オルビアは、人気の占い師ということで、予約がないと会えないと断られた。占いの話ではないと言っても、無駄であった。
 それにしても、気になることがある。
 火竜の目撃情報だ。
 当時、ラウルも『火竜』を見たという話を聞いた。だが、普通に考えたらあり得ないことだ。
 この帝都エリンは強い結界で守られていて、魔が侵入することはあり得ないし、そうであれば、『知恵の塔』の魔術師たちがだまってはいないはずだ。
 ラウルは、そのあたりを確かめたくて、翌日、『子馬亭』を訪れた。
 案内をされて、奥にある部屋に入ると、中にはオルヴィズとアリスティアが話をしていた。
「こんにちは」
 にこやかに笑みを浮かべるアリスティアに、ラウルは、遠慮がちに頭を下げる。
 昨日はアリスティアがいないことに、がっかりしたが、今日はいることに、臆してしまう。
 相手は公女。普通なら、会話などできないはずの、姫君である。
「地図を描きに来たのか?」
 オルヴィズが、テーブルの上に描きかけの地図を広げた。
「いえ、火災で燃えた場所の区画を確認したくて」
 ラウルは、古い地図を見せてくれないかとオルヴィズに頼む。
「どういうことだ?」
「考えすぎなのかもしれませんけど」
 古い地図と描きかけの地図を見比べながら、ラウルは考え込む。
「メイサさんの居所とは関係ないとは思いますが、少し気になったことがあるのです」 
 遠慮がちにラウルは口を開いた。
「あの火事、火竜の目撃情報が多いのです。でも、結界があるから入ってくるわけがない。錯覚なのだろうな、とも思うけれど、燃え方が普通の火事と違う気がするのです」
「……そうなの?」
「火事は建材の状態や大気の状態、風の向きと強さ、そして燃えるものの多さなどがいろいろにかかわってきます。だから一概には言えないんですけど」
 確信は持てていないまま、ラウルは続けた。
「実は昨日、ある人を探しているときに火竜の話を聞いたのです。それで、昔、火事の燃えかたと、火元と思われる場所からの被害状況が風向きと一致していないって言われていたのを思い出しまして」
「確かに、当時の調書では風向きに反して燃え広がったと書かれていたと記憶しておりますな」
 オルヴィズが頷く。
「今更、そんなことを気にしても意味がないですし、火事の時にメイサさんは『駒屋』にはいなかった。だから、全く関係のない話ですけども」
「本当に竜がいたとしたら、『知恵の塔』が大騒ぎよ」
 アリスティアは苦笑する。
「でも、ひょっとしたら、調べた記録があるかもしれないわね」
「そっちの記録は、秘密主義ですからな」
 オルヴィズは肩をすくめた。
「しかし、尋常ではない規模の火事であったのだ。原因を探ることは、無意味ではない」
 オルヴィズに頷かれ、ラウルは安堵する。
 給金をもらう以上、きちんと『仕事』はしたかった。
「とりあえず、メイサさんの知人に会いに行く予定です。昨日、約束をしましたから」
「びっくりした。すごいのね。憲兵隊より優秀だわ」
 アリスティアに褒められて、ラウルは申し訳ない気分になる。
 そもそも、立場的に憲兵隊は大っぴらに動けないのだから。もっとも、オルヴィズの方は気にした様子はなかった。
「今からなの? じゃあ私もいっしょに行こうかな」
「アリス様、それは」
「いいでしょ、別に」
 オルヴィズは困った顔をした。実は苦労性なのかもしれない。
「では、私も参ります」
「だめよ、オルヴィズには別に仕事を頼むから」
 オルヴィズの顔がますます渋くなった。
「仕事とはなんでしょうか?」
 オルヴィズはこれ以上の厄介ごとはやめて欲しいという気持ちを隠そうともしない。ほんの少し、彼が哀れに思えた。
「イルクートについて、調べてくれない? 父上の許可はもらってあるから」
「イルクート? 侯爵で、魔術師の?」
「そう。そのイルクート」
 オルヴィズは渋い顔をしたが、憲兵総監の許可があるとあっては断れず小さくため息をついた。
「わかりました。相変わらず、無茶をおっしゃる」
「ありがとう」
 アリスティアが最上の笑みを浮かべると、オルヴィズはもっと困った顔をした。



 ロキス神殿近くの裏路地を歩いていくと、香のかおりがしっとりとした雨の中に流れてきた。
