「俺、草部です。新しくここでバイト始めた。聞いてないですか?」

「ああ。お前が草部か」

「宮部さんですよね?」

「そうそう。俺が宮部や。ちょっと苗字似てんな俺達」

 噂に聞いた宮部ではあるようだった男は笑った。容姿もワイルドなら笑い声まで汚かった。

「初めまして。今日はよろしくお願いします」

「おう。よろしく。そんな固くならんでええよ…………それで、何で俺の周りはこんな汚れてるんや」

「えっと、それは……」

「そりゃ俺が汚したからよ。ははは。ビックリしたやろ。ははは」

「は……はは……」

 凛太はこの短い会話だけで宮部がなかなかの強者だと悟った。今日一日の仕事が不安になる。

 宮部はひとしきり笑うと散らかったゴミを片付けだした。ナイロン袋の中へ片っ端からごみを放り込んだ。凛太はしばらくその様子を唖然として見た後、着替えに取り掛かる。

「兄ちゃん学生か?」

「はい。そうですね」

「へー。勉強しとんか」

「まあ。今は夏休みですけどね」

「そうか。だからバイトか」

 凛太が着替えている時に宮部は隣に立ち、しきりに話かけてきた。その佇まい、凛太を兄ちゃんと呼ぶこと、剃られていない髭。どこを取ってもやはりおじさんに見える。

「どうや?このバイト上手くいってる?」

「はい。まあ……」

「そやな。大抵の奴はやめていきよるのに続ける言うてんねんもんな。金貯めて何すんの?」

「旅行とか行きたいですね」

 宮部はその後もずっと凛太になんやかんや話しかけてきた。勤務時間が始まってもずっと。

「この前さあ、河川敷歩きょうたら下のグラウンドで小学生の野球チームが練習しょうたのよ。そんで、その小学生たちがまあ下手糞で。見とるうちに腹立ってきてなあ。遊びでしか野球したことのない俺より下手糞や」

「へー」

 凛太はその宮部のどうでもいい話達を適当に相槌をうちながら聞いた。本当にどうでもいいことしか話さないので逆にちょっと面白いくらいだった。

「だから、ちょっと下まで降りて10分くらい指導してやったわ。腰の使い方はこうや、腕の伸ばし方はこうやって言ってな。そしたらどうしたと思う?」

「えっと。お礼言われたんですか?」

「保護者に不審者扱いされたわ。すみませんお話しだったら私が聞きますよって遠回しにな。余計に腹立ったわ」

 でもまあ、悪い人ではなさそうだった。よく笑うし、一定の距離を保って接していれば自分に害を及ぼすような感じではなかった。そのことは良かったと思った。

 ずっと宮部の雑談の相手をするのも疲れてきたので、さっさと悪夢が始まってくれないか。始まってくれないのなら覚えたての雑務でも始めようかと思った時に赤いランプは光りだした。

「お。始まったな。行こうか兄ちゃん」

「はい」

 悪夢治療室に入ると今日も馬場が出迎えた。

「おはよう。今日もよろしくね」

「おはようございます」

 馬場は前の二重人格女子中高生の件があってから、凛太に接するときに少し真面目な姿勢になった。前のようににやついて話しかけてこない。

「今日の悪夢はたぶん問題ないでしょ」

「はい。まあ簡単なほうな奴ですよね」

「うん。頑張ってね」

 凛太が馬場と話す間に宮部は真っ直ぐに夢の中へ入る装置に向かった。「うぃーす」と軽い挨拶だけで。

 宮部は害を及ぼすような人ではなさそうだが、このバイトでの仕事ぶりはどうなのかと気になる。今のところ霊を怖がらないような図太さを見せているが、こういう人に限って頼りにならなかったら面倒だ。

「おやすみなさい」

 ガラス越しに馬場の声が聞こえると、眠くなる……これもどういう仕組み何だろうと気になって考えていればすぐに眠りに落ちて……次の瞬間全く違う場所に立っている。

 曇り空の下のどこかの住宅街に立っていた凛太はすぐに周囲を見渡した。夢の中に入って来た時の頭の切り替えは早くなった。すぐに状況を把握する為の行動を取れる。

 そして、凛太の近くで不審な動きをする者が1人いた……一緒に夢の中に入ってきたはずの宮部だ。

「ちょっとどこ行くんすか」

 宮部は近くにあった住居の塀によじ登って向こう側へいこうとしていた。

「ちょっと良さげな家見つけたから」

「え」

 凛太を置いて、宮部はまるで泥棒のようにその家の庭へ侵入していった。

 確かに、塀が高くて門もしっかりしている良さげな家だった。だけど何故いきなりその家の中へ入っていったというのだ。

 宮部の行動に戸惑いながらも追わない訳にもいかない凛太はその家の門が開くか確かめた。しかし押しても引いても駄目だったので仕方なく凛太も塀に向かってジャンプする。

 そうしている内に、窓を開けるような音がした。凛太には全く分からなかったが患者か霊の姿でも見えたのかもしれないと思った。

 しかし、宮部が入っていったであろう窓の先を見て凛太の考えはあっけなく打ち砕かれる。

「お。良いもん入ってんじゃん」

 宮部はキッチンにある冷蔵庫を楽しそうに漁っていた。