ? ただでさえクラスで居場所のない私が、これ以上敵を増やして、どうしろって言うのよ!」
「あーあ……とうとう開き直ったよ……どうよ剛毅?」
「うんうん。気の毒にな諒……」
剛毅がよしよしと諒の頭を撫でてあげている仕草はともかく、そこからふり返って私に顔をしかめてみせる諒の態度が、なんとも腹立たしかった。
後夜祭のダンスパーティーに諒と共に駆け戻った私は、途中で黒マントを隠していくことにぬかりはなかった。
しかし敵はマントを狙う男子ばかりではなかったのだ。
そのことを私も、そしてきっと諒も、すっかり失念していた。
体育館に戻った途端、それまでしっかりと握り締めていた諒の手を私は慌てて放した。
当たり前だ。
入り口付近で斎藤さんを中心とする我が二年一組の女子が、大人数で私たちを待ち構えていた。
「か、勝浦君っ? 近藤さんと一緒だったの??」
黙っていれば大人しくて品行方正なお嬢様にしか見えない斎藤さんは、諒のこととなると人相が変わる。
それはもう般若のように――。
(まさか手を繋いでいるところは見られてないわよね……?)
内心冷や汗をかきながら、私は諒を背中に庇うようにして女の子の群れに一歩近付いた。
「一緒なわけないじゃない! 偶然そこで会ったのよね、勝浦君……?」
諒は大きな大きなため息をついて、上目遣いに私を睨むとそっぽを向いてしまった。
「そう……? でもさっきは勝浦君、『俺は絶対にダンスなんかしないんだから、後夜祭が終わるまでは体育館に近付かない!』って言ってたのに……?」
なんだか納得のいかない様子の斎藤さんは、舐めるように私たちの様子を観察している。
私は頭を抱えたい気分だった。
すぐに諒を睨む。
(だったらなんで『体育館に帰るぞ』なんて私を引っ張って来るのよ!)
もちろんそれは、「みんなと同じ所にいたかったのに!」と八つ当たりし始めた私をなだめる為だったのだが、あの時感じた感謝の気持ちなんて、そんなものはもう微塵も無い。
(ここはしばらく、体育館に近付かないべきだったんじゃないの……!)
あきらかに、もうこちらを見る気もない諒の横顔を軽く睨みつけた。
(どうする……? 今さら、『やっぱりさようなら』って背を向けるには、さすがにもう無理があるわよ?)
あてにならない諒のことは放っておいて、一人で考える。
私の人よりほんのちょっとだけ回転のいい私の頭が、超高速で動き始めた。
(これ以上斎藤さんたちの機嫌を損ねるわけにはいかないわ……それでいて私も恨みを買わない方法っていったら……やっぱりここは、もうあれしかないわよね?)
少しだけ――ほんの少しだけ諒に悪いなと思って表情を盗み見たのに、あからさまに嫌な顔されるからムッとする。
(別にいいんじゃない? 私だって諒の黒マントのせいで大迷惑を被ったんだから!)
