「私はカシスオレンジでお願いします」
「僕はビールで」
乾杯を待つ料理の香ばしい匂いが夕方起きてから何も食べてない腹を刺激して凛太の口に唾液を発生させた。その唾を飲み込むときにメニュー表から手を離し、拳で口を覆う。
年齢の高い人は大体とりあえずビールを選んで、周りの若いバイトの連中は色んな種類があるカクテルやサワーから好きな味を選んだ。
「私レモンサワーにします」
「私も」
「草部君はなにがいいかな」
「僕もレモンサワーで」
集まった人たちは女性が多かった。病院で働く看護婦らしきグループが凛太から馬場を挟んで固まって座っていた。凛太より少し年上くらいの人が多くて、20代中盤から30代前半に見える女性たち。やたら魅力的に見えるのは普段接することが少ないお姉さんと呼べる人たちだからか。
いや実際にレベルが高いと凛太は判断した。顔で看護婦を選ぶ医者もいると聞くしこの病院もその類なのだろうか。近くにいくといい匂いがしそうな栗色の髪やアクセサリーが似合うお姉さんたちだった。
大人の男は片手で数えられるほどしかいない。いつも昼間に馬場はこんな環境で働いてやがるのかと思う。
「おい兄ちゃん。元気か」
「元気ですって」
馬場ともう片方の隣には宮部が座っていた。もう既に酔っているかのような絡み方をしてくる。良い店で飲み会だというのに前と同じようなぼさぼさ頭をしている宮部に背中を叩かれるのは今日だけでもう四回目だ。
「院長。私ついでにこれ頼んでいいですか。めっちゃおいしそう」
「うん。何でもどうぞ」
「ありがとうございます。じゃあこの激辛麻婆豆腐も1つ」
「ええ。大丈夫ですか桜田さん。めっちゃ辛そう」
向かいに座る年上の看護婦にも負けず劣らずのルックスをした桜田がちょうど居酒屋でやっていた激辛フェアの真っ赤なメニュー表を嬉しそうに見ている。料理の写真には唐辛子がこれでもかと写っていて見ただけで舌がしびれる感じがした。
全員に酒が行き渡ると馬場の挨拶でとまと睡眠治療クリニックの面々は乾杯した。凛太もまずは隣の宮部から次に馬場、正面の桜田とグラスを合わせる。春山とも目が合ったが席が遠いし手を伸ばすことは無かった。
飲み会は賑やかに楽しく進んだ。凛太も酒が入ると上機嫌になり、日々の恐怖を忘れて聞くばかりではあるが近くの人と楽しく会話をした。最近のニュースの話題から噂話や愚痴まで。
「草部君は休日は何してるの?」
「僕ですか。えっと……」
馬場からの不意な質問がきた。それはいいのだが、そのタイミングで周囲の会話が途切れて凛太は注目されてしまった。
「最近は暑いし、家の中でゲームしてるのがほとんどですかね」
ゲームというと聞いている人にネガティブなイメージを持てれてしまうかと思ったが凛太は正直に答えた。
「へーゲームするんだ。草部君にはなんとなくゲームしなそうなイメージあったなあ。アウトドアな趣味持ってそう」
「あ、本当ですか。でも最近はばりばりインドアですよ。昔は運動してたんですけど」
話を拾ったのは桜田だった。
「ホラゲーは。ねえ、ホラゲーはやらないの。私めっちゃ好きなんだけど」
「ホラゲーはやらないですね」
「ええもったいない。怖いやつはこのバイトするのと同じくらいどきどきするし超おすすめなんだけど」
「いやホラゲーは……どうっすかね」
たしかに最近のホラゲーは技術の進化もあってやたらとリアルで怖いものがある。怖いものを忘れる為にゲームをしている凛太にとって絶対にやりたくないものだ。
「ねえ知ってます?最近流行りのホラゲー。この前出た滅茶苦茶怖くて難しいやつ」
「あ、あの部屋がいっぱいある洋館を見ていくやつですよね」
「そうそう!春ちゃん分かるの!?」
桜田の話に反応してしまった春山はその後、長いこと桜田のホラゲーの話に付き合わされていた。
桜田のオタクじみた早口に呆気を取られているとまた横から背中を叩かれる。そして耳元で囁かれた。
