次の日も雨が降っていた。
 ラウルは言われたとおり、ラレーヌ地区にある子馬亭を訪れた。
 ルパーナ帝国の首都、帝都エリンは、美しい都市だ。
 宮殿は森に囲まれた小高い丘につくられ、広大なルーゼ湖を背にしている。湖から流れ出たニギリ川は都市の東を流れており、都市はそこから市内に水道を引いていた。
 都市は十の地区に分けられており、上下水は完全に整備され清潔だ。
 森が近いこともあって、地区と地区の間は、真夜中になると結界が張られることになっており、地区間の移動は不便極まりなくなるが、都市の治安は大陸で一番と言われるほど高い。各地区はそれぞれ違う特色を持つようになっている。
 エレクーンが歓楽街なら、隣接するラレーヌは商人の街だ。晴天ならば、たくさんの市が並ぶのだが、今日は人影すらまばらだった。
 子馬亭は、そんな広場からは離れたラレーヌの外れにある小さな食堂だ。
「いらっしゃい」
 店内に入ると、カウンターの中の赤毛の中年の女性が笑いかけた。美人といえば美人なのだが、少々骨太な印象を受ける。ちょっと太めの眉毛が意志の強さを感じさせた。
「ミリアさんという方はいらっしゃいますか?」
 ラウルは店内を見回す。
 そんなに広い店ではないが、カウンターの前以外にもテーブルがいくつか置かれている。飾りけはないが、掃除が行き届いていた。壁にかけられたタペストリーは高価ではなさそうだが、趣味が良い。カウンターの奥にはキッチンと、階段が見えた。
 まだ昼には早いせいか、店内に客の姿はない。カウンターの女性のほかには、若い女の店員がひとり奥のテーブルを拭いているだけだった。
「ミリアは私だけど?」
 カウンターの女性が不思議そうに首をかしげた。
「あなたに、お会いするように言われてきました」
 ラウルは渡されたメモを見せる。メモにはアリスティアのサインが書いてあった。
「ああ。あんたかい、アリス様がおっしゃっていたのは」
 納得したように頷いて、ミリアはラウルを見た。
「レイラ、この兄さんを二階へ案内してあげて」
「はーい」
 テーブルを拭いていた店員が、手を止めると嬉しそうにラウルをカウンターの奥へと手招きした。あまり美人とは呼べないそばかす顔を輝かせている。ラウルを案内することではなく、案内する先に何か心が踊ることがあるらしかった。
「こっちよ」
 カウンター奥の階段を上り一番奥の扉をノックする。
「あの、メモを持ってきた人がお尋ねなんですが」
「ああ。入ってくれ」
 若い男の声がした。
 内開きの扉を開けると、ラウルは、店員が弾んでいた訳を納得する。
 部屋の中にいたのは、長身の鍛え上げた体格をした男だ。
 ラウル自身は小柄のため、なんとなく劣等感を感じてしまう。
 焦げ茶色の髪の毛はくせっ毛だが、端整な顔をしている。年齢はラウルより少し年上のようだ。
「レイラ、ご苦労だったね。悪いけど、スープをふたりぶんお願いできるかな」
 男はにこやかな笑みをみせる。注文を受けた店員は踊るように階段を駆け下りて行った。
「そんなに濡れていては寒いだろう。上着をそこにかけて、こちらで火にあたるといい」
 男は優しく手招きをした。言葉に甘えて、ラウルは上着を脱ぎ、暖炉のそばによる。春とはいえ、気温はまだ低い。雨に当たれば身体は冷える。ラウルの着ていた上着では、完全に雨露を防ぐ事は不可能で、中に着ていた粗末なシャツは身体にぴったりと張り付いていた。
「さすがに、大工というだけあって、いい体格をしているな」
「ありがとうございます」
 お礼を言うのも、おかしな気もするが、ラウルは頭を下げる。
「アリス様は気まぐれで、強引な方だが……」
 男はラウルに椅子を勧めながら、書類の束を見た。
「悪いとは思ったが、ギルドに行って調べさせてもらったよ」
 うますぎる話だ。それくらいの事は当然であろう。
「病気の母親を抱えて、兄妹の三人暮らし。勤務態度はいたって真面目で、生活は質素、人付き合いも悪くない」
 男は苦笑いを浮かべた。
「残念なことに、アリス様の目に間違いはなさそうだ」
 丁度先ほどの店員がスープを運んできたので、男は書類の束を片付けた。
「飲みなさい。体が温まる」勧めておいて、自分も湯気を立てているカップに口をつけた。
「私の名前は、オルヴィズ。憲兵隊の隊長だが、アリス様の手下と思ってくれてかまわない」
 半ば自嘲めいた笑みを浮かべる。どうやらアリステイアに頭が上がらないらしい。
「君に頼みたいのは」
 オルヴィズは、テーブルに大きな地図を広げた。
「これは二十年前に作られたエレクーンの地図だ。エレクーンは十年ほど前に大火があって」
 言いながら、街の一角を指差す。
「このあたりは完全に変わってしまっているんだ」
「十年前の大火は記憶にあります。まだ見習いでしたが、再建の仕事をしました」