心を鬼にして、私は斎藤さんに向き直った。
「勝浦君、気が変わったって言うから、私がここまでつれてきたの……今からちゃんと後夜祭に参加するから、勝浦君と踊りたい人は列を作って並んでくださーい!」
ニッコリ笑って手を上げたら、女の子たちの目の色が変わった。
「お、おい……?」
すかさず逃げようとする気配を感じたので、背後の諒の腕を掴む。
それはもう、絶対に逃がすもんかという強さで――。
「私が先よ!」
「いいえ私が!」
互いに押し退けあおうとする女子の一団に、私はニッコリと営業スマイルを浮かべて宣言する。
「大丈夫。ちゃんとみんなと踊るから、順番に並んでねー」
かくして体育館の一画に、美千瑠ちゃん、貴人に続き、諒とのダンスの順番を待つ長い列が築かれたのだった。
「でもさ……あんな簡単なフォークダンス踊っただけでそうなっちゃうんじゃ、諒って来月の『交流会』大丈夫なわけ……?」
剛毅に湿布を貼ってもらって、ようやく机に突っ伏して一息ついた諒を見ながら、順平君が問いかける。
「何が?」
顔だけこちらに向けた諒に、順平君は呆れたように肩を竦めた。
「何がって……ダンスに決まってるじゃん」
「またダンス!!」
呪いでもかけられたかのように、諒は机の上にガックリと顔を伏せた。
「それも今度はフォークダンスなんかじゃないわよ。ちゃんとした本格的なダンス! 男子も女子も正装よ」
語尾にハートマークが付きそうな声音でニッコリと言い切った可憐さんに、諒はキッと険しい視線を向けた。
「交流会の責任者は可憐だったよな……なんでダンスなんだよ? 去年は球技大会だっただろ……」
「何をやるかは、その年ごとに変わっても全く問題ないよ。今年は可憐も向こうの実行委員長も社交ダンスをやってるから、必然的に『ダンス』になったのかな……?」
思いがけず返事が帰って来た方向に顔を向けてみれば、貴人が繭香と共に部屋に入って来たところだった。
「ええ、そう。この間話し合いに行ったらすっかり意気投合しちゃって……宝泉学園の体育館ってうちよりもっと広いのよ。舞踏会の会場みたいにあそこを飾り付けて、ドレスを着たら、女の子はみんなお姫様気分になれるかな……なんて……」
うっとりと目を潤ませる可憐さんに、「いいねいいね」と順平君が相槌を打つ。
「楽しそうだね」
ニッコリ笑った貴人に、諒が苦々しげに手を上げた。
「待て、貴人。女子がドレスってことは……男は何着るんだよ?」
それには可憐さんが瞳を輝かせて即答した。
「もちろんダンスコスチュームよ! って言いたいところだけど……今回は社交ダンスと言うよりは、舞踏会の気分を楽しみたいから、男子もそんな服装を予定してるの……この間の文化祭の時の玲二を思い出してくれればいいわ」
「うえっ」
諒は本気で頭を抱えた。
「勘弁してくれよ。あんな格好、俺、絶対にやりたくない!」
「俺だって喜んでやってたわけじゃないよ……!」
ちょうど部屋に入って来たことろだった玲二君は、ムッと諒を見下ろした。
「今回はみんながあんな格好だっていうんなら、俺はちょっと嬉しいかな……みんな苦しめばいい……」
(玲二君?)
いつも人のいい彼の顔が、一瞬この上なく悪そうに見えたのは気のせいだろうか。
「とにかく今さら諒が一人でどうこう言おうと、交流会の内容は変更されない。今度は筋肉痛になんかならないように、せいぜい今から鍛えておくんだな」
繭香の鶴の一声で、諒の不満は文字どおり一蹴されてしまった。
交流会について、相手の高校との話し合いで決まったことを可憐さんが報告する間、貴人は胸ポケットから出した何枚かの紙片を熱心に確認していた。
(あ! あれって全校生徒の『希望書』!)
行事ごとに、その中からいくつかの希望を貴人が実現していくことはわかっていたので、なんだかドキドキした。
(今度はいったいどんな願い事なんだろ……?)
