(にしき)の界隈にある、イタリアンレストランの『サルーテ』。

 雪女の花菜(はなな)は実に久しぶりにこの店に訪れることになった。

 狐狸(こり)宗睦(むねちか)に連れて来てもらった時と同じ、変わらない温かさに。変わらない店の調度品。今は休憩時間なので店には誰もいない。

 雪女と言えど、調理の氷結対策に加えて温暖な場所でも生活出来る対策が今ではあるので。暖房の付いた室内でも過ごせる。

 だけど、でも。

 長年想いを寄せていた、店主でもあるろくろ首の盧翔(ろしょう)が花菜を想っていたことがまだ信じられなかった。

 とりあえず、飲み物はどうすると聞かれたのでオレンジジュースと答えた。普通のとブラッドとどっちがいいかとさらに聞かれたので、せっかくだから久しぶりにブラッドオレンジをと答えた。

 ルビーのように、濃い赤色のオレンジ。

 盧翔の血のように赤い瞳とよく似て好きだった。味も、酸っぱいものは好みだったから気に入っていた。

 差し出されると、手が触れそうになったので。慌てて離してからバックに入れて置いた特殊手袋をはめたのだ。


「……そこまで、冷たいのかい?」
「え……と。種族により……ますか。師匠達にも、最初かなり驚かれました」
「……そう」


 とりあえず、ジュースのグラスを受け取ってから彼にカウンターに座るよう促された。


「え、えと……あの」


 ただし、手袋の上からぎゅっと大きな手で握られてしまった。

 花菜は嬉しくて恥ずかしくて。どうしていいのかわからず、ただただ口を上下に動かすことしか出来なかった。


「ダメかい?」
「ダメ……と言いますか。その」
「ん?」
「し、知りたいんです」
「なにを?」
「……チカ姐さんから、以前聞いたんです。……ろ、盧翔さんには、忘れられないヒトがいることを」
「……ああ、そうだね」
「なのに……なんで、私なんかに」
「なんか、って言うな」
「いたっ」


 帽子の上から、軽く小突かれてしまった。大袈裟な程痛みは感じなかったが、わずかな衝撃でも彼は花菜の言葉をよく思わなかったようだ。


「あんた、だから気になった」


 そうして、紅い瞳を向けて真っ直ぐに伝えてくれた。


「……わ、私……だから?」
「そ。花菜だから、目が離せなかった。宗睦に連れて来られてた時とかは、可愛い女の子くらいにしか思ってなかったけど」
「じゃ、じゃあ、どうして??」
「……多分、一度楽養(らくよう)に行ってからだと思う」
「? うちの店に?」
「俺も同じ料理人だし。あんたの働きっぷりを見たかったのもあったが……真剣な表情に、最初は師匠を重ねてた。けど、何回か行ってから気づいた。あんたを師匠と重ねるのは良くない。花菜は花菜なんだって」


 それから気になり出して数年経つが、日に日に花菜がサルーテに来る回数が減ってしまい。

 店を持ったのかと勘違いしたが、実際は楽養で修行したまま。

 なら何故、と盧翔も気にかけてた時に気づいた。自分の想いを。

 もう、師匠への想いを完全に吹っ切ったわけではないが。新しい恋に目覚めたんだなと。


「そ、それが……私?」
「ああ。今日たまたま仕入れが終わって、あちこち散策してた時に見かけて。……まあ、情けないが宗睦と並んでたら焦った」
「チカ姐さんに?」
「ほら。あんたとあいつ結構親しいだろ? だから……まあ、あいつは女みてーな格好してるけど。整えば女共には人気だからさ? だもんで、あんたもそうなんじゃないかと」
「ち、違います! チカ姐さんはチカ姐さんです! わ、私が好きなのはあなたです!」
「!……うん、それが今日わかったから……正直安心出来た」


 花菜がしっかりと言えば、盧翔は蕩けたように笑顔になってくれて、手袋から熱は伝わっていないのに身体中が熱くなってきたのだ。

 だが、とても心地良くて嬉しかった。


「え、えと……その。私もひとつ勘違いしてたことがあるんです」
「なに?」


 実は、湖沼(こぬま)美兎(みう)と盧翔が出会い、客として気に入ったことを夢喰いの宝来(ほうらい)から聞かされ。

 そこから美兎を探し出して、盧翔との関係を聞き出そうと迫ったのだ。

 実際は勘違いだとわかり、さらには友達になれたことも告げれば。

 盧翔には大笑いされてしまったが、その後に花菜に抱きついてきてさらに花菜の身体を熱くしてきた。


「ろ、ろろろ、ろしょ!?」
「なーんだ。俺達、なんだかんだで似たもん同士じゃん?」
「え?」
「あんたが極度の恥ずかしがり屋でも、結構行動力あんだな? 今日の俺みたいに」
「…………怒らないん、ですか?」
「俺も今日やっちまったじゃん? だからおあいこ」
「……はい」


 それなら、とほんの少しだけ力を抜いて彼に寄りかかってみた。

 すると、彼はさらに腕に力を込めてくれて。しばらく、二人でそのままでいたのだが。

 厚着じゃなかった、花菜の服装の上から抱きしめても冷気に当てられたせいか。

 彼はシベリアに行った並みに凍えてしまい、花菜は介抱しながら同胞にもう少し冷感を伝えにくい術を教わろうと、心に決めたのだった。