 ラウルは十三になったばかりで、釘一本、打たしてもらえる立場ではなかった。それでも多少の土地勘はある。
「では、このあたりを中心にということでしょうか」
「ああ」
 仕事の話はそれだけだ、というオルヴィズの態度に、ラウルは首をかしげた。
「あの、探し人があると聞いていたのですが」
 いかにも乗り気じゃない、というようにオルヴィズは首を振った。
「メイサという魔道師の女だ。アリス様はお捜しになりたいようだが、憲兵は今回は手を出してはならないことになっていてな」
 苦々しい顔をしている。立場上、微妙な事になっているらしいのが見て取れた。
「やむをえまい。相手が魔術を使うとなれば、憲兵に捕まえる術はない」
「捕まえる? 証人だと伺っていましたが」
 オルヴィズはさらに困ったように眉をひそめた。
「『知恵の塔』の長である、ラバナス導師が殺された。捜し人は、その容疑者である、メイサという女魔導師だ。メイサは、アリス様のご学友でな。アリス様は無実を信じていらっしゃる」
「複雑なんですね」
 魔道師たちは、『知恵の塔』と呼ばれる組織に所属している。魔導師の逮捕権は憲兵ではなく、知恵の塔にある。したがって、憲兵は表立って動くことは出来ない。
「メイサはエレクーンの娼婦の娘でね。母親は赤子の頃に死んだらしいんだ。娼婦仲間に養われていたところを、導師ラバナスに拾われた。他に身よりもないから、逃げ込むとしたらエレクーン以外に考えられんのだ」
 オルヴィズはため息をついた。
「ところが、彼女の母が勤めていた店は、大火事で焼けていて、もはや捜すすべはない」
 お手上げだ、というようにオルヴィズは両手を挙げて見せた。
「店の名前はなんと言うのですか」
 聞いたところでどうにかなるものではない、と思いつつラウルは聞いた。
「確か、『駒屋』という名のはずだ」
 積み上げられた書類の束を繰りながら、オルヴィズは答える。
「そのことは気にするな。この部屋は使えるようにしておくから、ここで地図を描いてほしい」
 どうやら、地図さえできれば、とりあえずアリスティアへ顔向けができるということらしかった。
「それでよろしいのですか?」
 オルヴィズは苦笑した。
「契約外のことは必要ない。くれぐれも、スリに気をつけるんだな」
 心配されなくとも、すられるほどもっちゃいない、と思ったが、ラウルは黙って頷いた。
「それと、このマントを使うといい」
 オルヴィズは、木箱から無造作にたたまれたマントを取り出した。傭兵などが、好んで着るマントだ。すでにかなり痛んではいたが、ラウルの着ていた上着よりはるかに雨具としての性能は上だろう。
「こんなことまで、していただいては……」
「構わん。雨は体に良くない。それに、そいつは俺には少し小さくてな」
 雨の日の仕事を頼むのだから当たり前だと、オルヴィズは笑う。
「あなたも、彼女もどうしてそんなに親切にしてくださるのか、よくわかりません」
 ラウルは世間の冷たさを知っているほうだ。他人が無償でやれることには限界がある。まして、報酬というのは思うより小さいのが常なのだ。
「俺は、別に親切にしてなどいない。あんたが使えそうな男だから、使うだけさ。アリス様の場合は」
 少しためらうようにオルヴィズは首をすくめた。
「あの方は大切な方を胸の病で亡くされている。他人事に思えなかったのだろうよ」
 何か複雑な事情があるようだが、それがどんなものなのかラウルは想像することもできなかった。


 雨の石畳を歩きながら、ラウルはオルヴィズの話を頭の中で復唱した。
 どう考えても、納得がいかないものがある。アリスティアは人を捜すために地図を作ってくれといった。しかし、オルヴィズの話では、すでにある程度までの調査は済んでいるようだった。今更、地図を作ったところで、それ以上の情報がつかめるはずもない。
 それに、人を捜す必要がないのなら、憲兵が正確に測量を行なえばいい。それなら、知恵の塔に遠慮は要らない。目測でいいかげんなものを作って何になる?
 ラウルは、身にまとったマントを見下ろした。面白いように雨のしずくが玉となって布を滑り落ちていく。
ーーこれでは、ほどこしを受けているだけだ。
 高すぎる手当て。簡単すぎる仕事。そのすべてが、母親の薬代も払うことの出来ない哀れな男への同情から出た、ほどこしなのだ。
 惨めだった。
 そんなに、みっともない男だとあの美女の目には映っていたのかと思うと、悔しさで身体が震える。引き返して今すぐ断るべきだ。
 その一方で、身を粉にして働く妹と、床についたままの母親の姿を考える。同情でも、ほどこしでもかまわないではないか、とも思う。
 貧しいのは変えようのない事実で、母には、治療薬が必要なのだ。
ーー捜してみよう。
 ラウルは大火で焼けた一角へと向かうことにした。