けれど貴人が今回選んだ一枚は、なかなか一筋縄ではいきそうにない内容だった。
「うん決めた。今回はこれを実現しよう」
貴人が差し出した紙片を、私は受け取って一番にのぞきこんだ。
『一日でいいから、黒姫と白姫に恋人になってもらう!』
『もしあなたが生徒会長になったら、どんなことをしてみたいですか』という問いに対する答えとしては、ずい分個人的な欲望だなと、ちょっと呆れる。
でも貴人に言わせれば、こういう内容のものはかなり多いのだそうだ。
「誰々さんとつきあいたいとか……誰々さんを恋人にするとか……それはもう驚くほどにたくさんあるよ。生徒会長って言っても、何でも思い通りになるわけではないのにね……現に俺はてんでダメだ……!」
この上なく魅力的に笑われて、ドキリと心臓が跳ねる。
思わず(何がてんでダメなの……?)と問いかけそうになる自分を必死にこらえて、私は貴人に違うことを尋ねた。
「黒姫って諒でしょ……? 白姫は智史君よね……交流会の日に二人に、その誰かの一日恋人をやってもらうってこと?」
「ああ」
笑顔で頷いた貴人の背中に、同時に二つの声がかかった。
「俺は嫌だぞ!」
「僕は別にいいよ」
その内容といい、声音といい、表情といい、全く正反対な二人には思わず笑みが零れる。
きっと諒は嫌がるだろうが、二人セットにして並べていると絶対飽きないだろう。
(確かに……希望書の主の気持ちもわからなくはない……)
うんうんと頷く私に、諒はチラッと怒った視線を向け、口を尖らせた。
「そもそも『舞踏会』なんてふざけたもの……俺は絶対に参加しないからな!」
「諒ちゃん!『HEAVEN』のみんなはもちろん全員参加よ!」
可憐さんの悲鳴に、繭香が黒めがちな大きな瞳をついっと諒に向けた。
「我が儘を言うな、馬鹿者!」
ぐっとそれ以上の言葉を飲み込んだ諒は、再び机に突っ伏した。
「うらら?」
ふいに智史君の戸惑った声が聞こえて来て、私はそちらに視線を向ける。
いつもの定位置。
私とは反対の窓際に座った智史君の肩の上で、うららは早速夢の世界に旅立っていたはずだった。
なのに突然すっくと立ち上がって、部屋の中央にいる貴人に歩み寄る。
「貴人……」
耳を澄まさなければ聞こえないほどの小さな声は、いつもより強く貴人に語りかける。
「その希望書の願いは叶えられない」
「どうして?」
貴人が片方の眉を上げて、優しい調子でうららの顔をのぞきこんだ。
薄い色の前髪の向こうに見え隠れするやっぱり薄い色の瞳が、じっと貴人を見つめる。
「文化祭の時みたいに、大勢の人間が大勢の人間を相手にっていうのなら構わない……でも……智史がたった一人の誰かの恋人にって言うんなら、私は了承出来ない……」
「うらら……」
智史君のうららを呼ぶ声は、困ったようにも聞こえたが、と同時にひどく嬉しそうにも聞こえた。
「私は誰にも……例え一日でも……智史は譲れない……!」
聞いているこちらの方が思わず赤面してしまいそうな、いつもはあまり感情を吐露しないうららの、それはあまりにもきっぱりとした意志表明だった。
怒りに頬を紅潮させて、諒がふり返りざまに私を睨み上げる。
間近で煌く大きな黒い瞳に内心ドキリとしながらも、私は彼が痛いと言っている背中を、敢えてバチンと力いっぱい叩いた。
「うるさい! なんで私が優しくしなきゃならないの? ……手が届かないって言うから、仕方なく背中に湿布貼ってあげてるだけなのに……!」
「誰のせいで俺が、背中なんて変な所が筋肉痛になったと思ってるんだよ!」
「自分でしょ? 普通にダンス踊ればよかったのに、相手の女の子たちから常に逃げ腰になってたから、背中なんて妙な所が痛くなるんじゃない……!」
ああ言えばこう言うの言葉の応酬は、いつまでも終りそうにはない。
放課後の『HEAVEN』。
珍しく諒と二人きりで、部屋の空気はこの上なく険悪なムードになった。
諒はハアッと大きなため息をついて、首まで捲り上げていたTシャツを下ろす。
目の前にあった裸の背中が見えなくなって、実は私は内心ホッとした。