「おい兄ちゃん。院長にこの前教えたったこと問い詰めてみ」
「え、いいですよ別に」
「ええからええから」
凛太は嫌がりつつも興味があったので聞くことにした。気になっているならはっきりさせておきたいし、何かあったら宮部にやれと言われたと言えばいい。
「院長。宮部さんに聞いたんですけど、最初に面接に来るときに聞かされたあの病院の廊下の歩き方のルールって僕を怖がらせる為だけのやつだったんですか?」
「ああ。そうだよ。今頃気付いたの」
馬場は笑いながら答えた。
「まじっすか。勘弁してくださいよ」
「ははは。まんまと引っかかってくれてたのね。草部君は純粋だな。でもそういう純粋さを計る通過儀礼でもあるんだよね」
「そんなんないでしょ……あと、あの病院には秘密の部屋があるって聞きましたけど本当なんですか?」
そこまで言うと宮部が急に焦って腕を引いてきた。
「ばかっ。それはまだ言わんでええ」
「秘密の部屋?また宮部君から聞いたのかい。こいつの話はふざけてばっかだからまともに相手しちゃいかんよ草部君」
「ですよね」
凛太の言葉を聞いた馬場には動揺があったような無かったような感じだった。少なくとも傾けていたグラスをすぐに机の上に戻すくらいの動きはあった。
「そういえば草部君これも今日聞いておこうと思っていたんだけど」
「はい。何ですか」
続けて馬場は話題を変えた。
「君も悪夢を見るようになってないかな。実はこのバイトを始めて悪夢を見るようになった子が前にもいたんだよ。だから草部君ももしそうなら遠慮せず言ってね。無料で治療してあげるから」
「そうなんですか。はい……もし見たら言います」
凛太は自分とは関係のない話だという風に対応したが、胸の中では心当たりが暴れだしてざわついていた――。
凛太は見るようになってしまっていた。バイトを始めて間もなく見るようになった病室にいる夢。そこで少女にどうしようもなく惨殺されてしまう悪夢は今や凛太にとって当たり前になってしまっていた。
「僕はビールで」
乾杯を待つ料理の香ばしい匂いが夕方起きてから何も食べてない腹を刺激して凛太の口に唾液を発生させた。その唾を飲み込むときにメニュー表から手を離し、拳で口を覆う。
年齢の高い人は大体とりあえずビールを選んで、周りの若いバイトの連中は色んな種類があるカクテルやサワーから好きな味を選んだ。
「私レモンサワーにします」
「私も」
「草部君はなにがいいかな」
「僕もレモンサワーで」
集まった人たちは女性が多かった。病院で働く看護婦らしきグループが凛太から馬場を挟んで固まって座っていた。凛太より少し年上くらいの人が多くて、20代中盤から30代前半に見える女性たち。やたら魅力的に見えるのは普段接することが少ないお姉さんと呼べる人たちだからか。
いや実際にレベルが高いと凛太は判断した。顔で看護婦を選ぶ医者もいると聞くしこの病院もその類なのだろうか。近くにいくといい匂いがしそうな栗色の髪やアクセサリーが似合うお姉さんたちだった。
大人の男は片手で数えられるほどしかいない。いつも昼間に馬場はこんな環境で働いてやがるのかと思う。
「おい兄ちゃん。元気か」
「元気ですって」
馬場ともう片方の隣には宮部が座っていた。もう既に酔っているかのような絡み方をしてくる。良い店で飲み会だというのに前と同じようなぼさぼさ頭をしている宮部に背中を叩かれるのは今日だけでもう四回目だ。
「院長。私ついでにこれ頼んでいいですか。めっちゃおいしそう」
「うん。何でもどうぞ」
「ありがとうございます。じゃあこの激辛麻婆豆腐も1つ」
「ええ。大丈夫ですか桜田さん。めっちゃ辛そう」
向かいに座る年上の看護婦にも負けず劣らずのルックスをした桜田がちょうど居酒屋でやっていた激辛フェアの真っ赤なメニュー表を嬉しそうに見ている。料理の写真には唐辛子がこれでもかと写っていて見ただけで舌がしびれる感じがした。
