ここは、錦町に接する妖との境界。
ヒトとも接する歓楽街の界隈に、ほんの少し接しているのだが。ヒトから入るには、ある程度の資質を持つ者でしか訪れるのは叶わず。
たとえばそう、妖が好む霊力があるとすれば。
元地獄の補佐官だった猫と人のような姿をしている店主の営む小料理屋、『楽庵』に辿りつけれるかもしれない。
沓木桂那、二十五歳。
大手広告代理店に勤めて、今年で三年目になる社会人の一人だ。仕事内容は主に広告デザインを中心にしている、いわばデザイナー。響きに聞こえがいいかもしれないが、まだまだ入社三年目なのでそう多くは扱ってもらえない。
雑事も当然多いが、全く使ってもらえないわけではないし、任される仕事も少しずつだが増えてはいる。
そして忙殺のクリスマスも終わり、半年後の夏イベントに向けて仕事をしているのだが、年末間近の今日、桂那は半休をもらえた。
これは桂那だけでなく、デザイナーなどのクリエイティブチームも交代で半休を取る仕組みになっただけだ。クリスマスイブの真夜中にクリスマス本番のためのディスプレイ設置と搬入の手伝い。
それに対しての、労働の処置なのだ。本来なら一日休みと行きたいところだが、仕事納めが三十日まであるのでそこまで出来ない。
課長や部長からは、申し訳ないと言われたけれど。桂那にはありがたかった。
半日でも休みがもらえたのなら、出来ることがあるからだ。桂那の趣味は女性らしくお菓子作りではあるが、これは今の彼氏に理由があるのだ。
桂那の会社からは徒歩三十分くらいかかるけれど、栄の一角にあるマカロン専門店。そこのパティシエの一人が、桂那の今の彼氏である。
大学四年からの付き合いなので、もう四年の付き合いになるが。
桂那は、少し遅くなったが彼の誕生日が半休の今日だったので、お菓子を作ることにしたのだ。
「……うーん。材料はひと通り買ったけど。……隆君が好きなのはやっぱり」
チョコ。言いようがないくらい、チョコ中毒者なのだ。
彼の自宅に行くたびに、チョコ菓子のストックがいつのまにか増えたり減ったりする量がすごいくらい。
なら、食べ応えがある生チョコ風味のブラウニーを作ろうと決めた。
「とにかく、チョコを刻んで」
今回のブラウニーに、油分はチョコのみ。これは桂那の経験だが、バターを忘れて焼いたのに。出来上がったら生チョコのようにしっとり出来て美味しかったからだ。まだ、彼氏には作ったことがなかったのでちょうどいい。
少し前に、後輩の湖沼美兎と田城真衣にブッシュドノエルを教えた時。田城の方にはキッチンバサミで切らせていたが、慣れた桂那の場合はもちろん包丁で。
湯煎しやすいように刻んでから、同時に沸かして置いた湯の鍋にボウルを置き、牛乳とチョコを入れて。
丁寧にゴムベラを使ってチョコを溶かして牛乳と混ぜ合わせていく。途中、別のボウルに卵を割ってとき解したものに砂糖を入れてよく混ぜた。
このボウルの中身に、溶かしたチョコを少しずつ入れてよく混ぜて。薄力粉をふるって粉気がなくなるまで、ゴムベラで切るように混ぜたら。
事前に予熱しておいたオーブンの中に、型に流し込んだブラウニーの生地を170℃の熱の中で三十分弱焼くだけ。
片付けも簡単なので、ささっと進めてからコーヒーブレイクしていたら。
玄関の方から、鍵を開ける音がしたのだった。
「や、ケイちゃん」
予想以上に、早くやってきた桂那の彼氏。
相楽隆仁がやってきたのだった。
「お疲れ様。早かったわね?」
「うん。クリスマスとかが、まともに休みもらえなかったし。今日は早上がりでいいからって、店長が気ぃ遣ってくれてね?」
そして、二人の間ではお決まりのハグをするのだが。
桂那には、肩に当たったものの痛みで少し顔をしかめた。
「隆君、変身解けかけてるよ?」
「ほんと? ごめん、痛かったよね?」
「少しは慣れたけど……」
顔を上げれば、人間とは違う細長い角が二本と。
青白い肌、赤く艶のある長い髪になった、隆仁は人間ではない。
美兎達には黙っていたのだが、桂那の彼氏は人間ではない。美しい美しい、赤い鬼なのだった。