「もういい……! いくら待っても誰も来ないからって、お前に頼んだ俺がバカだった……あとはもう次に来る奴に頼む……!」
「ああそうですか!」
座っていた椅子から立ち上がった諒が、「痛っ」と小さくうめいてバランスを崩しながらも、私から離れようとする。
「大丈夫?」と本当は手を伸ばして助けたかったのに、それは出来なかった。
どうにも強情で意地っ張りな自分が、自分で嫌になる。
諒が遠くの席にギクシャクと腰を下ろした途端――。
「あーあ……やっぱり琴美と諒じゃ、そっからいいムードになったりはしないか……」
ガラッと突然扉が開くと同時に、さっさと部屋に入って来る順平君の姿に、私は唖然とする。
「だから言ったじゃない……このまま二人きりにしてたって喧嘩になるだけだって……」
順平君の後ろからは可憐さん。
それから剛毅と美千瑠ちゃんも現われた。
「だいたい……ちょっとダンス踊っただけで筋肉痛って……どんだけ運動不足なんだよ、諒?」
「うるせっ! いいからこれ! 貼ってくれ!」
すぐさま歩み寄って来た剛毅に、諒は投げつけるようにして湿布の入った袋を渡している。
そうしておいてからあからさまに、私の方をチラッと睨んだ。
「勝浦君と踊りたい人は列を作って並んでくださーい。はい順番にーって、誰かさんに大安売りされたんだから仕方ないだろ?」
クワッと目を見開いて、すかさず私も睨み返してやった。
「あの場はああするしかなかったでしょ? ただでさえクラスで居場所のない私が、これ以上敵を増やして、どうしろって言うのよ!」
「あーあ……とうとう開き直ったよ……どうよ剛毅?」
「うんうん。気の毒にな諒……」
剛毅がよしよしと諒の頭を撫でてあげている仕草はともかく、そこからふり返って私に顔をしかめてみせる諒の態度が、なんとも腹立たしかった。
後夜祭のダンスパーティーに諒と共に駆け戻った私は、途中で黒マントを隠していくことにぬかりはなかった。
しかし敵はマントを狙う男子ばかりではなかったのだ。
そのことを私も、そしてきっと諒も、すっかり失念していた。
体育館に戻った途端、それまでしっかりと握り締めていた諒の手を私は慌てて放した。
当たり前だ。
入り口付近で斎藤さんを中心とする我が二年一組の女子が、大人数で私たちを待ち構えていた。
「か、勝浦君っ? 近藤さんと一緒だったの??」
黙っていれば大人しくて品行方正なお嬢様にしか見えない斎藤さんは、諒のこととなると人相が変わる。
それはもう般若のように――。
(まさか手を繋いでいるところは見られてないわよね……?)
内心冷や汗をかきながら、私は諒を背中に庇うようにして女の子の群れに一歩近付いた。
「一緒なわけないじゃない! 偶然そこで会ったのよね、勝浦君……?」
諒は大きな大きなため息をついて、上目遣いに私を睨むとそっぽを向いてしまった。
「そう……? でもさっきは勝浦君、『俺は絶対にダンスなんかしないんだから、後夜祭が終わるまでは体育館に近付かない!』って言ってたのに……?」
なんだか納得のいかない様子の斎藤さんは、舐めるように私たちの様子を観察している。
私は頭を抱えたい気分だった。
すぐに諒を睨む。
(だったらなんで『体育館に帰るぞ』なんて私を引っ張って来るのよ!)
もちろんそれは、「みんなと同じ所にいたかったのに!」と八つ当たりし始めた私をなだめる為だったのだが、あの時感じた感謝の気持ちなんて、そんなものはもう微塵も無い。
(ここはしばらく、体育館に近付かないべきだったんじゃないの……!)
あきらかに、もうこちらを見る気もない諒の横顔を軽く睨みつけた。
(どうする……? 今さら、『やっぱりさようなら』って背を向けるには、さすがにもう無理があるわよ?)
あてにならない諒のことは放っておいて、一人で考える。
私の人よりほんのちょっとだけ回転のいい私の頭が、超高速で動き始めた。
(これ以上斎藤さんたちの機嫌を損ねるわけにはいかないわ……それでいて私も恨みを買わない方法っていったら……やっぱりここは、もうあれしかないわよね?)
