狐狸(こり)の精である宗睦(むねちか)は正直言って、目が飛び出しそうになった。

 イタリアンレストランのサルーテの店長兼オーナーシェフであり、飲み仲間なろくろ首の盧翔(ろしょう)が。血相を変えてこっちに走り寄ってきたのだから驚かないわけにはいかない。

 それに、飲み仲間のこんな表情は初めて見た。

 宗睦か雪女の花菜(はなな)に用があるのか。どちらにしても、あまり良さげな内容ではなさそうだが。


「……盧翔ぉん?」
「……に、してんだ」
「ん?」
「なんで、あんたが……花菜と一緒にいるんだ!」
「は?」


 怒ってる。

 基本的に口調は粗野だが温厚な性格である、このろくろ首が。かなり、怒っているのだ。

 隣に立っている花菜をちらっと見れば、顔面蒼白。

 いくら、好きな相手でもこんな怒りを露わにさせていたら怖くて仕方がないだろう。本当だったら宗睦の影に隠れたいだろうが、荷物の多さと盧翔に睨まれて無理だった。

 だが、盧翔も花菜の様子に気付いて、ハッと我に返ったようだ。


「わ……悪りぃ。いきなり怒鳴ってごめん」
「はーいはい。あんたが声荒げるのも大変珍しいけどぉ。なんで、あたしが花菜と歩いてただけで、そんな怒ってるわけぇ?」
「い、いいいいいい、いやその!?」


 怪しい。物凄く怪しい。

 たしかに、花菜が盧翔を好きなのは宗睦も知っているがその逆は知らなかった。花菜も知っているように、盧翔はイタリア時代の師匠を想っていたのだが、彼女は人間だったのでもうこの世にはいない。

 それに既婚者だったし、子供もいた。けれど、それでも盧翔は彼らも自分の子供のようの大事にしていたのだ。わざわざイタリアまで会いに行くくらい。

 だから、その思い出があるから他の妖に見向きもして来なかったはずなのに。花菜への態度で豹変するほど。これは、もしや。


「……なーによ。あんた、花菜んとこに鞘を収めようとしたわけぇ?」
「む、宗睦!?」
「姐さん!?」
「チカとお呼び!!」


 ずばり、図星というわけか。いったいいつからと言うのを聞くのはやぶさかだけれど、いい兆候だ。

 花菜の積年の想いも、これで報われるかもしれない。


「ろ、盧翔……さん」


 宗睦の問いかけで確証を得られたのか、大の恥ずかしがり屋で有名な花菜から盧翔に声をかけた。盧翔は、思わず首が伸びそうになっていたがすぐに元に戻した。


「お、おう?」
「そ、その……私、自惚れちゃってもいいんですか?」


 しっかりと口にした問いかけ。

 盧翔は頬だけ赤くなっていたのが顔から首まで浸透していき、ついには首を多少伸ばしてから縦に強く振った。

 さて、これを見た宗睦がすべき行動は。


「お互いに良かったじゃなぁい? 種族は違えど、(恋仲)になれるんだから」
「つ!?」
「つ、つつつ、番だなんて!?」
「いいじゃなぁい? とりあえず、冷たいけど食材だからあたしがその荷物は持って行くわよん。霊夢(れむ)っちには事情話しておくから。かごめとかに行ってきたらぁ?」
「…………俺の店に行こ」
「あんらぁ? 大胆発言」
「違う! 話し合うだけだ!」
「わかってるよん? 今度行く時にピザ一枚くらいは奢りなさいねー?」
「……おう」


 と言ってから、花菜から食材の袋を受け取ったが、やはり氷のように冷たかった。狐狸とは言え、寒さにはどちらかと言えば弱い方だが、背に腹は変えられない。

 痩せ我慢しつつ、二人が向かう方向とは逆に進んでいくのだったが。


「……大神(おおかみ)?」


 楽養(らくよう)に着く手前。

 白髪白髭、けれど青年顔の元狗神由来の神。

 大神がひょっこりと道端から出てきたのだ。


「息災か、狐狸の?」
「……宗睦よ。チカと呼んでちょうだい?」
「では、チカよ。すまぬな? 当て馬の役割を背負わせて」
「……盧翔と花菜を引き合わせたのは、貴方様の仕業?」
「なに。神の一端となった儂だからの? 神無月は過ぎたが、(えにし)を繋ぐのが役目。あれらは、火坑(かきょう)美兎(みう)以上に糸がこじれていたからの?」
「……そうねぇ?」


 あれだけの形相。

 あれだけの羞恥心。

 先の人間の師匠への想いを断ち切るのにどれだけ時間を要したか。

 その想いが昇華されたのか、単純に花菜に惚れたのかは後で聞かされるだろうが。

 今は、そっとさせておこうと思う。


「しかし、あれだ」


 感傷に浸っていたら、大神が指を立てた。


「主の店で飲もうかと思っておったが、主が不在では帰るしかないのぉ?」
「マスターがいるわよ?」
「気分が主に向いておったのだよ。縁繋ぎも終わった故に、今日は仕方がないが帰る」
「そ?」


 そうして、大神は空気に溶け込むように消えていき。

 宗睦は楽養を目指すのだった。