 アリスティアは、会ったときと同じく、魔道師のマント姿。服装に娘らしさは全くないのにもかかわらず、その美しさは目を引くものがある。
 憲兵総監レニキス公は、現皇帝の弟である。その娘であるアリスティアは、皇帝の姪であり、順位は低いものの皇位継承権もある、やんごとなき姫君のはずだ。ラウルは、どう対応すべきなのかわからず、どうしても無口になる。
「占い師かあ」
 アリスティアは、物珍しそうに、路地に掲げられた数々の看板を眺める。
「よく当たるって評判だそうです。約束がないと見てもらえないんだとか」
「占い師ってね、もったいぶった方が、ありがたがられるのよ」
 くすりとアリスティアが笑う。
「私の従姉なんて、ひと月も待たされたって、喜んでるのよ」
「……見てもらいたいことを忘れそうですね」
 ラウルには、想像もできない感覚だ。
 そもそも自分の未来など、別に知りたいと思わない。知って何かが変わるのだろうか。しかも確実性のないことをわざわざお金を出して聞きたいなんて、理解を越えていると思う。
 そう話すと、アリスティアは「そうね」と、苦笑した。
「ああ、ここです」
 ラウルは、古ぼけた扉をノックする。すると、ひょろりとした少年が扉を開いた。湿気じみた空気に香の匂いが絡みつくように流れてくる。部屋には古ぼけた長椅子が置かれており、二人はそこで待つように少年に指示をされた。
「ずいぶん、暗いですね」
 部屋には窓はなく、受付をしていた少年の作業机に置かれた、ろうそくの灯りだけだ。部屋の中のわずかな空気の動きで、影は濃淡を変えた。
「魔道もそうだけど、精霊や魔物に力を借りたりするものは、闇と相性がいいのよ。術者の集中力も高まるし」
「俺は、金が無くて油が買えなかった時を思い出します」
 父が死んでまもなく、母が病に倒れた。そのころは今よりもラウルの賃金は安くて、食べていくことすら困難だった。今だって、裕福とは言いがたいけど。
「どうぞ、お入りください」
 先ほどの少年が奥の扉を開けて、ふたりを手招きした。
 中に入ると、部屋は流れてきていた香りがたちこめていた。銀色の燭台に、三つの炎が燃えている。
 二人は勧められるまま、長椅子に腰を下ろした。大きい透明な水晶球の置かれた机の向こうに、紫のベールを被った女性が目を伏せるように座っている。部屋が薄暗いこともあり、ベール越しの表情をうかがい知ることは難しい。
「オルビアさんですね」
 ラウルの問いに、彼女は少し頷いた。顔を一瞬、あげたものの、慌てるように目を伏せる。ベールをしていて見えないが、顔にひどい火傷があると聞いていた。ひとに見られるのが苦手なのかもしれないとラウルは思う。
「何をお知りになりたいのでしょう」
 低い、落ち着いた口調だった。
「あなたは、昔、『駒屋』さんで働いていらっしゃいましたね」
「もちろん、見料としての料金はお支払いいたします。ご心配なさらずに」
 オルビアの少し戸惑うようなしぐさに、アリスティアが慌てて口を添える。
「……あなたがたは?」
「私は、憲兵総監レニキスの娘、アリスティア。あなたに迷惑はかけませんから、話してくださいませんか」
 あまりにあっさりと名乗ってしまったアリスティアにラウルは驚いた。もっとも、見ず知らずのラウルにもあっさり名乗ったアリスティアである。
 自分が特別な立場にあることを、全く気にしていないのかもしれない。
「ああ。道理で」
 オリビアは得心したらしく小さく頷いた。
「確かに、私は『駒屋』で娼婦をしておりました」
「そこにいたメイサという女の子のことを教えてください」
 アリスティアが名乗ってしまった以上、もはや遠回しに聞く必要はない。
「メイサ、ああ、ユキアの子供ですね。もう何年も会っておりません。あの子がどうかしたのでしょうか」
「メイサは、ある事件に巻き込まれていると思われます。あの子を助けるために、力を貸していただけませんか」
 アリスティアが身を乗り出しながら、頭を下げる。オルビアは視線を落としたまま、ゆっくりと口を開いた。
「あの子の母親は、身寄りがなくて。だから母親が亡くなっても、誰も引き取る人がいなかったんです。そこで、私たち住み込みの娼婦たちが面倒を見て育てました」
「あの、彼女がお店に出ていた、というのは本当ですか」
 ラウルは、隣のアリスティアをちらりと見て、ためらいを覚えつつも聞いた。