少しだけ――ほんの少しだけ諒に悪いなと思って表情を盗み見たのに、あからさまに嫌な顔されるからムッとする。
(別にいいんじゃない? 私だって諒の黒マントのせいで大迷惑を被ったんだから!)
心を鬼にして、私は斎藤さんに向き直った。
「勝浦君、気が変わったって言うから、私がここまでつれてきたの……今からちゃんと後夜祭に参加するから、勝浦君と踊りたい人は列を作って並んでくださーい!」
ニッコリ笑って手を上げたら、女の子たちの目の色が変わった。
「お、おい……?」
すかさず逃げようとする気配を感じたので、背後の諒の腕を掴む。
それはもう、絶対に逃がすもんかという強さで――。
「私が先よ!」
「いいえ私が!」
互いに押し退けあおうとする女子の一団に、私はニッコリと営業スマイルを浮かべて宣言する。
「大丈夫。ちゃんとみんなと踊るから、順番に並んでねー」
かくして体育館の一画に、美千瑠ちゃん、貴人に続き、諒とのダンスの順番を待つ長い列が築かれたのだった。
「でもさ……あんな簡単なフォークダンス踊っただけでそうなっちゃうんじゃ、諒って来月の『交流会』大丈夫なわけ……?」
剛毅に湿布を貼ってもらって、ようやく机に突っ伏して一息ついた諒を見ながら、順平君が問いかける。
「何が?」
顔だけこちらに向けた諒に、順平君は呆れたように肩を竦めた。
「何がって……ダンスに決まってるじゃん」
「またダンス!!」
呪いでもかけられたかのように、諒は机の上にガックリと顔を伏せた。
「それも今度はフォークダンスなんかじゃないわよ。ちゃんとした本格的なダンス! 男子も女子も正装よ」
語尾にハートマークが付きそうな声音でニッコリと言い切った可憐さんに、諒はキッと険しい視線を向けた。
「交流会の責任者は可憐だったよな……なんでダンスなんだよ? 去年は球技大会だっただろ……」
「何をやるかは、その年ごとに変わっても全く問題ないよ。今年は可憐も向こうの実行委員長も社交ダンスをやってるから、必然的に『ダンス』になったのかな……?」
思いがけず返事が帰って来た方向に顔を向けてみれば、貴人が繭香と共に部屋に入って来たところだった。
「ええ、そう。この間話し合いに行ったらすっかり意気投合しちゃって……宝泉学園の体育館ってうちよりもっと広いのよ。舞踏会の会場みたいにあそこを飾り付けて、ドレスを着たら、女の子はみんなお姫様気分になれるかな……なんて……」
うっとりと目を潤ませる可憐さんに、「いいねいいね」と順平君が相槌を打つ。
「楽しそうだね」
ニッコリ笑った貴人に、諒が苦々しげに手を上げた。
「待て、貴人。女子がドレスってことは……男は何着るんだよ?」
それには可憐さんが瞳を輝かせて即答した。
「もちろんダンスコスチュームよ! って言いたいところだけど……今回は社交ダンスと言うよりは、舞踏会の気分を楽しみたいから、男子もそんな服装を予定してるの……この間の文化祭の時の玲二を思い出してくれればいいわ」
「うえっ」
諒は本気で頭を抱えた。
「勘弁してくれよ。あんな格好、俺、絶対にやりたくない!」
「俺だって喜んでやってたわけじゃないよ……!」
ちょうど部屋に入って来たことろだった玲二君は、ムッと諒を見下ろした。
「今回はみんながあんな格好だっていうんなら、俺はちょっと嬉しいかな……みんな苦しめばいい……」
(玲二君?)
