そうして優平は善子のスーパーカブで、そのときは広島まで帰ったあと、後日届いた書類で手続きをし、保険も入り直して、善子のC50は広島へ渡ったのであるが、優平はボアアップしたり、少し歪んでいたのでバーハンドルに変えたりはしたものの、カラーリングだけは気を遣ったものか、アバグリーンのままであった。

 やがて。

 優平が就職で東京へ移る際、

「こいつも連れていきます」

 と、一応連絡だけして広島から乗って上京し、雨の日にはレインウェアを着て通勤したり…と相棒として乗り続けていたようである。