馬場はくるりと巻いたアシンメトリーの前髪を指で整えると頬を緩ませた。まるで好物を目の前にしたかのように嬉しそうな顔で話を続ける……。

「ここは悪夢を治す病院なんだよ……」

「悪夢?」

「そう、悪夢。怖い夢さ……知ってるだろ?」

「はい……もちろん。幽霊とかが出てくるような夢のことですよね」

「自分や大切な人が死んでしまう夢とかね」

 馬場が言いながら顔を近づけてくる。その目を見開いた笑顔は狂気も感じさせる……。大人の男のきつい香水の香りも香ってきた。

 凛太はずっと目を合わせていられなくて、部屋の出口のほうをちらりと見る。

「悪夢とは素晴らしい現象だよ。非常に興味深い分野だ。悪夢のみならず夢というのはね」

「はあ……」

「人が無意識に深層心理で生み出す……禍々しい恐怖の対象。絶対に起こってほしくない悲劇的な出来事がなぜか寝ている間に頭の中で起こる。本当に面白い。君は分かってくれるかい?」

「まあ……不思議な現象ですよね。夢って」

 NOとは言えない圧を感じたので、凛太は言葉を選んで言った。

「なぜ見たくないことに限って、人は夢で見てしまうのか。不思議なんだよ……まあ、興味本位でやっているんじゃなくてちゃんと悪夢に迷う人を救うことにも誇りを持っているんだけどね」

「へー……そうなんですか」

「それで、どうかな。悪夢治療専門の病院と聞くと、ちょっと気味が悪いと思ったり、ここで働くのが嫌になったりしたかな?」

「いえ。面白いです」

 本心からそう思ったうえでの返答だった。馬場の悪夢に対する熱意には若干引いたが、夢が興味深い分野というのには凛太も同意だった。どんな人が悪夢に悩み、それに対してどんな治療をするのか気になる。馬場のキャラクター含めて、今後人への土産話にもなりそうだ。

 まさか、悪夢が病気のように人にうつるなんてこともないだろうし……。

「そうか。良かったよ。これを聞いてやめちゃった子も前にいたんだよね。でも、さらに言うと治療法も特殊なんだよね……」

「と、言うと?」

「バイトの子にもやってもらってて、この先ここで草部君にもやってもらう主な治療法に患者と同じ夢の中に入るっていうのがあるんだよね」

「夢の中に入る?」

「うん」

「……それって、何というか同じ夢を見てるくらいの気持ちでカウンセリングするみたいな話ですか?」

「いや、ある装置を使うことで患者と君の夢をリンクさせるんだよ。言葉で言ってもピンと来ないと思うけど、言葉通りの意味だよ」

 面白い人を見る目で馬場を観察していた凛太の目は、今度はおかしな人を見る目になり、口もだらしなく開いた。何を言ってるんだこの人はという気持ちで頭がいっぱいになる。

「不思議そうな顔をしているね。でも、人と同じ夢を見るというのは偶然で無視できないレベルに報告数があり、海外でも真面目に研究されている現象だよ。ある機関との協力で僕は人為的に夢を繋げる装置を作ったんだ」

「いや、冗談ですよね?」

「大真面目さ。まあ初めは信じられないだろう。でもね……君が思っているよりこの世に不可能は無いんだよ。知られてないだけでね。なんなら今から装置を使ってみるかい?」

「……まあ、信じる……は、はい信じます」

 ……と、とりあえず凛太は言った。ここからやっぱりバイトするのはやめることを馬場に伝えることも視野に入れて凛太は話した。

「信じて貰うためにこうして直接会ってるんだから、気になることがあったら何でも聞いてよ。それと……この病院の治療法のことを他人にペラペラ話さないようにね。電話で言うよりも会って直接釘をさしたほうが効果的でしょ」

「はい。他言はしません。けど…………」

「やっぱり不安だよね」

「……はい」

「とりあえず一回シフト入ってみよっか。やってみてダメならすぐやめてくれても構わないし、バイトの先輩達から詳しく話も聞けるだろうし。どうかな?」

「あ、じゃあ……そうします」

 とりあえず一回……便利なその言葉に魅かれて……凛太の悪夢治療バイトは始まった……。