全員に酒が行き渡ると馬場の挨拶でとまと睡眠治療クリニックの面々は乾杯した。凛太もまずは隣の宮部から次に馬場、正面の桜田とグラスを合わせる。春山とも目が合ったが席が遠いし手を伸ばすことは無かった。
飲み会は賑やかに楽しく進んだ。凛太も酒が入ると上機嫌になり、日々の恐怖を忘れて聞くばかりではあるが近くの人と楽しく会話をした。最近のニュースの話題から噂話や愚痴まで。
「草部君は休日は何してるの?」
「僕ですか。えっと……」
馬場からの不意な質問がきた。それはいいのだが、そのタイミングで周囲の会話が途切れて凛太は注目されてしまった。
「最近は暑いし、家の中でゲームしてるのがほとんどですかね」
ゲームというと聞いている人にネガティブなイメージを持てれてしまうかと思ったが凛太は正直に答えた。
「へーゲームするんだ。草部君にはなんとなくゲームしなそうなイメージあったなあ。アウトドアな趣味持ってそう」
「あ、本当ですか。でも最近はばりばりインドアですよ。昔は運動してたんですけど」
話を拾ったのは桜田だった。
「ホラゲーは。ねえ、ホラゲーはやらないの。私めっちゃ好きなんだけど」
「ホラゲーはやらないですね」
「ええもったいない。怖いやつはこのバイトするのと同じくらいどきどきするし超おすすめなんだけど」
「いやホラゲーは……どうっすかね」
たしかに最近のホラゲーは技術の進化もあってやたらとリアルで怖いものがある。怖いものを忘れる為にゲームをしている凛太にとって絶対にやりたくないものだ。
「ねえ知ってます?最近流行りのホラゲー。この前出た滅茶苦茶怖くて難しいやつ」
「あ、あの部屋がいっぱいある洋館を見ていくやつですよね」
「そうそう!春ちゃん分かるの!?」
桜田の話に反応してしまった春山はその後、長いこと桜田のホラゲーの話に付き合わされていた。
桜田のオタクじみた早口に呆気を取られているとまた横から背中を叩かれる。そして耳元で囁かれた。
「おい兄ちゃん。院長にこの前教えたったこと問い詰めてみ」
「え、いいですよ別に」
「ええからええから」
凛太は嫌がりつつも興味があったので聞くことにした。気になっているならはっきりさせておきたいし、何かあったら宮部にやれと言われたと言えばいい。
「院長。宮部さんに聞いたんですけど、最初に面接に来るときに聞かされたあの病院の廊下の歩き方のルールって僕を怖がらせる為だけのやつだったんですか?」
「ああ。そうだよ。今頃気付いたの」
馬場は笑いながら答えた。
「まじっすか。勘弁してくださいよ」
「ははは。まんまと引っかかってくれてたのね。草部君は純粋だな。でもそういう純粋さを計る通過儀礼でもあるんだよね」
「そんなんないでしょ……あと、あの病院には秘密の部屋があるって聞きましたけど本当なんですか?」
そこまで言うと宮部が急に焦って腕を引いてきた。
「ばかっ。それはまだ言わんでええ」
「秘密の部屋?また宮部君から聞いたのかい。こいつの話はふざけてばっかだからまともに相手しちゃいかんよ草部君」
「ですよね」
凛太の言葉を聞いた馬場には動揺があったような無かったような感じだった。少なくとも傾けていたグラスをすぐに机の上に戻すくらいの動きはあった。
「そういえば草部君これも今日聞いておこうと思っていたんだけど」
「はい。何ですか」
続けて馬場は話題を変えた。
「君も悪夢を見るようになってないかな。実はこのバイトを始めて悪夢を見るようになった子が前にもいたんだよ。だから草部君ももしそうなら遠慮せず言ってね。無料で治療してあげるから」
「そうなんですか。はい……もし見たら言います」
凛太は自分とは関係のない話だという風に対応したが、胸の中では心当たりが暴れだしてざわついていた――。
凛太は見るようになってしまっていた。バイトを始めて間もなく見るようになった病室にいる夢。そこで少女にどうしようもなく惨殺されてしまう悪夢は今や凛太にとって当たり前になってしまっていた。