いつも人のいい彼の顔が、一瞬この上なく悪そうに見えたのは気のせいだろうか。
「とにかく今さら諒が一人でどうこう言おうと、交流会の内容は変更されない。今度は筋肉痛になんかならないように、せいぜい今から鍛えておくんだな」
繭香の鶴の一声で、諒の不満は文字どおり一蹴されてしまった。
交流会について、相手の高校との話し合いで決まったことを可憐さんが報告する間、貴人は胸ポケットから出した何枚かの紙片を熱心に確認していた。
(あ! あれって全校生徒の『希望書』!)
行事ごとに、その中からいくつかの希望を貴人が実現していくことはわかっていたので、なんだかドキドキした。
(今度はいったいどんな願い事なんだろ……?)
けれど貴人が今回選んだ一枚は、なかなか一筋縄ではいきそうにない内容だった。
「うん決めた。今回はこれを実現しよう」
貴人が差し出した紙片を、私は受け取って一番にのぞきこんだ。
『一日でいいから、黒姫と白姫に恋人になってもらう!』
『もしあなたが生徒会長になったら、どんなことをしてみたいですか』という問いに対する答えとしては、ずい分個人的な欲望だなと、ちょっと呆れる。
でも貴人に言わせれば、こういう内容のものはかなり多いのだそうだ。
「誰々さんとつきあいたいとか……誰々さんを恋人にするとか……それはもう驚くほどにたくさんあるよ。生徒会長って言っても、何でも思い通りになるわけではないのにね……現に俺はてんでダメだ……!」
この上なく魅力的に笑われて、ドキリと心臓が跳ねる。
思わず(何がてんでダメなの……?)と問いかけそうになる自分を必死にこらえて、私は貴人に違うことを尋ねた。
「黒姫って諒でしょ……? 白姫は智史君よね……交流会の日に二人に、その誰かの一日恋人をやってもらうってこと?」
「ああ」
笑顔で頷いた貴人の背中に、同時に二つの声がかかった。
「俺は嫌だぞ!」
「僕は別にいいよ」
その内容といい、声音といい、表情といい、全く正反対な二人には思わず笑みが零れる。
きっと諒は嫌がるだろうが、二人セットにして並べていると絶対飽きないだろう。
(確かに……希望書の主の気持ちもわからなくはない……)
うんうんと頷く私に、諒はチラッと怒った視線を向け、口を尖らせた。
「そもそも『舞踏会』なんてふざけたもの……俺は絶対に参加しないからな!」
「諒ちゃん!『HEAVEN』のみんなはもちろん全員参加よ!」
可憐さんの悲鳴に、繭香が黒めがちな大きな瞳をついっと諒に向けた。
「我が儘を言うな、馬鹿者!」
ぐっとそれ以上の言葉を飲み込んだ諒は、再び机に突っ伏した。
「うらら?」
ふいに智史君の戸惑った声が聞こえて来て、私はそちらに視線を向ける。
いつもの定位置。
私とは反対の窓際に座った智史君の肩の上で、うららは早速夢の世界に旅立っていたはずだった。
なのに突然すっくと立ち上がって、部屋の中央にいる貴人に歩み寄る。
「貴人……」
耳を澄まさなければ聞こえないほどの小さな声は、いつもより強く貴人に語りかける。
「その希望書の願いは叶えられない」
「どうして?」
貴人が片方の眉を上げて、優しい調子でうららの顔をのぞきこんだ。
薄い色の前髪の向こうに見え隠れするやっぱり薄い色の瞳が、じっと貴人を見つめる。
「文化祭の時みたいに、大勢の人間が大勢の人間を相手にっていうのなら構わない……でも……智史がたった一人の誰かの恋人にって言うんなら、私は了承出来ない……」
「うらら……」
智史君のうららを呼ぶ声は、困ったようにも聞こえたが、と同時にひどく嬉しそうにも聞こえた。
「私は誰にも……例え一日でも……智史は譲れない……!」
聞いているこちらの方が思わず赤面してしまいそうな、いつもはあまり感情を吐露しないうららの、それはあまりにもきっぱりとした意志表明だった。