「はい。『駒屋』の主人は鬼ではありませんでしたが、商売人でした。あの子が少し大きくなってくると、私たちは反対したのですけど、客を取らせるようになりました」
 オリビアは静かに答える。
「客って、だってまだ子供でしょ?」
 アリスティアは眉をひそめた。
「非道ではあります。それでもね、あの界隈で産まれた子供としては、不幸とも言えません」
 家もなく、食べ物もない。場合によっては酷い暴力を受けたりする子供のほうが圧倒的に多いのだと、オルビアは続けた。
「それにあの子は、すこし不思議な力を持っていました。暗い部屋にひとりでいると、大きな蛍のような光の玉と遊んでいたりしていて。そのことを知っているのは私とほんのわずかな人間でしたけど。そんなことがわかったら、店から追い出されてしまうことは間違いありませんでした。私たち、それが不安でいつも心配しておりました」
 オリビアは、何かを思い出したらしく、わずかに肩を震わせた。
「あるかも。魔力の強い者は、訓練を受けていなくとも無意識に力を発現させることがあるの。『知恵の塔』は、そういう子供たちを見つけて、訓練させる活動も行なっている。メイサは、導師に見出されたと聞いているわ」
 訓練すれば、力の暴走による事故はおこらない。この国において、魔道の力は徹底的に管理されている。ただ、そういう子供を探し出すのは難しい。
「メイサさんは、どういう経緯で導師と出会われたのでしょうか」
 ラウルの問いに、オルビアはうつむいたまま答えた。
「私はほんの少しヒトと違うものが見えます。あの子からは、めらめらと燃えるような炎の化身のようなものが時折見えました」
「炎?」
 アリスティアは不思議そうに首を傾げる。
「はい。私は、愛おしくも、怖かった。魔道の訓練なんてことは思いつかず、ただ、ロキス神に祈りをささげるよう、勧めました」
 目の前に置かれた水晶の中に何かがあるかのようにオルビアは見つめる。
 ロキス神は、この国で崇められている六貴神のひとりで、この地域では特に信仰の厚い神である。破壊と創造、炎と水を司る神だ。
「あの大火事のあとの神殿の焼け跡で、あの子は『知恵の塔』に拾われたのです。それ以上のことは私にはわかりません」
 オルビアは激しく震えはじめた。辛い記憶がよみがえってきたのであろう。
 ラウルたちは、彼女の震えが止まるのをじっと待った。
「あの火事は、不思議な火事でした。突然、火の粉が舞い始めたかと思うと、大きな竜が現れて柱を食い破り始めました。竜の体から、灼熱の炎が立ち上り、ありとあらゆるものが火に包まれました。そして、たくさんのひとが炎に巻かれました」
 彼女は言い終えると、耳を塞ぐような仕草をした。まるで人々の悲鳴が聞こえてくるかのようだった。
「何故、あなたは助かったの?」
 優しくアリスティアが続きを促した。
「わかりません。耳元で誰かの囁くような声が火の渦の中から、私を外へと導いてくれました。その声はよく知っているようでもあり、知らない人のようでもありました。外に出ると、店は火に包まれ、竜はのたうつように建物を焼きながら飛んでいました。みなが炎から逃げようと走り、叫んでいました。私は井戸のそばにたどり着いたところで、意識を失ってしまい、気がついたときは全てが燃え尽きていました」
 オルビアは、顔を伏せたままだった。巻き戻した時が元に戻るまで待つかのように、沈黙が流れる。
「申し訳ありませんでした。辛いことを想い出させてしまって」
 重苦しい空気の中で、静かにラウルは謝罪する。
 彼女は小さく首を振った。
「お役に立つのであれば構いません」
 オルビアは水晶球を手で触れる。心なしか、ざわりと空気が動いたような感触がした。
「なんだか嫌な感触があります」
 ラウルには、見えない何かを水晶球の中に見ているようだった。
「あの子のことが全く見えません。暗い暗雲がたちこめて、全てがもやのよううです。何もわかりませんが不吉です」
 オリビアは大きく息を吐いた。
「どうか、あの子を助けてあげてください。私の感じている不安がすべて杞憂であればいいと、祈らずにはいられません」
「まだ、何が起こっているかわからないけど、全力を尽くしてみるわ」
 アリスティアは力強く頷いて見せる。
「神殿に行ってみましょう」
 ラウルとアリスティアは、ふたたび雨の路地を歩き始めた。