紗凪(さな)翠雨(すいう)と別れて水族館を後にした、美兎(みう)火坑(かきょう)は。

 場所を移動すると、火坑に言われてまた電車に乗ろうとしたのだが。


「電車でゆったり、少々急ぎ目でバスも使ったりとありますが」
「急ぐ場所なんですか?」
「ええ。ひょっとしたら、いい品がなくなるかもしれませんのっで」
「? 食材ですか?」
「いいえ。食材ではありません」


 なら、少々急ぎ目で向かいましょう。と、火坑に強く手を握られてから電車に急いだ。

 金山に戻り、わざわざ名古屋駅に向かい。そこからあおなみ線という滅多に乗り換えない路線に乗った時、美兎はひとつ思い出したことがある。同僚が作っていた、大型ポスターの内容を。


「クリマですね!」
「……クリマ?」
「あれ?! 違いました? えと、クリエイターズマーケットですけど」
「ああ、すみません。略称を存じていなかったもので」
「私もすみません。うっかり、いつもの調子で」


 クリエイターズマーケット。

 それは、つくるひと達の『発表の場でありたい』と言う想いからスタートした、クリエイターを応援するイベントである。

 ジャンルを問わず、多種多様なクリエイターが出店出来るイベントなので、一般客も気軽に訪れられるのである。夏と冬、各季節二日間行われるので、東京の俗に言うコミケとはまた違うとされているが。

 デザイナーであれ、クリエイターのひとりでもある美兎は少し憧れていたのだが。学生時代も、就活や卒論に明け暮れていたので無理。

 新卒の今年も無理だと思っていたのに、出来立ての彼氏様は本当に妖であれ、出来た存在である。


「ふふ。美兎さんはデザイナーでいらっしゃいますからね? きっと気に入るのではないかと」
「……火坑(響也)さんのお誕生日の日なのに、私が喜んでばかりです」
「いえいえ。美兎さんが喜んでいただけたのなら、僕も嬉しいです」
「……もぉ」


 本当に、出来過ぎた彼氏様でいらっしゃる。

 そんな、デート文句でもテンプレで王道な台詞でも様になるとは、美兎の心臓をキュンキュンさせるばかりだ。

 とにかく、金城ふ頭に到着したら徒歩でゆっくりと移動して。会場であるポートメッセなごやに着くまで、美兎と火坑は指を絡めて手を繋いでいたが。

 少し、紗凪が翠雨にしていたことを思い出したので、ひとこと断ってからぎゅっと彼の利腕に抱きついてみた。


「……おや」
「迷惑ですか?」
「いいえ。人混みの多い場所だと動きにくいでしょうが、今は大丈夫ですしね?」
「じゃ、マーケットに入ったら手でいいですか?」
「もちろん」


 猫の頭ではなく、人の顔ではあるが。笑い方はそっくりだったので、美兎の胸も自然と熱くなっていく。


「あ、チケット」


 が、すぐに大事なことを思い出したら、火坑にくすくすと笑われた。


「今日は、僕と美兎さんの大事なデートですよ? 前売り券は既に入手済みです」
「さすがです! けど、あんまり告知されていないのに」


 どちらかと言えば、通常のポスターよりもWebでの告知が多い昨今では。クリエイターにもよるが、広告での告知よりもWebで確認することが多い。

 妖でもある火坑なのに、と思うが。既にスマホなどを持ち歩いている時点で、現代社会に溶け込める要素はあるなと考えを改めた。

 楽庵(らくあん)に、わざわざビールサーバーを導入するくらいだから。充分今風であるし。

 その考えを読まれたのか、火坑にもまた、ふふと笑われた。


「ネットサーフィンはよくしますよ? SNSもごく一部ですが、料理人同士でやり取りをしますし」
「人間用ですか?」
「いえ、妖用です」
「妖でもあるんですか?」
「ふふ。妖には寿命の限りがありませんからね? (にしき)だけでなく、他府県の界隈でも妖の料理人は多数いますよ? その彼らから得る情報はまさに宝の山です」
「お店のお料理も、霊夢(れむ)さん達から教わった以外のが?」
「ええ。近頃は、京都のおばんざいを参考にしています」
「京都!」


 古都。美しい風景、美味しいもの。

 メインは最後になってしまうくらい、食い意地が張るのは仕方がないが。もし小旅行などで彼と京都に旅行出来たらどんなにいいことか。

 その前に、まずは彼御用達の市場に行くことが先だが。


「ふふ。冬場はかなり冷え込むので、おすすめしにくいですが。春辺りに桜を見に行きませんか?」
「春の京都!?」


 桜満開の季節。

 古都の春。

 そして、やはり美味しいもの。

 けど、今の火坑が着物姿になったらきっと様になるだろう。美兎は、ちょっと舞妓さん体験も出来たら、と思ったところでやめた。きっと、絶対似合わない。


「ふふ。美兎さんのお着物姿、とか。見てみたいものです」


 なのに、この猫人は。美兎の頑な心を上手に溶かしてしまうのだから。


「に、似合いますかね?」
「ええ、きっと。いえ、絶対」
「……響也さんもお似合いだと思います」
「ふふ。僕の方は着物に少々慣れていますからね?」


 それか、予行演習で名古屋でもお着物デートしますか。

 と聞かれたものだから。

 美兎はあと少しで、会場に到着する手前で火坑に強く抱きついたのだった。